オタク女、29歳の壁~推し活も人生も、ひとり旅じゃダメですか?~
楽しみにしていた、2泊3日・推し活ひとり旅。その出発間際に飛び込んできた連絡は、結婚式で友人スピーチをしてほしいという親友からのものだった。
※noteにて投稿済みの作品です。
5月末の、まだ車内冷房が肌寒い夜。新幹線は新横浜を出て、間もなく品川に着こうとしていた。
私はコメダ珈琲店のオタクである。愛するコメダを応援するべく、推し活の一環として株も買っている。年に一度のお楽しみイベントが、株主総会。それに際して、今年は2泊3日のひとり旅を計画したのだ。仕事終わりに広島を出て、初日は東京に住む弟と晩ご飯。2日目は東京のコメダを巡り、名古屋に移動して友人に会う。3日目に株主総会を迎え、終了後は翌日の出勤に差し支えがないギリギリまで名古屋のコメダを楽しむ。30分単位でみっちりと計画を立て、電車の乗り換えも入念に調べて、全てをメモにまとめて携帯している。
あと数分で、人生初の東京だ。ドキドキするけど、こんなに準備したんだから、きっと大丈夫。
──そこへ、1件のLINEが届いた。それは、11月に結婚式を挙げる親友からのものだった。
『結婚式のことなんじゃけど、友人スピーチをお願いしたいなと思ってる!受けてくれたら嬉しいけど、負担に感じて結婚式楽しんでもらえんかったら悲しいけん、難しかったら断ってくれても大丈夫。急ぎじゃないから時間あるときに考えてみてほしい!』
うわ、今か!今それを言うか!と思ったのが正直なところ。タイミングの良し悪しなんてこちら側の都合であり、親友は全く悪くないのだが。
それにしても、友人スピーチ?それは荷が重すぎる。11月までに内容を考えることはできる。一番の友達だから、伝えたいこともある。でも、人前で話すのだけは昔からダメだ。彼女だってそれは知っているはずなのに、どうして私に頼んだのだろう。
ごちゃごちゃと考えていると、品川で降りる乗客が席を離れ始めた。私も品川から山手線に乗り換えなければならない。今は県外にいるから帰って返事をするとだけLINEして、降りる支度に取り掛かかった。
東京の旅に集中したかったのに、考えることができてしまった。抱えたタスクは早く消化してしまいたい私だが、すぐに決められることではない。このひとり旅は楽しもうと思いつつも、頭の片隅にスピーチの件はこびりついているのだった。
山手線に乗り換え、新宿へ。西口の地下広場で、仕事終わりの弟と合流した。久しぶりに会う弟は、何だか背が高く見えた。2人で歩いて辿り着いたのは、和風コメダこと「おかげ庵」の新宿センタービル店である。通常のコメダ珈琲店とは異なり、自分で団子や大福を焼いたり、きしめんや丼物といった食事メニューを楽しんだりできる。私は団子、弟はきしめん。食べながら弟の近況を聞いた。
ずっと広島の実家にいる私とは違い、弟は県外の大学を選んだ。東京で働き始めてからは、実家にほとんど帰らなくなった。久々に帰ってきたと思ったら、心配してあれこれ尋ねてくる両親を嫌がり、その態度に父が怒って、親子関係を悪化させたまま戻っていく。そんな秘密主義の弟だが、その日は珍しく自分から今の暮らしぶりを語ってくれた。終電間際まで残業して、24時間営業の外食チェーンで夕食を済ませ、自炊はしない。洗濯はアイロンの要らないシャツを買い、乾燥までしてくれる洗濯機に放り込む。ひとり暮らしと言えば家事のイメージだが、お金を出してカバーするやり方もあるんだな、と思った。
おかげ庵での食事は私の奢り。弟はきっと私の倍以上稼いでいるが、最初からご馳走するつもりで来たのだ、弟から取り立てるような真似はしない。弟との収入格差、僻みがないと言えば嘘になる。しかし弟は私と違って大学院まで行かせてもらっているのだ。そのくらいの収入を貰っていないと、院卒の意味がないだろう。
たまには帰っておいでと言うと、ひとり暮らしに慣れすぎて、実家の生活リズムに合わせるのが苦痛だと言う。じゃあ帰って来んなと返すわけにもいかないので、無理せず身体に気をつけてね、とだけ言って別れた。
