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汐見市生活課!  作者: ケン3
本編
16/96

監視中!

 少し離れた電柱の影、あるいは見通しのよい監視車両の中。

 市の生活課の職員では立ち入れないエリアから、二人の存在がじっと現場を見守っていた。

 

 「わぁぁお、ひっぱってるぅ。人、ひっぱってるぅ……」

 

 ミイナは車内のモニターに映る晴臣の姿を見ながら、のんびりとした声を漏らす。

 

 「げろげろ~、うふふ、そっくりぃ。はるおみやっぱりすごぉ~い」

 

 外見こそ人間の女性に擬態しているが、その思考回路は完全に“そっち側”。

 ミイナはまるでヒーロー番組を見ているかのようなテンションで、晴臣の人間離れした行動を心底楽しんでいた。

 

 「……お前、楽しそうだな」

 

 隣で、幸太郎が渋い顔をして溜め息をつく。

 彼の手元には、データ端末。

 画面には、

 【観察対象:海堂晴臣】

 【分類:通常人類(暫定)】

 【危険度:再判定中】

 の文字が点滅していた。

 

 「……一般市民なら一発で発狂してる。あんな口の中見たら、普通なら吐くか走って逃げるか、その場で死ぬかの三択だ」

 

 晴臣が怪異の口に手を突っ込み、真顔で人間を引っ張り出す様子を見ながら、幸太郎は頭をかきむしる。

 

 「どうしていつも平然としてるんだよ……。もう三件目だぞ、“人を口に格納する系”……全部引っ張り出してる……」

 

 「はるおみはぁ、かっこいい……。あ、またいったぁ。“はいズルズルーっと”ってぇ……」

 

 ミイナは頬に手を当てて恍惚と見つめている。

 

 「異常存在との遭遇回数、再計算……昨日会った時も精神汚染兆候なし、拒絶反応なし、記憶混濁なし……」

 

 幸太郎は端末を操作しながら、ブツブツと呟く。

 

 「逆にお前のほうが人間ぽいんだよ、ミイナ。笑って怪異のマネしてるだけだからな……」

 「ふへへ……おぇぇ~」

 「やんなくていい」

 「えぇぇ~……げろげろ~……」

 「……もうだめだこの監視チーム」

 

 現場では、晴臣が「よいしょっと」と粘液まみれの人間を肩に抱えて運び出していた。

 その横で、唇を真一文字に引き結び、硬直したままの真琴の姿も映っている。

 

 幸太郎は、端末に「異常存在レベル:計測不能」とメモを追加した。

 

 モニターには、顎を脱臼させられ、粘液を垂らしながら静かにフェードアウトしていく“人喰い怪異”の姿が映っていた。

 その巨体はまるで羞恥に駆られたように体を丸め、ズルズルと霧の中へと消えていく。

 

 「……逃げた、なぁ……」

 

 幸太郎が端末の送信ボタンを押す。

 画面に「資料送信完了」と表示され、データが飛んでいった。

 

 「……口に手を突っ込む人間に恥ずかしがって消える怪異ってなんだよ。こっちも吐きそう」

 

 幸太郎が胃を押さえながら呻いていると、ミイナがぽんっと手を打った。

 

 「あのねぇ、幸太郎……わたしもやってみたらぁ、はるおみに……おんなじこと、されるぅ?」

 

 その“やってみる”というのが、明らかに怪異の真似――口をガバァと開けて、人を丸呑みするような真似――だと悟った瞬間、幸太郎は勢いよく振り向いた。

 

 「やめろ!!」

 「えぇぇぇ~~~?」

 「お前がそれやったらな、多分二度とご飯食べられなくなるからな!!」

 「ごはん……?」

 「そう!晴臣に料理作ってもらえなくなるぞ! “なんかネバネバした金属が口から出てた人”の胃袋に入れるものなんか、誰も作らねぇよ!僕が全力で止めるからな!」

 「……じゃあ、やめるぅ~……おくち、がばー……しない……」

 「今しようとしたよな!? やめろって言ったそばから準備すんな!!」

 

 ミイナは口をぱくぱくさせながら名残惜しそうに口を閉じ、膝を抱えて「げろげろー……」と小声で繰り返す。

 幸太郎は心底疲れた顔で頭を抱え、端末の隅に「模倣行動による事件発生の恐れあり」とメモを追加した。

 

* * *

 

 夏の夕暮れ。温泉の湯けむりがまだ残る古びた旅館には、二人分の麦茶と扇風機の風が、ほうと緩やかに流れていた。

 

 「……はあ……あっつい……」

 

