神隠し!
生活課の課長机に、晴臣の辞令書よりも重たく、空気の読めない沈黙が落ちていた。
「海堂、行ってきてくれ」
ようやく顔を上げた課長が、胃薬と書類の山の間から、ぼそっと呟いた。
「例の神隠しですか?」
「そうだ。今朝で四人目が行方不明になった。どれも深夜に人気のない場所で忽然と消えてる。現場近くでは何かの咀嚼音が聞こえたって通報もある……どうも失踪じゃねえ」
「ふむふむ」
晴臣は資料をめくり、指で地図をなぞる。特定の地域で起きており、どうやら『それ』は一つの場所に棲みついているらしい。
「……で、彼女は?」
応接ソファの方に目をやると、真琴は組んだ腕にさらに力を込め、今にもクッションを引き裂きそうな勢いだった。
「当然、同行していただくわ。というか今すぐ行け。今すぐ、今すぐ!」
課長がバンッと足を踏み鳴らし、クリアファイル越しに真琴へ指をむける。
「え、でもこのあと会議が――」
「キャンセル。全部。行け」
「はい」
晴臣が即答すると、課長がぐぅと呻きながら机に突っ伏した。
「真琴さん、ちょっとだけ落ち着いてくださいよ。昨日は偶然だったんです」
「私よりも連中やあの男が大事ってこと?」
「いや、そういうつもりでは……まあでも今日はご一緒しますから。ね?」
「……ふん」
真琴はそっぽを向いたが、わずかに貧乏ゆすりの振動が収まっていた。課長は内心でガッツポーズを取りつつ、資料を鞄に詰めた。
* * *
現場に向かう道すがら、晴臣は真琴と怪異の種類についての話をする。
「今回の件、『神隠し』って言われてますけど、実際の怪異は不明ですね」
「晴臣くん、珍しく真面目な顔してるじゃない」
「ええ、だって人が死ぬ可能性があるので」
「……ふーん」
「ただ、勘違いしないでください。怪異って全部が全部危険なわけじゃないんです」
「知ってる。」
「ええ。怪異にも色々いるんです。むしろ――」
晴臣は空を見上げて言葉を続けた。
「人間側が原因で怪異を暴走させるケースのほうが多いです。たとえば“もきゅ”の件みたいに、過剰な祀り方や、都市伝説化によるイメージの固定で、“本来とは異なる形”に変質してしまう」
「人間って、愚かね」
「でも、面白いです。そんな人間と怪異の“すれ違い”を解決するのが僕の仕事ですから」
「……へぇ」
真琴がわずかに微笑む。彼女の表情が柔らかくなると、世界の空気が少しだけ軽くなった気がした。
そうして、ふたりは目的の現場――林に囲まれた古びた神社跡にたどり着く。
人気のない林道を抜けた先に、朽ちた鳥居と、崩れかけた小さな社があった。そこが、最後の目撃地点だった。
「……雰囲気ありますね。『神隠し』ってより、“お祀り忘れ”の怨念案件っぽいな、これは」
晴臣がそう呟きながら、地面をしゃがんで観察する。雑草の間に、小さな引きずり跡。さらに、草の一部が黒く変色している。
「腐ってる……いや、溶けてる?」
「晴臣くん」
後ろから、低く、鋭い声。
「美味しそうに食べてるよ」
真琴が言い切る。その顔にはいつもより笑みを深めた顔があった。
「……どうして分かるんですか?」
「臭い。空気。気配。あと……喉の奥が疼く」
「こ、怖……」
「安心したまえ、晴臣くんのことは喰わないわよ」
「そっちじゃなくて……」
真琴は社の奥に目を向ける。木々の向こう、地面に口のような裂け目があり、何かぬめついた肉が引っかかっていた。
「珍しいわね、人喰い系が人間の目につく場所に出るなんて。普段はもっと深い森か、忘れ去られた場所に巣を作るのに」
「人のほうが、近づいちゃったんですかね?」
「かもね。あるいは、“人の味”を知ってしまったか」
晴臣は内心、ぞっとした。
真琴が“喰う側の感覚”で話していることに。
彼女の言葉には、実感があった。思考ではなく、知覚。それが証明するのは――彼女が、怪異にとって“同類”であること。
「……さて、じゃあ仕留めましょうか」
「え、あの、対話とか――」
「食べた人の数による」
真琴の目が一瞬、紫がかった輝きを放つ。
その視線の先、社の奥で、何かが“咀嚼”するような音を立てた。