その日の宿は、秋葉原の格安ホテル。弟の家に泊めてもらおうかとも思ったが、姉のために部屋を片付ける人間ではないことは分かっている。汚部屋で埃まみれの床に寝かされるなんて耐えられない。そこで、素泊まり7800円のホテルを選択したのだった。あらゆる設備が古くて、あらゆる隙間に埃が溜まっている。でも、シーツが清潔ならそれでいい。だが、近所で工事しているのかと思うくらいに換気扇がうるさい。その音を紛らわすようにテレビをつけると、ママタレントが育児相談のお便りに答えるトーク番組をしていた。ぼんやりと聞きながら、シャワーの支度をする。
育児と言えば、2年前に結婚した同級生はどうしているのだろう。彼女は高校のクラスメイトで、私を結婚式に招待してくれた。あの時は新郎新婦が2人で作ったムービーを中心に式が進み、友人スピーチは設けられていなかった。2人のこだわりが詰まった、幸せいっぱいの結婚式。そして人生のクライマックスを迎えた花嫁の姿。2年経った今でも、その感動は鮮やかに残っている。あの子は今、どうしているのだろう。幼い姪っ子を可愛がっていたので、子どもは欲しいはずだ。私がInstagramをやっていないから知らないだけで、既に子どもが産まれているのかもしれない。
そんなことを考えながらシャワーを済ませ、タバコの臭いがうっすらと染み付いたシーツに顔を沈める。タバコの臭いは大の苦手だが、我慢できる範疇で良かった。しかし、複数の夢を見ていたような気がするので、眠りは浅かったようだ。
2日目は、ひとりで東京のコメダを巡った。昨日と違い、隣を歩く弟はいない。JRと東京メトロを間違えるなど初歩的なミスをしながらも、何とか電車を乗り継いでいく。
最初に行ったのは、あえてレトロな内装にデザインされた、アトレ秋葉原店。そして唯一のプラントベース喫茶、KOMEDA is □ 東銀座店。コメダブランドの記念すべき1000店舗目、新橋烏森通り店。それから新宿センタービルへ戻り、昨日と同じくおかげ庵へ。
昨晩は時間帯が合わなかったが、この店舗ではおむすびを限定販売しているのだ。コメダは「おむすび 米屋の太郎」という新ブランドを立ち上げたばかり。そのおむすびが食べられる場所は、埼玉に2か所、東京に1か所、計3か所。東京の1か所が、ここ新宿センタービル店というわけだ。ふっくらとした貴重なおむすびをたらふく食べてから、名古屋へと出発したのだった。
夕方、名古屋に到着。人が多いものの、東京より人の流れは緩やかだ。それに名古屋は何度も訪れている。安心感を覚えながら、地下鉄で大須のホテルへ向かった。荷解きしてから、今度はおかげ庵栄広小路店へ。またおかげ庵かと思われるだろうが、おかげ庵は愛知と神奈川と東京にしかない。機会がある時にたくさん行っておかないと。ここでは名古屋に住む友人と合流し、早めの晩御飯だ。
この友人は、ネットで知り合ったゲーム仲間だった。時が流れ、お互いそのゲームからは離れてしまった。しかし、同い年の女子である共通点から、うっすらと交流が続いていた。私が名古屋に行くたびコメダでの食事に付き合ってくれる、ありがたい存在である。
ひとり旅と言いながら、二度も他人と食事をしているではないか。そう思われるかもしれないが、弟も彼女も、私にとってはコメダ巡りの一時的なゲスト。あくまでも旅の同行者ではないということで、ご容赦頂きたい。
名古屋に住む彼女だが、少し前に恋人ができて同棲を始めたことをSNSに投稿していた。どこで知り合った、どんな人なのか。そんな話題を中心に、大福や期間限定の抹茶スイーツなど、おかげ庵の色々なメニューを味わった。出会った彼とは結婚を考えているのかと尋ねたところ、そうなるだろうとの答えが返ってきた。彼氏と出会うまでは、別にひとりで生きてもいいやと思っていたそうだ。でも、生活する上で価値観が一致している相手と出会えたとのことで、めでたい限り。
あーあ、なんかみんな結婚しちゃうなぁなんて思ったが、当たり前だ。挙式予定の親友も、2年前に結婚した同級生も、同棲を始めた友人も、そして私も、みんな今年29歳になる。私の母は28歳で父と出会い、29歳で結婚している。私が異端者に他ならない。さらに、結婚したいなんて毛ほども思っておらず、焦燥感のひとつも抱いていない。友人の話を通じて自らの異常性を再認識しながらも、私はおかげ庵で大福を美味しく焼くことに全神経を集中させるのだった。
