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幻の名君:李建成:08

◯【竇建徳の最期――李建成の願い】


 621年、唐の都・長安は静かに朝の光を浴びていました。あの虎牢ころうの戦いで捕らえられた竇建徳とう・けんとくが、今まさに処刑されることが決まったのです。


 竇建徳はかつて、北の夏国で大きな勢力を築き、唐の李世民り・せいみんと幾度も戦いを繰り返してきました。しかし、虎牢の戦いで見事な戦略により敗れ、ついに捕らえられてしまいました。


 捕らえられた竇建徳は、都の牢獄に入れられ、彼の運命はすでにほぼ決まっていました。多くの人々が彼の処刑を当然と思っていましたが、その中にひとり、強く異を唱えた人物がいました。李建成り・けんせいです。


 李建成は、ただの王族ではありません。かつての戦いで敵となった竇建徳とう・けんとくであっても、命を軽んじることはできないと考えていました。


 「竇建徳も、かつては一国の主だった人物です。命を奪うだけでは、未来に繋がる道は開けません。どうか、彼の命を助けていただきたい。」


 そうして、李建成は唐の中心である長安の朝廷にて、竇建徳の助命を主張しました。彼の言葉には真剣さと、相手を思いやる優しい心が込められていました。


 一方、李世民は冷静に答えました。

 「竇建徳は、長い間我々の敵として多くの命を奪ってきた。許してはならぬ。国を守るため、厳しい処置が必要ですぞ。」


 李世民の目は鋭く、強い決意が感じられました。国のためには厳しさも必要だと理解しています。しかし、李建成の願いを無視することはできません。


 この二人の兄弟の間で、厳しい議論が交わされました。李建成は、敵であっても人の命は尊いと主張し、李世民は国家の安全のためには厳格な判断が必要だと訴えました。


 しかし、最終的には李世民の意見が優先されました。竇建徳の処刑が決定され、長安の城壁の中で、その時を待つこととなりました。


 処刑の日、李建成は静かに空を見上げていました。朝の澄んだ青空の下、彼の心は重く揺れていました。


 「敵であっても、命は命だ。だが、時には非情な決断も必要なのだな。」


 彼は戦いと政治の難しさを深く感じました。国を治めるということは、ただ強くあればよいのではなく、時には心を痛めながらも、正しいと信じる道を選ばなければならないのです。


 長安の静かな朝に、そんな李建成の複雑な思いが広がっていきました。



〇【李建成と李元吉 ―― 兄弟の語らい】


朝の光がさしこむ東の庭で、李建成り・けんせいは一人、白い花を手にして立っていた。

そこには、小さな石碑がある。碑の下には、かつての弟――李玄覇り・げんはが眠っている。


「……あの子は、まだ十五だったな」


建成がつぶやくと、背後からざっざっと砂を蹴る音がした。


「兄貴、来てたのか」


声の主は李元吉り・げんきつ、建成の弟である。長身で、まゆも口調も荒っぽいが、どこか憎めない笑顔を浮かべていた。


「花なんぞ、似合わんかも知れないけどな。おれたちには」


「そうか? 弟の墓前ぐらい、華やかにしてやりたくなるものさ」


建成は花をそっと地に置き、兄弟の石碑に手を合わせた。元吉も、ふだんはしないような仕草で、横に立って頭を垂れた。


「……玄覇も生きてりゃ、今ごろ四兄弟そろって、馬でも競ってただろうにな」


「そうだな。あいつは、体は小さいが、弓はうまかった」


風が吹き、李家の庭に立つ柳の葉が、さらさらと音を立てた。


兄弟は並んで歩きながら、屋敷の奥へと向かっていった。


「なあ兄貴、李家の兄弟って、いったい何人いるんだ?」


「ふふ……父上のお子は多い。異母の兄弟姉妹も入れたら、二十人近くになる」


「へえ、そんなに。顔も名前も、ぜんぶは覚えてられねえな」


「だが、母上――竇皇后とうこうごうさまの子は、私と、お前と、世民せいみんだ」


「つまり、兄貴と、おれと、あの李世民の三人だけか」


元吉が唇を歪めた。「……気に食わねえんだよな、あいつ」


建成はふっと笑った。


「世民は、たしかに少し才気走っている。だが、武にも才にもすぐれた弟だ。誇ってやるべきだろう」


「おれは、兄貴の味方だよ。あいつがどれだけ偉かろうと、兄貴が長男で、皇太子こうたいしだ。それで、いいんだ」


「ありがとう、元吉。だがな――」


建成は立ち止まり、弟の肩に手を置いた。


「父上のあとを継ぐ者は、兄弟で争って決めるものではない。民のため、国のために、誰がふさわしいかで、決まるべきなのだ」


元吉は、鼻を鳴らした。


「兄貴は、そういうとこが……きれいすぎる。だが、だからこそ、おれは兄貴が好きだよ」


夕暮れにはまだ早いが、空にはうっすらと雲がかかってきていた。


兄弟はしばし、黙って並んで歩いた。


過ぎ去った弟のこと。これからやってくる未来のこと。

それぞれの胸に、いくつもの思いが浮かんでは、また静かに沈んでいった。



〇【父と子――李建成と高祖の語らい】


夕暮れどきの長安の御苑ぎょえん

春の風に舞う梅の香りが、静かに石畳を渡っていく。


李建成り・けんせいは、宮中の東庭に足を運んでいた。

そこには、父――唐の皇帝となった李淵り・えんが、のんびりと酒を酌んでいた。


「……また、お妃さまを新しく迎えたとか」


「ふむ? ああ、そんなこともあったな」


建成の声には呆れがまじっていたが、李淵は肩をすくめるだけで、何も気にしていない様子だった。


「父上、帝の位とは、そんなに軽いものなのですか」


「軽くはない。だがな、皇帝が笑うことも必要なのだ。女の一人や二人で、気が晴れるなら、安いものだろう?」


「……はあ」


建成は、ため息をついた。


二人は歩きながら、庭の奥へと進んでいく。空には夕星が一つ、また一つと瞬いていた。


ずい煬帝ようだいも、最初は立派なことを申しておりました。だが結局、宮殿ばかりを飾り、舟遊びに明け暮れ、民の苦しみには背を向けました」


「うむ、煬帝は、女と酒と欲と……やりたい放題だったな」


「その後を継いだ我らとうは、違わねばなりません。父上、どうか、ご自身を律してください。今こそ、正しい道を歩むときです」


李淵は黙った。少しだけ酒を置き、じっと息子の目を見つめる。


「……お前は、昔から真面目すぎる。まるで我が父の再来のようだ」


「父上……!」


建成が声を強めると、李淵はようやく苦笑を浮かべた。


「だがな、建成よ。お前がいてくれる。世民せいみんもおる。ふたりがいれば、この国は安泰だ。そう思って、私は安心しておるのだよ」


「……私も弟も、できる限りのことはいたしましょう。しかし、父上、お願いです。元吉げんきつや、他のご子息たちのことも、どうか忘れずにいてください」


李淵は、少し驚いたような顔をした。そしてうなずいた。


「……そうだな。妾腹の子らも、皆わが子だ。建成、お前がそう言ってくれるとは……誇らしい」


建成は、まっすぐに父を見て、静かに頭を下げた。


「父上。唐の道は、まだ始まったばかりです。皆で、力を合わせて、良き国を築きましょう」


その夜。宮廷の空には、ひときわ大きな星が輝いていた。

父と子――二人の言葉は、春の風に乗って、長安の城壁にそっとしみ込んでいった。

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