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汐見市生活課!  作者: ケン3
本編
38/96

初恋の人!

 リビングの戸が開いて、姫野と咲が「きゃーっ」と笑いながら現れた。姫野はドレスの裾を軽く摘んでモデル歩き、咲はその横でスマホを構え、動画を撮っている。

 

「ルイ先生〜、その角度最高! ちょっともう一回歩いて!」

「ふふん、当たり前じゃない。私は生まれながらのアイドル……って、げっ」

 

 ドスッ、と姫野の動きが止まる。すぐさま咲のスマホを下げさせ、リビングの奥を指差して顔を顰めた。

 

「な、なんであんたがいるのよ……!」

 

 ソファの上、湯呑みを手に静かに笑っていたのは真琴だった。

 

 穏やかな空気を漂わせたまま、いつの間にか晴臣の隣に座っていた彼女は、軽く手を振って「やあ」とだけ言う。

 

 その瞬間――

 

「……あ」

 

 咲が、立ち尽くす。

 

 その視線は、真琴の姿に吸い寄せられるように一点を見つめたまま動かない。

 

 瞳孔が広がり、口がゆっくりと開いていく。

 

「ちょ、ちょっと咲ちゃん、目閉じて! 見ちゃダメ、見ちゃダメ!」

 

 姫野が慌てて手を伸ばして咲の顔に被せようとするが――間に合わなかった。

 

「……駅前で、見た人」

 

 ぽつりと、咲が呟いた。

 

「……え?」

「駅前で、見かけて……ずっと、忘れられなかった。銀色の光が、あの時……」

 

 咲の頬がほんのり赤く染まり、うっとりと真琴を見つめる。

 その視線の熱に、真琴が瞬きした。

 そして、微笑んだ。

 

「……ふふ。はじめまして、かな?」

「……う、うん……」

「……」

「……」

 

 沈黙。

 

 姫野の頭がゆっくりと下がる。

 

「……いや、待って。なにこの展開。おかしくない? おかしいわよね!? ちょっと誰か突っ込んで!? ていうか私が突っ込むわ!!」

 

 咲の肩を掴んでガタガタ揺らし始める姫野。

 

「ちょっと咲ちゃん!?やばいのよ!? 設定てんこ盛りで、裏でなんかいろいろヤバくて、ハルくん狙ってて、それでそれで……!」

「えっ、でも……すごく、きれい」

「違う! “きれい”のベクトルが違う! これは惑わされてるだけ! 幻覚よ!」

 

 パニック状態の姫野の声をよそに、咲はほうっと息を吐いて、真琴から目を逸らさなかった。

 

 一目惚れの相手が、今、目の前に現れた。

 しかも、よりによって――あの真琴だった。

 

 咲はまだ、動かなかった。

 

 銀白のハイトーンヘアをわずかに揺らしながら、ぽかんとしたまま、真琴を見つめている。

 

 完全に“落ちた”目だ。

 

 そんな咲を見た姫野の頭から、ぷつんと何かが切れた。

 

「……咲ちゃん、だめだわ。君はまだ、何も知らないのよ……」

 

 姫野がゆっくりと咲の前に立ち、片手を上げる。

 

 くるりとその場で一回転したかと思えば、右手を高々と掲げ──

 

「初めてのマブダチを守るためなら、あたしは……あたしは、命を懸けるッ!!キェエエエエェ!!」

 

 謎の掛け声とともに、姫野がゴスロリドレスの裾をばっさばっさとなびかせて、謎の戦闘ポージングを取る。

 

 指を開いて額の横に構えた姿は、まるで古の美少女戦士。

 

 ……いや、もはや絶滅危惧種の何か。

 

「うわぁ……」

 

 ソファに座る晴臣が目を逸らす。

 その隣で、真琴がくすくすと微笑みながら湯呑みを手にした。そして、お茶を一口──すっと息を吐いてから、優雅に言った。

 

「誤解よ。私、何もしてないわ」

 

 その声は優しく、どこまでも無邪気で、しかしなぜか逆に底知れない。

 

「魅了? そんな真似、してないわ。本当に」

 

 そう言って、真琴は咲の方に顔を向ける。

 

「駅前で会ったのも偶然。ただ、晴臣くんを迎えに行っただけ。……その時、彼女が私を見てたのは気づいていたけど」

 

 その視線には敵意も悪意も、色香さえもなかった。ただ、真琴らしい、不思議な透明感だけがあった。

 

 咲の唇が微かに動く。

 

「……やっぱり……駅前の、あの光……」

「光? あら、それは多分夕日ね。私、“この体”は別に光る体質じゃないから」

 

 微笑む真琴に、咲はこくこくと小さく頷く。

 一方、姫野は全身に怒りと焦燥を漲らせていた。

 

「う、うそよ……絶対なにかしてるでしょ!? なんかその、呼吸とか、フェロモンとかいつもの魔力でっ……!」

「ほんとに、何もしてないのよ?」

 

 さらりと返す真琴に、姫野が歯を食いしばる。

 

「うぐぐ……この……天然爆撃機……!」

 

 真琴は一層やさしく笑う。

 

「咲さんの“初恋”を壊す気はないわ。その気持ちは大切にしてね」

「くっ……な、なんであんたが余裕なのよ!」

 

 唇を噛む姫野に、晴臣がぽつりと漏らす。

 

「……ほんと、変な人多いな」

 

 その言葉に真琴が嬉しそうに、晴臣の隣にぴたりと寄り添って、小さく囁いて、にっこりと微笑んだ。

 

「晴臣くんが魅力的だからさ」

 

* * *

 

 咲は、箸を動かしていた。

 

 夕食は、母の作った鶏の照り焼きと、ほうれん草の胡麻和え。そして味噌汁。実家らしい、ありふれた献立。

 

 テレビからはバラエティ番組の笑い声。父がビールの缶を開け、母がご飯をよそっている。

 

 けれど咲は、ひと口も食べていなかった。

 

「……咲?どしたの。食べないの?」

 

 母の声に、咲ははっと顔を上げる。

 

「あ、ごめん。なんか……ボーッとしてた」

「昼間、疲れたの? 姫野ちゃん来てたんでしょ?」

「うん、晴臣くんと一緒に……」

 

 咲はそこまで言って、言葉を止めた。

 

 そのときのことは、ぼんやりと覚えている。

 

 姫野がゴスロリ姿で現れて──やたらとテンションが高くて──それからリビングに行って──

 

 ……そのあと、誰かがいた気がする。

 

 女の人──たぶん、すごく綺麗な人。

 

 銀髪? 黒髪? 覚えてない。

 

 声も、顔も──なぜか思い出せない。

 

 けれど、確かにそこに“いた”という、妙な確信だけが胸の奥に残っている。

 

「……なんか、もうひとりいた気がするんだけど……」

 

 つぶやくように言ったその声は、自分でも驚くほどかすれていた。

 

「もうひとり?」

 

 父が眉をひそめる。

 咲は小さく頷いた。

 

「うん……でも、思い出せない。……なんでだろ」

 

 ご飯の湯気がゆらゆらと立ち上る。その揺らめきの奥に、なにかがいそうな気がした。

 

 咲は目を細めて、その先を見つめようとする。

 

 けれど、どれだけ目を凝らしても、そこにはただの湯気しかなかった。

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