友人と別れ、ホテルに戻る。今回の旅は、あくまでも株主総会に際して計画したものだ。来るメインイベントに備えて、支度を終えたら早く寝よう。テレビの音をBGM代わりに、着る服やアクセサリーを用意する。番組は、タレントが子育ての悩みを打ち明けるひな壇トークだった。昨日も今日も、育児の話。昔からテレビで見ていた「若手タレント」も、気づけば子育てに励んでいる。不思議だな。みんな、いつ出会って、いつ結婚して、いつ子育てしているんだろう。同じ24時間の生活を送っているとは思えない。私は日々の通勤と仕事で手一杯なのに。ぼんやりとそんなことを思いながら、明日の準備を終えた。
電気を消して、ベッドに潜る。しかし、なかなか寝れない。変だな、昨日より環境の良いホテルなのに。換気扇はうるさくないし、シーツもタバコ臭がしない。もしかして、カフェインを摂りすぎたか?なるべくコーヒーじゃないメニューを選んだつもりだったが、おかげ庵の抹茶メニューから摂取した量が多かったかもしれない。
ずっと横になっていると、様々な思考が頭の中を巡る。──そうだ、親友の結婚式。片隅に追いやっていた議題を、脳が勝手に取り上げる。友人スピーチを引き受けるか、断るか。どうしようかな。結婚式は何かと細かい段取りがあって、それを全て決めていくのが大変だと聞いたことがある。私が早く結論を出さないと、準備に遅れが出て迷惑をかけてしまうだろうか。それどころか、私が横になっている今この瞬間も、2人で準備を進めているのかもしれない。
──あれ?私は?私は何をやってるんだ?同い年のみんなに比べて、私は?
結婚した同級生がどこかで家庭を築いている中、私はコメダの推し活に夢中で?親友が挙式準備に奔走している中、私は株主総会にワクワクしていて?友人が同棲相手の待つ家に帰る中、私は自由気ままにひとり旅をしていて?
なんてことだ。私だけが、あまりにも現実を生きていないじゃないか。
唐突に、夢から覚めたような心地に陥る。ああ、覚めたくない夢だったのに。途端に世界が色褪せ、自分がひどくしょうもない人間に思えてきた。いや、違う。前からそう思っていた。このままじゃダメだと分かっていた。でもその現実を見たくなくて、ずっと目を逸らし続けていた。覚めてはいけない夢を、何とか見続けようとしていただけ。
真っ暗な部屋の中、私は自分の置かれた現実を直視する。来年、父は還暦を迎える。再任用は希望せず、退職を既に決めている。母は専業主婦。世帯を同じくする私が両親を養っていく形になる。年金があるとはいえ、扶養手当と私の給料でどうにかなるものなのだろうか。分からない。逃げたい。逃げるって何?どうすること?私の望む生き方って?ひとりで暮らすってこと?
昨日会った弟は「自分はずっと独り身だと思う」と話していた。それは弟がひとり暮らしに慣れているから。私とすんなり会話をしたあたり、寂しさはゼロではないのだろう。でも、実家に抵抗を覚えるくらいに「ひとり」が性に合っている。それに、家事をしない生活でも成り立つ収入がある。私は実家を出たことがないし、正直出ようとも思わない。手取りは生活費に消えるだろうし、家事もしなければならない。そんな生活、嫌だ。なら子ども部屋おばさん上等だ。もっとも我が家は狭すぎて、子ども部屋なんてないけど。とにかく、私が望む生き方は、絶対にひとり暮らしじゃない。
なら、結婚相手を探したいの?同い年のみんなはパートナーに巡り合い、次なるステップに進んでいる。それが私の望む生き方?いいや、それも違う。未婚の焦りはないし、恋愛したいとも思わない。結婚相談所やマッチングアプリに登録する人、みんな結婚しようと思っているのが偉い。危機感を持てるだけで偉い。
私の望む生き方は、ひとり暮らしでも結婚でもない。実家暮らしの現状維持なのだ。そんな考えを持つ甘い自分が、どうしようもなく程度の低い人間に思えてならない。どうして私はこんな結論しか出せないのだろう。どうして自分は生きるための努力ができないのだろう。どうして努力してみようとすら思えないのだろう。ああ、なんて怠惰な人間。なんて虚しい人生。
胸が苦しくて、息が詰まる。何度目尻を拭っても、涙が溢れてくる。気づけば涙と鼻水が止まらなくなっていた。再び部屋の明かりを点けて、備え付けのティッシュボックスを枕元へ持ってくる。これは何の涙なのだろう。実家暮らしについては、進学や就職で自ら選んだ道のはずだった。今更どうして泣くのか。これが29歳の壁というやつなのか。30歳過ぎたら楽になれるんだろうか。自分が自立していないことは、自分が一番分かっている。でも、現状という名のぬるま湯に浸かっていたいんだ。私はそんなことを考える、いつまでも甘えた人間なのだ。そう思うと、余計に鼻水が止まらなくなった。
