剣鬼カミエ!
山あいの廃村。その空は赤黒く染まり、大気は焦げ、地表はところどころ溶けていた。
雷鳴のような剣戟の衝突音が何度も響く。その音のたびに、周囲の地形が抉れ、削れ、崩れてゆく。
天と地が交差するような暴威の中、その中心に立っていたのは──一人の女。
漆黒の戦装束に身を包み、腰の刀に指先を添えるだけの構え。
その姿は、まるで時代を誤って現れた武神のようであり──静謐と殺気が等しく同居していた。
対峙するのは、もはや「怪異」と呼ぶのも生ぬるい、異形の存在。
都市一つを沈めた過去を持ち、その身体からは汚濁と時間歪曲の波動が滲み出ている。
だが女の、カミエの瞳には恐れも怯みもない。
「……言葉は要らぬな。そういう性質だろう、お前は」
次の瞬間、空気が裂けた。
怪異が放った斬撃にも似た振動波は山の尾根を貫き、数百メートル先の森が塵と化す。
カミエは──動かない。いや、必要がない。
そのすべてを、ただいなす。受けるのではなく、切る。重力すら無視して襲い来るその災厄を、一刀で断ち切る。
幾合かの交錯の末、怪異は咆哮とともに身を膨張させた。
時空そのものを歪ませ、空の星々すら引き込まんとするその技は、過去に都市と国の壊滅を招いた。
──だが。
カミエは、それを待っていた。
「……静かにしなさい」
小さな呟き。
次の瞬間、風が止み、音が消え、光が引いた。
気づいた時には、怪異はもう──その形を保っていなかった。
カミエの前に、ただひとつ、落ちる音。
抜き放たれた刀を鞘に戻す「カチリ」という音だけが、静かに戦場に響く。
* * *
黒焦げとなった地表。立ち昇る白煙。
そこに立ち尽くす老いた影は、刀の柄を軽く握り直しながら、背後の部隊に無言で頷いた。
「掃除を、今回は崖崩れによるものにしようか」
それだけを言い残し、カミエはゆっくりと山を降りていった。
誰もが、彼女の背を見送ることしかできなかった──それは、尊敬でも畏怖でもなく、「格の違い」による沈黙だった。
* * *
灼けた空気の残る戦場から少し離れた、荒れ地に停められた旧式の移動指令車。
臨時の司令室として用意されたバス型車両の中には誰の姿もない。
だがその最奥、運転席から遠く離れた長椅子に一人、女が腰掛けていた。
幽谷カミエ。組織の長官にして、未だ現場で前線に立つ剣鬼。
静かに息を吐いた。
先ほどまでの壮絶な戦闘の余韻は、すでにその双眸の奥で霧散しつつある。
「……あれで終わりとはな。随分と張り合いのない奴だったな」
ぼやくように口にした言葉には、ほんの僅かだけ「物足りなさ」が滲んでいた。
戦う理由を忘れた者の口調ではない。
けれど、戦う意味を問う者のような冷えた感情でもない。ただ、かつて幾百もの命を刈った者が、静かに「納得しないまま戦いを終えた」時の音だった。
カミエは目を細め、誰もいない車内へとぽつりと語りかけた。
「…お前が仕組んでいないなら、それでいい」
その言葉に、返事はない。
だが、次の瞬間。
「“お前”って誰のことかな?」
声と共に座席の影からひょいと姿を現す女。
畳んだ日傘を片手に、艶のある黒髪を揺らしながら、虹川真琴が肩肘をついて長椅子に凭れかかっていた。
その口元は相変わらず、何もかもを知っているくせに何も知らぬように笑う。
「なんの話か、ぜんっぜん分かりませんよ。こっちはただの市民ですし」
くすくすと笑いながら、長いまつ毛の奥で、妖しく揺れる瞳がカミエを見ていた。
カミエは答えなかった。
ただその場に立ち上がり、刀の鯉口に軽く手をかけ──すぐに放す。
「……ならばそのままでいろ。市民であるうちは、組織は口出しせん」
言い捨ててバスの扉を開け、外の夕日へと歩を進める。その背に、真琴は足を組み替えながら、小さく指先を振った。
「ばいばーい、あんまりムリしないでくださいね?お年なんですから」
その声に、答える者はいなかった。
けれど車内の空気は、さっきまでとは少しだけ、冷たく──それでいて、妙に熱を帯びていた。




