お前も変人!
翌朝の汐見市役所・生活課は、地獄絵図のようだった。
「……よし、これで完了ですね」
いつも通りの淡々とした声で、海堂晴臣は市民からの生活相談の記録をファイリングし、手元の書類を分類していく。その表情には焦りも困惑もなく、冷房の効いた事務所で優雅にコーヒーを啜るほどの余裕すらあった。
だが、そんな晴臣とは対照的に、周囲の職員たちは脂汗を浮かべ、震える手でキーボードを打ち、時折ソファの方へと怯えた視線を送っていた。
――生活課の応接スペース。そこに、問題の元凶が鎮座していた。
虹川真琴。
黒のウルフカットに、真っ赤なレザージャケット。細身のデニムにブーツを履きこなし、腕を組んで座る姿は、モデルかロックスターのようでありながら、どこか場違いな威圧感を放っている。
「…………」
貧乏ゆすりが止まらない。細い脚がリズムを刻むたび、周囲の空気がビリビリと振動するような錯覚に陥る。
その様子に、課長――くたびれたスーツ姿の男性は、机に突っ伏しそうな勢いで胃薬の箱を開け、義手の左腕で顔を覆うようにして視界を塞いでいた。
「晴臣……あいつ何したんだよ…」
右手でガタガタと震えながら水の入った紙コップを持ち、薬を口に放り込む。
「視界に入れるな……直視したら最後だ……」
左手に持ったクリアファイルで視線を遮るという、原始的な手段をとるその姿は哀愁と恐怖に満ちていた。
「真琴さんですか? 朝からずっとソファに座ってますよ。何か不満があるみたいですけど」
晴臣は、事も無げに言いながら、次の書類に手を伸ばす。
「俺、なんかしたかな……?」
「全部だよ……お前が全部だよ……ッ!」
課長が頭を抱え、机に突っ伏す。耳の奥でかすかに「ぐぉぉ……」と唸り声のような音が聞こえた。幻聴か、それとも胃の悲鳴か。
一方、真琴はというと、ふん、と鼻を鳴らし、組んでいた腕を組み直した。
「あの男とべったりだったくせに、あの連中もいたし面白くない」
小声で呟きながら、またもや脚を小刻みに揺らし始める。
――その瞬間、空気が一段重たくなった。
窓際で仕事をしていた若手職員が「あっ」と小さく悲鳴を漏らし、ホッチキスを取り落とす。別の職員は電話の受話器を逆さまに持ったまま、固まっていた。
「……あの、虹川さん、もしかして何かご不満が……?」
恐る恐る、若手職員が声をかけた。が、次の瞬間。
「――少女に関係ない」
真琴がちらりと視線を向けた。その一瞬だけで、職員の顔色が白くなり、膝から崩れ落ちる。
「……ひぃ、あ、ありがとうございます……」
なぜか感謝して土下座する職員に、晴臣はふぅと小さく息をつき、机の上のペンを整えた。
「今日も平和ですね」
――課長は本当にクビにしてやろうと決意した。