役所仕事なので!
「晴臣。解決、よろしく」
そう言って、真琴は腕を組みながら一歩下がった。口元にはうっすらと笑み。貼り付けたような、冷たいそれは――明らかに面白がっている顔だった。
「いやいやいやいや、なんで真琴くんが傍観者なんですか……」
晴臣はそうぼやきながら、仕方なく社の前に歩み寄る。目の前に広がる、地面に空いた“口”のような裂け目。その奥に蠢く、何か。
「……あー、こんにちはー。役所の者です」
少しでも礼儀正しく、と心がけながら、晴臣は手を挙げて声をかけた。
反応は、あった。
ぐちゅり、と水気を含んだ音がして、裂け目の奥から“それ”が這い出してきた。
人の形を、していた。
ただしそれは、“人間のパーツ”を雑に繋ぎ合わせたような姿だった。手足は左右で長さが違い、皮膚はまるで脱いだばかりのように垂れ下がり、顔の位置にはただ、裂けた口が一つだけ。
晴臣は一歩、下がった。
「ご、ご安心ください。暴力的な目的ではなく、あくまで――」
ズズ……ッ。
怪異が一歩、近づく。音はしない。ただ“湿った存在感”だけが、空気に混ざってにじむ。
晴臣の喉が鳴った。
次の瞬間、怪異は――口を、開けた。
下顎が、ありえないほどに外れた。骨が軋み、肉が裂ける音とともに、穴のような口が開き、その中に、別の顔がいくつも蠢いていた。
「――ッ……ッッ……!」
足が震える。声が出ない。にもかかわらず、晴臣の本能は逃げずにそこに立ち続けようとする。相手を“対話可能な対象”だと見なして。
「……“味”を、覚えてるね」
真琴がぽつりと背後で呟いた。
「こいつ、人間の顔を……喰って、それで“なりすまして”誘うのよ。まだ腹を空かせてる」
「ちょ……そういう大事な情報は先に……!」
怪異の口から、ぬるりと舌のようなものが垂れ落ちた。それが地面に触れた瞬間、じゅぅ、と音を立てて草を溶かす。
その奥には、喰われた者たちの顔が――いや、“顔のような何か”が、幾重にも折り重なってうごめいていた。
肉の壁。人の皮。粘膜のような舌に埋もれた、無数の眼球。
その全てが、晴臣を見ていた。
異常な“圧”が、周囲の空間を満たしていく。
晴臣の背中を、じっとりと汗が伝った。
呼吸は荒く、喉が渇く。
だが、彼は一歩も退かず、口を開いた。
「……言わせて、もらいます」
真琴の目が細められる。
(来た……ビビったわね。昨日の罰よ、泣いて懇願してね)
唇を吊り上げ、ニヤニヤと見守る真琴。
だがその期待は、次の瞬間、氷のように固まることになる。
「――虫歯、ありますよ」
「……え?」
真琴の口が開いた。怪異もまた開きっぱなしの口の奥がぴたりとすべての蠢きが止まる。
一拍の静寂。
「口、臭いですし。神隠しやる前に、まず歯医者行ってください」
その一言を言い終えた晴臣は、無駄に重々しく腕をまくると、突如、怪異の顎を――
「ッッッはァ!!」
ドンッ!
――真上に蹴り抜いた。
バギッ、と音を立てて怪異の顎が開閉不能な方向に外れ、晴臣はその口へ容赦なく右腕を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと!? 何やってんの!?」
「中に人がいますから。抜きます」
抵抗も意に介さず、晴臣はまるで詰まった掃除機のホースから異物を取り除くかのように、怪異の口の中から“何か”を引きずり出していく。
ズル……ズルズルッ……ビチャ……!
出てきたのは、粘液にまみれた、ぐったりとした人間の青年。まだ意識はあるらしく、咳き込んで「う……うう……」とうめいている。
「はい、救助完了。無事ですよ。たぶん」
晴臣は苦笑いしながら、ズブ濡れの青年を地面にそっと下ろした。
その背後で、怪異は口を半開きにしたまま硬直している。顎は完全に外れ、虚ろな目で遠くを見つめていた。
真琴も、目を見開いたまま微動だにしない。
「……は? え?」
「もう一人くらい中にいそうですねー。次行きます!」
ズボッ!
「あ、あーッ待って晴臣! バカッ、それ中で繋がってるかもって――」
ズルズルズルッ!
「!?!?!?」
その場に地響きと怪異の嗚咽が響いた。