私は泣く時、涙よりも鼻水がドバドバ出る。しくしくと綺麗に泣ける人が羨ましい。鼻の皮が擦りむけそうなくらい鼻を噛み続けた。水分が失われた体なのに、トイレには行きたくなる。
何度かベッドとトイレを往復して、ふと気づいた。スマホを手に取り、検索してみる。ああ、やっぱりそうだ。カフェインの過剰摂取の影響には、抑鬱と不安があるじゃないか。そうだ。この涙は、この思考は、全てカフェインのせい。一時的な症状に過ぎない。
ティッシュボックスを傍に、ベッドに潜り込む。早く寝ようと思っていたのに、気づけば深夜1時。すっかり株主総会へのモチベーションが失われてしまった。もう行かずに帰ろうか。何だか楽しくないし。そうすれば、別に早く起きなくたっていい。しかし、私のわずかな理性が自分を説得する。カフェインのせいなら、きっと明日には元通りだ。後で元気になったら、今度は旅を楽しまなかったことを後悔する羽目になる。大丈夫、このまま目を閉じて。体が治るのを待とう。
──翌朝。私のテンションは、全く戻っていなかった。ため息をつきながら、のろのろと支度をする。コメダの特徴である赤いソファに合わせて、私は赤いワンピースを用意していた。今になって思えば、それもしょうもない。馬鹿だな、私って。だが、今日が旅行の最終日なのだから、残る服はこれしかない。
ホテルのスタッフさんは、暖かく私を送り出して下さった。昨日ここにチェックインした時は、まだ楽しかったのにな。
地下鉄に乗り、伏見駅を出る。覚めた自分、冷めた自分が心のどこかにいて、赤いワンピース姿の私をずっと傍観している。それでも、株主総会の舞台、名古屋観光ホテルが近づくと、ドキドキして胸が高鳴った。私は株主総会の参加レポを書くつもりだった。今の精神状態では到底書く気になれないが、いつか書きたくなった時のために、情報を残しておいた方がいいだろう。
株主総会では、コメダの現状や取り組みが報告され、株主たちによる質問が次々と挙がる。運営する側も、参加する側も、コメダというブランドを愛し、更なる発展を願っていた。株主たちの質疑応答を見守りながらも、私は自分を監視していた。現実から逃げるように株主総会を楽しもうとする私が、みっともなくて仕方がない。でも、やっぱり私は、コメダを育てるあたたかい輪が好きだった。コメダへの愛は、現実に対する目眩しなどではない。私の中に、コメダ愛は確かに存在していた。
閉会宣言をもって、株主総会は終わりを迎えた。もう帰ろうか。でも、昼食がまだだ。最後まで楽しまないと。ほとんど義務感で、昨日と同じおかげ庵へ行った。ガッツリ食べる気になれなくて「お雑炊」を注文。優しい味わいが、私の冷めた心を包み込んでくれた。
もう、これ以上は楽しめない。予定より3時間早いが、旅を切り上げて帰ることにした。
新幹線の中、電車の中、家までの帰り道。ひとりで座っていると、昨晩の思考が蘇る。目尻に滲んでいた涙は徐々に溢れ、鼻水も出てくる。
泣きながら帰ってきた私を見て、母はとても驚いていた。何か事件に巻き込まれたのかと心配したらしい。
違う。私が泣いているのは、私がどうしようもなく虚しい人間だからだ。私には何もない。自らの家庭もない。パートナーもいない。ひとり暮らしの生活力もない。高い収入もない。そのくせ現状をどうにかしようという心意気もない。そんな状況でひとり旅を楽しんでいていいわけがないのに、こんな娘で申し訳ない。泣きながら、大方そんなことを言ったと思う。
母は、私が話し終わるまで待ってから、私を抱きしめてくれた。あなたが謝ることなんて何もない。自分で働いたお金で旅行に行くのは、何も悪いことじゃない。あなたが稼いだお金なんだから、あなたの好きに使っていいんだよ。そう言って母は、自分の妹に当たる、叔母の話を始めた。
祖父(母のお父さん)は、私が生まれて間もなく病死した。だから私が覚えている限り、叔母は独身で、ずっと祖母(母のお母さん)と2人暮らしだった。母曰く、その時まだ実家にいた叔母が、祖父の四十九日など、死後のあれこれを担った。そうこうしているうちに、冬になった。祖母は車の運転ができず、ストーブの灯油を運ぶことができなかった。そういった大変な買い物を手伝うところから始まり、そのうち叔母は祖母の世話を続けることになったのだという。時が経つにつれて、叔母は祖母の世話をすることがライフワークになってしまった。親戚付き合いが面倒だからと縁談を断り、ずっと母娘で暮らす日々。それは相互依存だったと私の母は語った。