 黒髪をまだ湿らせたまま、香奈はバスタオルを肩にかけて縁側に腰を下ろしていた。肌は湯上がりでほんのり桜色に染まり、浴衣の襟をぐっと掴んであおぐ様は、年齢よりも少し幼く見える。

 

 隣では祖母――幽谷カミエが、キンキンに冷えた麦茶をぐいと飲み干しながら、目を細めて孫の横顔を見ていた。

 

 「ふふ。最近、海堂の坊やとはうまくやってるかい?」

 「……な、なに突然」

 

 香奈は少し顔を赤らめて俯いた。麦茶の入ったグラスの水滴が、ぽたりと膝に落ちる。

 

 「いやね、香奈ったら顔に出るのよ。わたしほどになると、恋の匂いは湯上がりの肌からだって読み取れるの」

 「……恋とか、ないよ。晴臣さんは……その、いい人ですけど、なんというかうるさくないし静かで、居心地よくて……」

 「それ、十中八九惚れてるって言うんだよ?」

 「違います……!」

 

 慌てて首を振る香奈に、カミエはにやにやと笑いながら麦茶のお代わりを注いでやる。香奈はそれを無言で受け取って口にするが、さっきよりも少し、飲み方がぎこちない。

 

 「……でも、あの子。周りの“普通”には好かれない。ああいう者には、怪異も、人も、まともに関わっちゃいけないって顔をするのが常なのさ」

 「晴臣さんは、そんなこと……」

 「だから心配してんだよ。あんたの方が本気になって、でもあの子はただの“優しい男”って可能性だってある。変なことになって、また部屋に閉じこもるようになったら、婆ちゃん悲しいのよ」

 

 香奈はその言葉に反応を示さず、ただ静かにグラスの底を見つめていた。扇風機の風がふわりと浴衣の裾を揺らす。

 

 「たしかに、晴臣さんは、たまに“怖い”ですけど……でも、わたし……あの人がわたしにも、変わらず話してくれるのが……嬉しいです」

 

 祖母はふうと息をつき、肩をすくめてから香奈の頭を軽く撫でた。

 

 「……なら、まぁ、よし。香奈がそのまま笑っていられるなら、それで充分さ。ま、何かあったら、婆さんの拳で全部ぶっ飛ばすから安心おし」

 「おばあちゃんは過保護すぎます」

 「孫がかわいいのに、理由がいるかい」

 

 二人の間に、また静かな夕暮れの風が通る。扇風機の音と、虫の声だけが、ゆったりとした時を刻んでいた。

 祖母がひとつ大きなあくびをすると、香奈はぽつりと、ぽつりと、照れくさそうに口を開いた。

 

 「それに晴臣さんのこと、たぶん“好き”っていうより……ずっと見てたいっていうか」

 「……ほう?」

 

 カミエが興味深そうに視線を寄越すと、香奈は少し俯いて、それでも頬をほのかに染めながら、グラスを両手で持って言葉を続けた。

 

 「だって、真琴さん、すっごく綺麗だし……姫野さんはあんな見た目なのに男でドロドロしてて可愛いし……ミイナさんはずっと晴臣さんのこと見てて、電波の癖に乙女で……幸太郎さんもイケメンで、あの距離感で振り回されてて……」

 

 そこで、香奈はふへっと、抑えきれずに笑ってしまった。

 

 「それを真顔で受け流してる晴臣さんを見るの、なんか、すごく面白いんです……。あの人、変な人たちに囲まれてるのにずっと普通の顔してて……へへ……ふふふっ……」

 

 その笑いはどこかオタクじみた空気をまとっていて、祖母は思わず目を細めた。

 

 「……おまえ、まさか“推しカプ”を眺めるみたいなノリで、坊やを見てるのかい?」

 「うっ……い、いえ……そんなことは……ないです……」

 

 香奈は視線を泳がせながら否定するが、耳の先まで赤い。

 

 「まぁいいさ。おまえがそれで毎日楽しそうにしてるなら……婆さん、もう何も言うまい。推し活、尊いねぇ」

 「や、やめてください……!」

 

 香奈はもじもじとしながらも、どこか満ち足りたように笑っていた。

 

 扇風機の風がまた動き出す頃、カミエの脇に置かれたスマホが――場違いなほど硬質な電子音を立てて震えた。

 

 香奈はその音に小さく肩を跳ねさせるが、すぐに「あ、どうぞ」と小さく頷く。

 

 カミエは手元のグラスを置き、スマホを持ち上げると、内容を確認し――ふっ、と微かに鼻で笑った。

 

 「……あの坊や、相変わらずだねぇ」

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