視線の先!
怪異の処理が終わり、晴臣は汗ばんだシャツの背中を伸ばしながらコンビニの自動ドアをくぐった。
照明が少し眩しい。冷房が心地よくて、つい深呼吸する。
「飲み物……ついでにカップ麺も買っとくか……」
飲料コーナーに向かいかけたそのときだった。
視線の端に、異様な気配があった。
──なんだ、今の。
冷蔵ケースの前、立ち止まっている女性。
制服姿。胸には「シオマート」の名札。
髪は黒く、どこか作り物めいた艶。表情は無いのに、なぜか睨まれているように感じる。
(いや、待てよ……)
彼女の横をすれ違いながら、晴臣は商品棚の死角で一度立ち止まった。
シオマートの店員は、あの事件で知ったが施設内から外に出られないはず。店外で自由に行動できるのは、例外的な存在である「店長」だけだ。
「……ちょっと待って」
ごく自然を装いながら、振り返る。
缶コーヒーを選んでいる風にしつつ、視線だけで確認する。
その女性は、冷蔵ケースの扉に指先を添えたまま、微動だにしていなかった。
ただ、じっと商品棚を見つめている。
視線の先には――おでん缶。
少し賞味期限が近い、特価のシールが貼られた地味な缶詰だ。
彼女はその缶に、まるで魂を吸われたような真剣な目を向けていた。
身体は微動だにせず、手も伸ばさない。ただ見ている。異常なまでの集中。
(……え、なに? あれ選んでるのか?)
不意に、首元がじっとりと汗ばむ。
これまで何体も怪異を見てきた晴臣でも、この静かな違和感には小さく息を呑んだ。
まるで、存在としての「擬態」が完璧すぎるせいで逆に不自然に思えるような、妙な光景。
(いや……もしかして、“見てるふり”……?)
そう思ったとき――
店員は、ほんのわずかに、缶のラベルを指でなぞった。
指先の動きは静かで、丁寧で、無意味なようでいてどこか目的があるようにも見える。
その仕草だけが、生々しく「何か別の意識」を感じさせた。
しかし――店長はその後、晴臣には一瞥もくれず、ただ静かに商品棚の前から去っていった。レジにも寄らず、商品も持たず。
(……買わねぇのかよ……)
不自然さだけが残り、静かな冷気がコンビニの空気に溶けていく。
* * *
その日も、違うコンビニだった。
違う時間、違う場所――にも関わらず、彼女はいた。
棚の前。
今度は乾燥ワカメを見ていた。
さすがに晴臣も限界だった。
「あの」
晴臣が声をかけると、店長はゆっくりと振り返る。
「……」
その顔は、確かに前に見た“シオマート店長”と同じだった。
他の店員たちと同じ顔、同じ髪型、同じ制服ではあるが、外に出歩いている個体は“店長”であるというのがシオマート事件で得た知見であり、晴臣には個人?が判別可能なのだ。
店長は瞬きもせず、ほんの一瞬沈黙したのち、にこっと笑った。
「こんにちはー。ごきげんいかがですかー」
間違いなかった。
この、脱力するような語尾の伸ばし方。
なのに発しているのはシオマートではないからか「いらっしゃいませ」ではない、会話としての返答。
(あ、ほんとに話すんだ……)
「えーっと、いつもここにいますね。いや、ここ“じゃない”ですけど……毎回別の店で。何してるんですか?」
「ナンパですかー?」
「違います」
店長は、また乾燥ワカメの袋をじっと見つめる。そして、口を開く。
「視察中ですよー」
「視察?」
「他店舗の商品配置やー、価格帯を観察していますー。参考になりますのでー」
「えっ……あ、なるほど。業務……なんですね?」
店長は、ゆっくりと笑う。だがその笑顔は、人工的な“営業スマイル”のようでいて、どこか無機質だった。
「お客様もー、乾燥わかめお好きですかー?」
「い、いや……まあ、味噌汁に入れたりはしますけど」
「うれしいですー」
そう言って、彼女はまた袋のワカメを見つめ始める。まるで会話がそこで終了したかのように。
晴臣は、ほんのり頭が痛くなってきた。
(……会話ができるのは分かったけど何を考えてるんだ?)
店内の冷房の下、乾燥わかめを見つめる店長の隣に立ったまま、晴臣は無言で缶コーヒーをカゴに入れた。
店長は振り返りもせず、ぼそりと問いかける。
「そういえばー、生活課ってなんでもしてくれるんですかー?」
その語尾の伸ばし方は、いつもと変わらない。だが、言葉の内容はいつもと違っていた。
「え?まあ、相談であれば、なんでも聞きますけど……実際に動くかどうかは、“なんでも”はしないですよ」
晴臣がそう返すと店長はようやくこちらを向いた。
「なるほどー、じゃあまた後日にー。生活課の方にお伺いしまーす」
そのままワカメを棚に戻し、ぬるりとした動きで通路を離れる店長。
晴臣は無意識に肩を竦めた。
(……“お伺い”って……なんか嫌な予感しかしない)
レジで会計を済ませて外に出た頃には、店長の姿はもうどこにもなかった。




