異常日常もきゅ!
「よし、じゃあ今日は“もきゅ”案件を解決するぞ、真琴くん!」
晴臣は歩きながら拳を握り、やる気を見せる。
朝の通勤ラッシュが落ち着いた汐見市の商店街は、ゆったりとした空気が流れていた。
怪異案件とはいえ、被害は軽微。
症状は「会話の語尾が強制的に“もきゅ”になる」というものだけで、命に関わるものではない。
ただし、罹患した住民の数がじわじわと増えており、今や保育園の園児から商店の店主まで“もきゅもきゅ”喋っているという異様な光景が広がっていた。
「真琴くん、ちゃんと聞いてるか?この“もきゅ”現象、原因がわからないままだと行政としても困るんだよ。真面目にやってくれ」
「うん。うまいね、これ」
真琴は晴臣の話を聞いていたのかどうか、手元の煎餅に夢中になっていた。
しかもそれを、まるで大口魚のように、口に含んだかと思うと――
ごくん。
音すら立てて喉を通っていくその様子に、晴臣は頭を抱えた。
「君ね……その食べ方、人間社会ではダメなんだよ」
「でも、硬くてうまい。口に入るし、丸いし」
「そういう問題ではない! せめて割るとか、一枚を何回かに分けて食べるとか、基本的なことを学んでくれ!」
「ふむ……常識?」
「そうだ常識。わかったら次からは…」
「……了解。でも三つ目から」
「なぜすぐじゃない!?」
そんなやりとりを交わしながら、二人は商店街を進んでいく。
晴臣の目には、慣れたはずの“異常”がちらほらと映り込んでいた。
向かいの八百屋。
棚に並んだナスの一つに目と口があり、「いってらっしゃい」と言っている。
通りを歩く主婦の肩に乗った鳥が、なぜか仏教説話を朗読している。
交差点の信号が「赤」のときだけ、空が一瞬だけ裏返ったような色になる――
どれも、放っておいても大事にはならない“市民公認の異常”。
いわば、汐見市の“風景の一部”だ。
「……しかし、ほんとに多いな。こういう異常。慣れてるはずなのに、毎日一回は驚いてる気がする」
「私は好きだよ、こういう街。生きてる感じがする」
そう言って真琴は、四枚目の煎餅を取り出した。
そしてまた、口に――
「だから、さっき言ったでしょ!? 割って食べろ!」
「うぅ……わかった。じゃあ……ぱきゅっ」
真琴の声とは裏腹に、音もなく粉砕され手のひらに乗せられた煎餅を見て、晴臣は首を傾げた。
「いや、それ割るっていうか、破壊してるし。もはや粉末じゃないかそれ」
「でも、こうすると口の中で“広がる”んだ。すごく、おいしい」
「うん……まあ、なんでもいいや……」
ため息をつきつつ、晴臣は小さく笑った。
――この街も。この相棒(?)も。まともじゃないけど、悪くない。
「さて。じゃあ“もきゅ”の情報を集めに行こうか。澪さんのとこ、寄ってみよう」
「うんもきゅ」
「やめて、真琴くんまで感染してるみたいだから」
そんなやりとりをしながら、晴臣と真琴は街を歩いていく。
異常と日常が溶け合うこの街で、今日もまた、ささやかな事件の幕が開こうとしていた。