生活課の酒豪!
「今日は……レバニラかな」
汐見市役所・生活課の職員、海堂晴臣はそう宣言すると、軽快に冷蔵庫を開いた。
料理好きではない。ただ、晩酌に合うものは“自分で用意する方が理想に近い”という信念があるだけだ。
にんにくの香りが立ち昇り、レバーがじゅうといい音を立てる。
濃い味、スタミナ満点──これに合うのはどんな酒か。
彼の脳内では、料理と酒のベストマッチングを探すシミュレーターが高速回転していた。
「今日は呑みたい気分だな……なら“地獄の二段構え”でいくか」
リビングの隅に並ぶ、二台の冷蔵庫。
一般家庭ではまずお目にかかれない光景だが、そこには世界各地の高級酒がぎっしりと詰まっている。
片方は日本酒とワイン系、もう片方はウイスキー、リキュール、果ては未登録のクラフトスピリッツまで。
──なぜこれだけの備蓄があるのか?
理由は単純だ。
まず彼の周囲には、「酔わない」存在がいる。
虹川真琴、姫野ルイ。
──だが、そんな彼女たち(彼)を、“潰す”ことができる男。それが海堂晴臣である。
「さて……今日は真琴が来る気配がないし、ひとりでゆっくり……」
そう思ってテーブルに酒とグラスを並べた、その瞬間。
「やっほー」
ひらひら。
白く細い指が、ソファの上で優雅に揺れる。
「……」
「遅いよ、レバニラ冷めちゃうじゃない」
勝手に盛り付けを始めている虹川真琴。
人の家なのにくつろぎきっているあたり、図々しいというよりも「異常」である。
「……真琴、どうせ酒目当てだろ」
「失礼だなぁ、私は晴臣くんの人間味を愛して来てるんだよ。ついでにお酒もちょっと、ね」
にこり、と微笑む真琴の表情はどこか艶めいていたが──
晴臣は慣れているので無視した。
「ついでにって言うわりには、“あんまり”呑めないだろ?」
「いや、いい加減自分が普通の人間と違ってる事を認識したまえよ。私達を潰せるのは普通ではないから」
真琴は不思議そうに、自分の指先を見つめる。
酔わないはずの脳がふわふわと揺らぎ、頭の中に霞がかかるような感覚。
──その正体は、晴臣に合わせて呑む事によって先に潰れる予想だった。
「ねえ、今日も潰してくれる?」
「その言い方やめろ。犯罪感あるから」
「じゃあ……“溺れさせて”? あなたのグラスで」
「余計にヤバい!」
真琴の言葉にツッコみながら、晴臣はグラスを二つ置いた。
一つは自分用、もう一つは真琴に。
「ほら、始めるぞ」
「うふふ。乾杯、晴臣」
「乾杯、真琴。──合わせなくていいんだぞ?」
晴臣の優しさに、真琴の酔わないはずの頬が、早くもほんのり赤い。
“酔い”の概念を超えた晩酌が、今夜も静かに、しかし異常に幕を開ける──。
* * *
あいつ、もう人間やめてるだろ
いつも言われるセリフだが、それを告げたのは過去に彼と一度だけ“飲み会”を共にした男。
汐見市役所生活課、課長である。
※なお現在も海堂晴臣は「課内飲み会への出禁」を通達されている。
──理由は簡単だ。
「人間の限界を見たくない」という全会一致の総意。
「ふぅー……やっぱ最高だな」
その張本人である晴臣は、今日も己の限界を微塵も意識せず、琥珀色の液体を喉に流し込んでいた。
軽く飲んで開けたボトルは既に4本目。それでも、彼の顔色ひとつ変わらない。
「ねえ、晴臣くん」
隣のソファで肘をつきながら、虹川真琴がグラスを傾ける。
彼女のグラスには淡いピンク色のカクテル──だが、当然それは味を楽しむだけのもので、本来なら彼女のような存在には“酔い”など訪れない。
「晴臣くんって、本当におかしいよね。アルコールにも、怪異にも無関心すぎる」
「え? そうか?」
「そうだよ。今さ、致死量超えてるからね? 普通の人間なら……うん、もう肝臓破裂してると思う」
「へえ。便利な体だな俺」
「もはやそれ、眷属って言われても信じるよ?」
晴臣は真顔でグラスを傾けた。
「それ、お前らに言われるのが一番おかしいからな」
「くすくす」
真琴は笑う。
彼女の目の前で、静かに、無感動に“危険”を繰り返す晴臣。
その姿は、もはや“狂気の中で安定する何か”に見えた。
「ふふ……いいなぁ。人間って不思議」
酔いもせず、傷つきもせず、淡々と生きる。
それなのに、ただ一人で異形たちを凌駕する瞬間がある。
「……だから好きになっちゃうのかもね、晴臣くんのこと」
「……ん?」
「なんでもないよ」
にこりと笑って、真琴はグラスを揺らす。
今夜は彼の“人外じみた酒量”を肴に、ひとりの怪異がしっぽりと呑む──そんな、静かで奇妙な晩のひとときだった。




