会いたい人!
夕暮れどきの汐見市役所。
生活課では書類の山がようやく片付き、晴臣は椅子から伸びをしながら立ち上がる。
「ふう……今夜はカレーかな?スパイス入れすぎて腹壊すやつ」
などと誰もいない空間に呟きつつ、帰り支度を整える。
すると──
「……晴臣」
課長の声が背後から響いた。
振り返ると、そこには薄暗い室内で書類に囲まれた男が一人。
いつもどおりのだるそうな姿勢……に見えて、どこか様子が違った。
「課長? どうかされました?」
「ちょっと付き合え。娘を迎えに行く」
「ああ、はい。え?」
晴臣もよく知っている。
課長には娘がいるらしい。
溺愛しているようで、よく娘のことを語る。
「寝顔が天使」だの「ツンツンしてるけど可愛い」だの、親バカ炸裂だった。
「……でも、え?俺も行くんですか?」
「そうだ。お前が来い」
「な、なんで俺が?」
「……あいつが、お前に会いたがってる」
「え?」
課長は、明らかに口を濁した。
口角が引きつり、目元が痙攣している。
──これは、相当のストレスだ。
「……できれば、会わせたくはないんだ。本音を言えばな。本当に。絶対に。」
「えぇ……?」
「だが、あいつが“連れてきて”って……その……」
視線をそらし、頬を引きつらせながらボソボソと続ける課長。
「“ふたりきりがいい”とか、“別にいなくていい”とか……」
「俺何かしました?」
「いや、だからって俺だけ帰ってこいって言うのもおかしいだろう!? ……っ、くそ……なんであいつ、こんなやつに懐くんだ……!」
珍しく声を荒げ、机を両手で叩く課長。
「娘さん……ほんとに俺に会いたがってるんですね?」
「……らしいな。俺には無愛想なくせに」
「好みが分かりやすいってことですかね。確か、課長の娘さんって──」
「──“清潔感のある眼鏡インテリ風で、脳筋の匂いがする男”が好みだと、言ってたな」
「……どういう性癖ですか娘さん……」
課長は重いため息をつくと、ジャケットを羽織って立ち上がる。
「まあいい、グダグダ言っても仕方ない。行くぞ、晴臣」
「はい」
エレベーターを降り、駐車場に向かう2人。
父親の背中は妙な緊張感で汗だくであった。
* * *
課長の運転する車の中で、晴臣は助手席に座って話しかけていた。
「だいたい娘さん、仲がいいのに課長と正反対らしいじゃないですか。今風で、たまに何言ってるか分からないって……」
「そうなんだよ……まったくもって、たまに日本語じゃないんだよ……」
課長は重々しく頭を抱える。
「ティクなんとらだのなんとかグラだのかんだのって……俺に通訳つけてほしいわ」
「いや、課長それはもう時代の波というか……」
「しかもだ、今度はお前に“会いたい”とか言い出しやがって、うちの娘はやらんぞ!絶対にやらんぞ晴臣!お前にだけはやらんぞッ!!」
力強く言い切る課長。
しかし晴臣には、その“力強さ”の根底にある動揺が、ひしひしと伝わっていた。
その20分後。駅前ロータリー。車の助手席から晴臣が外を見やると──喫煙所の脇に、彼女は立っていた。
目に入った瞬間、わかる。
ギャル。しかもクール系。白ギャルだ。
日焼けしてない肌に、銀白系のハイトーンヘア。ピタッとした黒のカットソーに、膝上のスカート。アームカバーに厚底サンダル。ネイルはラメでキラキラ。
大ぶりなピアスが、顔の輪郭で軽やかに揺れる。
彼女──山本咲は、スマホをいじりながら、タバコをふっと吐いた。
「うっす、来んのおっそー。時間感覚バグってん?」
軽く流すような口調。ギャル特有の気だるさを纏いながらも、どこか澄んだ声。
課長がぎこちなく車を降りる。
「咲……お前、またタバコ吸って……」
「え? 法律守ってんけど?ここ、喫煙所じゃん」
「そりゃそうだけどな!パパ心配!」
「なにキレてんの? パパまたメンタル爆発?」
「晴臣ッ!!」
「いや、俺関係ないですってば!」
咲がふと視線を動かし、晴臣を正面から見据えた。
その目が、不思議な光を帯びる。
「……あんたが“海堂くん”?」
「……は、はい」
咲はタバコをアッシュトレイに押し付けて消しながら、じっと見てくる。
まつげの奥で、どこか探るような視線。
「ふーん……写真よりイケてんね。ふつーにアリかも」
「やらんッ!! 絶対にやらん!! お前にだけはやらんぞッ!!」
「マジで何の話?てか、パパそーゆーとこ、クソ重いしダサい」
「ひんっ」
* * *
帰りの車内、静寂が支配していた。
咲は後部座席でイヤホンを片耳だけ差し、脚を組んでスマホを操作している。
一方、運転席の課長は目を虚ろにして、何かを遠く見つめていた。
晴臣がぽつり。
「咲さん、想像よりずっとクールですね……」
「は?」
スマホをいじっていた咲が顔を上げる。
「え、なに?想像よりって事はうちのこと、知ってたん?」
「い、いや、ええと……その……」
ギクッ。
運転席の課長が小さく肩を震わせた。首元にじわりと脂汗が浮く。
「……課長が、よくお話するので」
「あー……」
咲の目つきが変わる。スマホを閉じ、腕を組んで前の席を睨むように寄りかかる。
「ちょっと。普段なに話してんの? ウチのこと勝手にペラってんの?」
「ま、待て咲、それはちょっと違──」
「違わんくない? クールとかギャルとか、そのへんの印象ってさ、ぜったいウチ本人が言ってない限り、パパの主観じゃん?」
「いや……その……なにげなく……!」
「はぁ〜〜? そーゆーのがいっちゃんキショいねんけど? まじでなんなん?」
「ひぃ……!!」
課長、もはや脂汗ダラダラ。ハンドルを握る手が小刻みに震えている。
晴臣はこっそり助手席で姿勢を正す。
「ご、ごめんなさい。俺が言わない方が良かったですね……」
「いや、アンタはええねん。つーか、クールとか言われるの、わりと嫌いじゃないし」
ぽつりと呟くように言う咲。
しかしすぐに、またジト目で課長を見る。
「でも勝手に他人に漏らすのはナシやから。マジで一回、家族会議な?」
「か、家族会議……!?」
課長の顔が一気に青ざめる。
「俺が何をしたというのだ……! 娘が可愛いって言っただけじゃないか……!」
「それがいっちゃん地雷って言ってんのが分からんのかオッサン!」
「オッサン言うなああああ!!」
その後も10分ほど、車内は咲の低音ギャル圧に包まれ続けたという──そして晴臣は、二度と気安く言わないと心に誓うのであった。




