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汐見市生活課!  作者: ケン3
本編
20/96

休日デート!

 朝の光が斜めに差し込む土曜のアパート前。風は涼しく、セミの鳴き声が遠くで揺れていた。

 

 晴臣はシャツの袖をまくりながら、箒で落ち葉を掃き集めていた。その隣には、控えめなボブヘアの女性――幽谷香奈が、掃除用具をぎこちなく持ちつつ、少し離れた位置で草むしりをしていた。

 

 「……あの、晴臣さん」

 

 少しして、香奈が控えめに声をかけた。

 

 「はい?」

 「今日は……真琴さん、一緒じゃないんですか?」

 

 晴臣は手を止めて、ああ、と軽く頷いた。

 

 「今日は家を大掃除してるらしいんです。部屋の“奥の奥まで”ってやけに気合い入ってました」

 

 「おくの……おく……?」

 

 香奈は想像してしまったのか、ほのかに青ざめたように眉を寄せる。

 

 「……えっと、それって……あの、たとえば……物理的に、じゃなくて……比喩、ですよね?」

 

 晴臣は少し考えてから、「どうでしょうね」と笑って首を傾げる。

 

 「真琴さんって、たまに“押し入れの裏にポータルがあるタイプの人”なので……まあ、大掃除って言ってもいろいろあるんじゃないでしょうか」

 「……やっぱり“比喩”じゃないんですね……」

 

 香奈はそっと、草むしりしていた手を止めて小さくため息をつく。けれど、それは呆れよりも、どこか穏やかな安堵を含んだものだった。

 

 「でも……あの人がいないと、ちょっと静かですね」

 「たまには、こういう日も悪くないですよ」

 

 晴臣はそう言って、アパートの軒下にたまった落ち葉を一気に掃き集める。

 静かで、けれど少しだけ奇妙な日常。それはこの町では、ごく当たり前の朝だった。

 

 落ち葉を集めたゴミ袋を縛っていると、涼しい風が吹いてきた。汗を拭うほどでもない、心地よい陽気だった。

 

 「なんか、今日はずいぶん涼しいですね」

 「はい、朝方は少し肌寒いくらいでした……あの、こういう日は、布団干すとふかふかになりますね」

 「おお、それいいですね。僕も干そうかな……あ、それと香奈さん」

 

 晴臣はゴミ袋の結び目を確認しながら、ぽつりと口にした。

 

 「いつも掃除手伝ってもらってるし、どこかご飯でも行きません? 昼、近いですし」

 

 香奈は、「あ、はい」と反射的に頷いた。

 ちょうどそのとき、風で舞った葉っぱが顔に当たり、彼女はそれを手で払いながら、少し遅れて言葉を噛み締めた。

 

 ……あれ?

 

 ――ご飯……?

 ――行きません?

 ――私と……?

 

 「…………」

 

 数歩、箒を持ったまま動いてから、香奈の動きがふっと止まる。

 

 (えっ……今……今私、誘われ……ました……?)

 

 晴臣は気づかず、軒下に掛けたほうきの柄を軽く叩いてホコリを落としている。

 

 (え、え、え……えぇぇぇ!?)

 

 彼女の中で、さっきまでの“普通の会話”が、まるで別の意味を帯びて再生されていく。

 あまりにも自然で日常の延長すぎて、最初は誘いだとすら気づかなかった。

 

 「…………」

 

 動揺しすぎて、何か言いそうになった口が開きかけて、閉じた。

 

 (ど、どどどうしよう……!!)

 

 横を見ると、晴臣はすでに歩き出していた。

 彼女は慌てて小走りでその後を追う。

 

 「か、海堂さん……お店は……決まってますか……?」

 「姫野のカフェ、また来てって言ってたんですよ。なのでついでにどうかなと」

 

 晴臣は笑いながら軽くそう付け加えた。

 香奈はぽかんと口を開けたまま硬直する。

 

 「……えっ?」

 

 (ま、まさか、これって……)

 

 彼女の思考は一瞬で高速回転を始める。

 

 ――同年代の男女がおしゃれなカフェ?

