恋バナ!
「――ねえ、晴臣くんはもういいよ。用済み」
「え?」
唐突な言葉に、晴臣が目をぱちくりさせる。その横で咲は、姫野の手をぐいっと引っ張った。
「パパとママと一緒にリビングで待ってて。あたしたち、ちょっとガールズトークってやつするから!」
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ちなさいよっ!? こら! どこ連れてくつもり――」
引きずられるようにして咲の部屋に連れ込まれる姫野。
ドアがバタンと閉じた瞬間、姫野の目がぐるりと室内を見渡す。
(……あれ? あたし、てっきりピンクと白のふわふわ空間かと思ってたんだけど……)
咲の部屋は、意外にも黒と赤を基調としたパンク風の装飾で彩られていた。壁には洋楽バンドのポスター。ベッドの上にはスタッズつきのクッションと、なぜか革ジャンが丁寧に畳まれている。
女子大学生の部屋というよりは、ライブ前の楽屋のような雰囲気すらある。
「……なんか、あんた思ったより尖ってんのね」
「え、あ、ゴメ、引いた? や、なんか、かわいい部屋って落ち着かなくてさ……」
ぺたんとベッドに座り、咲はちょっとバツが悪そうに笑う。普段のギャルテンションとは打って変わって、どこかしおらしい。
「……で? あたしをここに連れ込んだ目的、何よ?」
姫野が腕を組み、真剣な目を向けると――
咲はふにゃっと肩をすぼめ、視線を床へ。
「……あのさ……ルイさんのインタビュー記事、マジで何回も読んだの。恋愛観とか、考え方とか、うち、ガチで感動して……」
「は、はぁ……?」
「で、あの……恋愛相談……してもいい?」
「ッッ……来たわね!? この流れ、来たわね!? あんた、やっぱり晴臣のこと――」
「違うよ」
ぴしゃりと遮られて、姫野が虚を突かれる。
咲は両膝を抱え込むようにして、ぽつりと呟く。
「……うち、晴臣くんのことは、普通に“いい人”ってだけ。めっちゃ優しいし、パパやママにも好かれてるし、話も聞いてくれる。でも……そういうのって、恋じゃないよね?」
姫野の目が伏せられる。
(……違う、想定外。晴臣が好きってわけじゃない……じゃあ……)
「……じゃあ、あんたが気になってるって人は……?」
「一度だけ見たの。駅前で。夜で……たぶん、女の人だったと思う」
咲の声はどこか夢見がちだった。
「遠くからだったけど……めっちゃ綺麗で、儚げで……ドキッとして、胸がぎゅーってなって。声も顔も知らないのに、目が離せなかった」
咲の両頬がほんのり赤く染まっている。
「……もしかして、あたし、そっちの人なんかな……とか、考えちゃって……」
姫野は静かに目を細めた。
(……この子、ほんとに真剣なんだ)
「……で、あたしが何を相談されるの? そういうの、経験豊富そうって思った?」
「ううん、違う。……ルイさんって、恋にまっすぐじゃん。文章からもわかった。誰が相手でも、ちゃんと自分の気持ちを言葉にしようとする。……うち、それがすごいなって思って……」
咲は、恐る恐るといった風に、もう一度姫野の手を取った。
「だから……ちょっとだけ、恋の話……聞いててほしい。だめ?」
……敵対心はない。
恋のライバルでもない。
けれど、どこか心の奥を撫でるような、眩しい想いに触れて――姫野は複雑な気持ちを押し殺しながら、小さくうなずいた。
「……まあ、少しくらいなら。ちゃんと話を聞いてあげるわよ、“後輩”としてね」
「マジで!? ありがとっルイさん!! やば、推しと恋バナできるとか、人生のピークかもっ!」
「ちょっ、落ち着きなさいってば! ベッドで跳ねるな!」
二人の声が弾む。
けれど――その明るい会話の裏で、姫野の心には小さな寂しさが芽生えていた。
(……そっか。あたし以外にも、こんな気持ち抱える子がいるんだ。知らなかったな、恋って、案外どこにでもあるのね……)
* * *
「…なんか、すみません」
ぽつんとソファに座る晴臣が、テーブルの湯呑みを持ち上げては置くを繰り返していた。隣に座る花子は、申し訳なさそうに微笑む。
「こっちこそごめんなさいね、晴臣くん。咲、急に人を連れてくることあるけど……“誰を”とは一言も言ってなくて」
「いえ、俺もまさか女子会始めるとは思いませんでしたよ……」
そこへ足音を響かせて課長が現れる。
「……おい、花子、どういうことだ!?勝手にこいつを連れ込むな!っていうか俺が知らない人を呼ぶの禁止ってあれほど――」
花子の睨み。
それだけで課長は言葉を飲み込み、肩を落とした。
「すみませんでした……」
「よろしい」
「……」
沈黙。
重苦しい空気の中、晴臣が口を開く。
「あの、姫野さんを連れてきたのは僕です。一応、職場の関係というか……今日は、まあ色々あって」
その瞬間――
「姫野…姫野ルイっ!?あの、カフェ・リュンヌのオーナーで、汐見海岸の坂の上にある“白壁と青窓の隠れ家カフェ”の……!!?」
課長が、椅子を蹴倒さんばかりに立ち上がった。
「市内インフルエンサーランキング2023年版第7位! インスタフォロワー3万! 汐見市で一番美脚の男の娘! 俺の推しトップ5に入るルイきゅんが、今! この家に!!?」
「え、課長!? 落ち着いて!」
晴臣が慌てて止めるも、課長の興奮は止まらない。
「ルイきゅんが家に来るって、なんで俺に事前連絡がないんだよ!! 俺は心の準備が……ッ!」
「課長、なんでそんなに詳しいんですか」
「決まってるだろうが、俺の昼休みの癒しはルイきゅんのカフェタイム配信なんだよ!! あの紅茶を淹れるしぐさ、あの伏し目がちな笑顔……ッ!!」
晴臣が額を押さえる中、花子がため息をついた。
「……あなた。咲の友達なんだから、妙な真似はやめてちょうだいね?」
「……お、おう……っ。いやでも、ついにルイきゅんと……っ! でも……っ!」
課長は全身から汗を吹き出しながら、心の葛藤と戦っていた。
そんな彼の姿に、晴臣はそっと呟く。
「……変な人が多い街だな」




