ようこそシオップ!
生活課の応接間。木製のテーブルに、ポットのお茶。晴臣はメモ帳を片手に、真正面に座るシオマート店長と向かい合っていた。
「では、ご相談内容をうかがいます。もしかして事業拡大……ですか?」
「はいー、事業拡大にあたってちょっと迷いがありましてー」
シオマート店長は、あいかわらず語尾を引きずるような声で言いながら、きちんと正座していた。姿勢だけは妙に真面目だ。
「これまでに市内のスーパーやドラッグストアを“駆逐”してきたのですがー」
「……え?」
「次はコンビニを“駆逐”しようかと考えてましてー、どうやろうかー、ちょっと自分でも分からなくなっちゃって」
晴臣は目頭を揉みつつ、ゆっくりと手元のメモ帳を伏せた。
「……“駆逐”って、どういう意味で使ってます?」
「商業的な意味ですよー。“商圏の掌握”みたいなー。あ、もちろん合法的にですねー」
(合法的って言えば何でも許されると思うなよ……)
晴臣は内心で突っ込みながらも、笑顔を崩さず頷く。
「対象は、商業全般……?」
「いえー。個人経営の小さな商店は対象外ですー。駆逐対象はあくまでー、系列店舗が多くてフランチャイズ展開しているような、大手のチェーン、企業によって個性を失った“量産型”たちですねー。商店街の皆様の事を気に入ってますしー」
その言い方に、ほんの一瞬、晴臣はなぜか真琴の姿を思い浮かべてしまい、慌てて頭を振った。
「……つまり、汐見市における商業展開の判断に迷ってるってことですね。生活課として動ける内容ですので受理しておきます」
「ありがとうございますー。晴臣さんってほんとに“私たち”の話が通じる方ですねー」
店長は微笑みながら、ポットに自分でお茶を注ぐ。
「……いっそ、“シオマート”で駆逐じゃなくて、別事業として“コンビニ部門”を立ち上げてみては?」
応接室の静寂を破るように、晴臣がぽつりと言った。
シオマート店長は、ちょこんと首を傾げる。
「コンビニ部門ー?」
「ええ。今ってスーパー業態ですよね。それとは別に、たとえば……そう、どこかの“6&10グループ”みたいに、本体とは別会社を立てて、そっちでコンビニ網を築くとか」
「6と10で〜……それ、セブ――」
「いや、架空の話です。ええ、もちろん」
咄嗟に晴臣が遮ると、店長は小さく笑った。
「ふむー。“系列内での多角的展開”ー?まあそれなら“シオマートで駆逐”という形を取らずに市場に入っていけるかもですね」
「そうです。市場拡大じゃなくて、多様化。支配じゃなくて共存です。……一応、建前上は」
「いいですねー。それならー、“駆逐”という言葉に抵抗のある生活課さんにも怒られずに済みそうですしー」
(いや、抵抗あるどころか、普通にアウトですけどね……)
晴臣は喉まで出かかったツッコミを飲み込む。
「それではそのコンビニ部門の名前なんですがー……」
シオマート店長が、すっと鞄からノートを取り出した。考える様に幾つか名前を書き出し、つらつらとペン先でなぞり、気に入った一つに円で囲う。
「“シオップ”ってどうでしょうー。“シオマート”と“ショップ”をかけてー。ロゴはー……たとえば“∴”みたいな三点記号をベースにー……」
どこかウキウキと話すシオマート店長に、晴臣はひとまず笑っておいた。
* * *
それからしばらくして、駅前通りの一角に「シオップ」と書かれた新しい看板が掲げられた。
外観は一般的なコンビニとほぼ同じ。だが、白と淡いブルーの配色に、海を思わせる波模様があしらわれており、どこか清潔で親しみやすい印象を与えるデザインだった。
店に入ると、「いらっしゃいませー」という語尾が妙に長い挨拶が聞こえてくる。応対する女性店員はどの時間帯でも同じ顔をしており、丁寧に、親切に、よどみなく商品を案内する。レジの手際も、袋詰めの所作も、すべてが均一で、無駄がなかった。
シオップはたちまち評判となり、朝も夜も客足が途絶えなかった。
「シオマートの系列らしいよ」
「シオマートの人だし接客ちゃんとしてるし」
「なんか綺麗だよね、あの店」
そんな声が、街のあちこちで聞こえるようになった。
しかし、奇妙なことに気付く者もいた。
第一号店の開店から数週間、周辺の他のコンビニ――古くからあったフランチャイズ店や24時間営業のチェーン店が、次々に閉店していった。はじめは偶然かと思われたが、跡地には間を置かず、いつのまにか新しい「シオップ」の店舗が建てられていた。
以前の店舗と同じ場所、同じ広さ、同じ形。だが中には、同じ顔をした、同じ声の女性店員たちが立っていた。
「え、ここもシオップになったの?」
「でも……この前まで違う店だったよな?」
戸惑いながらも、多くの人々は「まぁ、シオマート系列だし」と納得した。価格も安く、品揃えも充実しており、店員は変わらず親切だったからだ。
やがて人々は、かつてそこにどんなコンビニがあったのかさえ、あまり思い出さなくなっていった。
シオップの看板が増えるたびに、町の風景は少しずつ静かに、けれど確実に、何か別のものへと変わっていった。
「いらっしゃいませー」