 ――これは、デートなのでは?

 ――いや、でも「ちょうどいいから」みたいなこと言ってた……

 ――でも“出かけません?”って、これ普通にデートの誘いの言い回しじゃ……

 ――でもでも、彼、そういう意図全然なさそうな顔してるし……!

 

 脳内で「デート」と「違う」を天秤にかけながら、香奈は自分の胸元を押さえる。

 

 「わ、わかりました。着替えてきます……」

 

 声がわずかに裏返った。

 

 そんな香奈に、晴臣は「はい、じゃあ俺もシャワー浴びてきますね」と何の気なしに手を振って、自室へ戻っていった。

 

 ――一方そのころ、香奈の脳内では“これはデートなのか否か”という問いが、約500ループほど繰り返されていた。

 

 

* * *

 

 坂の上、白い壁と青い窓枠が印象的な建物の扉をくぐると、途端に明るい喧騒とコーヒーの香りが迎えてくれた。

 

 「いらっしゃいませーっ!」

 

 店内に響く店員たちの声は、どれもこれも元気いっぱい。制服に身を包んだ男女のスタッフが笑顔でテーブルを回り、ドリンクを運び、子どもにアイスを手渡し、時には常連と軽口を交わしている。どこを見ても和やかで、心地よい熱気に包まれていた。

 

 その中心にいるのが、姫野ルイだ。

 

 「すみません! A席にパンケーキ、B席にロイヤルミルク、C席はお冷追加、お願いしまーす!」

 

 厨房からフロアへ、まるで風のように駆け回りながら指示を飛ばし、自らもトレーを持って笑顔で客席へ向かっていく。長いまつげの奥の瞳はキラキラと輝き、立ち止まる暇など微塵もない。

 

 「おまたせしましたぁ〜♡ こちら、ご注文のキャラメル・ショコラ・オ・レで〜す♪」

 

 若いカップルのテーブルに片膝をついてグラスを置くと、彼はにっこりと微笑む。その仕草に、彼氏は若干照れながらもお礼を言い、彼女のほうはあからさまに「可愛い……」と口にしていた。

 

 相変わらず、男女問わず人気だった。

 

 厨房から顔を出した年配のコックが「店長!もうちょっとスピード落としていいんだぞ〜」と苦笑しながら言っても、姫野は「やですっ! お客様が待ってるのでっ!」とぴょんっと跳ねるように返すだけ。

 

 客は絶えず、テーブルは回転し、笑顔とコーヒーが途切れることはなかった。

 

 まるでそこだけ、喧騒と日常の境界線がほどけたような、幸せの泡に包まれた空間。

姫野の魔法が、今日も街を癒している。

 

 「いらっしゃ――……」

 

 その瞬間だった。店内に響き渡るはずだった店員たちの元気な声が、一瞬だけ音を失う。

 

 姫野ルイはトレーを持ったまま、入口に立つ二人組の男女を見て動きを止めた。

視線は男性ではなく、隣に立つ女性の方へ。そして再び男性へ戻る。

 

 「……は? なに? お前バカなの?」

 

 それは普段の「カワイイ姫野ルイ」の声ではなかった。低く、硬く、完全に男のものとわかる口調で、言葉が店内に投げつけられた。

 

 女性−香奈が思わず一歩後ずさる中、男性-晴臣はいつもと変わらない様子で首を傾げた。

 

 「え? だって……この前、“また来て”って言ってただろ?」

 

 その言葉に、姫野の表情がますます引きつる。

 

 周囲の店員たちも「えっ」「あ、姫野さんが……」とざわつき始め、厨房の奥からも心配そうにコックが顔を覗かせる。

 

 姫野の眉がぴくぴくと震える中、香奈は(あっ……)と察していた。

 

 これは、やってしまったのだ――たぶん、とんでもなく。

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