私の母は専業主婦だ。もしも父が亡くなったら、私と母も、叔母と祖母のような依存関係になるかもしれない。2人の姿を見ているから、母は私に頼る生き方はしたくないのだと言った。私が稼いだお金は親のものじゃない。自分のお金は自分のために使うことを忘れないでほしい。だから、私が自分のお金で楽しむことを申し訳なく思う必要はどこにもないのだと。
母の話を聞いて、私は自分を苛んでいた感情の正体に気づいた。私は、将来への不安が迫ってきているせいだと思っていた。金銭の不安、老後の不安、孤独の不安。しかし、現状お金をもっと稼ぎたいわけじゃないし、家を出たいわけじゃないし、結婚や子育てをしたいわけじゃない。自分の望む生き方は、自分の中でとうに決まっていた。ならば、どうして私は泣くほど追い詰められていたのか。
このままの収入でいいわけがない。実家にいていいわけがない。結婚を諦めていいわけがない。今の生き方を続けることを望む私を、許していいわけがない。
私を苛んでいたのは、「自罰的な感情」だったのだ。
最後に母は言った。あなたが結婚するなら、それは安心できることかもしれない。でも、それが相性の合わない相手だったなら、辛いことになる。だから、どうしても結婚してほしいわけじゃない。自分たち両親の願いは、あなたが親より長生きすること。それが最大の親孝行だよ。
それは、SNSで拡散されるような、受け手の人生を肯定する言葉。そういった投稿と、さほど変わらない内容だ。しかし、投稿と違うのは、私のたったひとりのお母さんが、私だけに向けて発した言葉であること。健康に長く生きるだけでいいと、母の口から言ってくれたことが、私にとってはこの上なく心強く、ありがたいことだった。
だから私は、自分を許すことにした。現状に甘んじて、家を出ず、伴侶を探さない私を。
人生ひとり旅。同行者は募らない。カップルや友人同士で旅行を楽しむ人々を横目に、自分はひとり旅を謳歌する。2泊3日の推し活ひとり旅は、私の生き方を表すようだった。
両親が死んだら?病気などで職を失ったら?心配は尽きないが、旅にトラブルはつきもの。充電器の紛失に備えて、予備の充電器を鞄に入れておくと安心できる。でも、充電器を失くしてからコンビニで買うのだって、決して間違いじゃない。人生もまた同じ。起きたトラブルは、その都度どうすればいいか考えて、対処したっていいはずだ。いつか両親はいなくなり、本当にひとり旅となる日が来るのだろう。その時になってから、どうすればいいか考えよう。
母は、咽び泣く私に、あなたは真面目すぎると言った。そうだね。30分刻みに計画を立て、懸命に完遂するような旅。世間一般に合わないような現状を否定し、自分を罰する人生。私は全てを真面目に捉えて生きてきたのかもしれない。
29歳の壁。不真面目にすり抜けた先で待つ、行き当たりばったりの人生ひとり旅。それを選んだ私を許そうじゃないか。
旅を終えたその日の夜、私はお土産の東京ばな奈を渡し、弟の様子を両親に伝えた。両親には見せない、自分から近況を語る姿勢。2人とも、お姉ちゃんが行ってくれて良かったと喜んでいた。夜は家族でこうやって他愛もない話をして、明日の朝が来れば仕事に行く。そんな暮らしでいい。そんな暮らしがいい。
両親が寝た後、私は親友にLINEを送った。結婚式の友人スピーチを引き受けるという連絡を。ひとりで歩む私に寄り添ってくれる、親切で優しい人たち。そんな人々を、私なりに精一杯大切にしていきたいと思ったのだ。
そして、ノートパソコンを開く。人生ひとり旅。決意とも呼び難い、不真面目で能天気な自己の許容。私の出した答えを、悩めるアラサー女性へ届けるために。人生に追い詰められた誰かが、私の言葉で救われるように願って。
両親の愛を後ろめたく思わなくていい。自分の稼ぎで好きなものを追い求めていい。ひとりがいいなら、ひとりでいい。
推し活も、人生も、ひとり旅でいいじゃない。
読んで頂きありがとうございます!
初の短編投稿ゆえ、至らぬ点があればすみません。