幻の名君:李建成:04
〇「太子、天下を見渡す」
その日、長安の空は晴れていた。
李建成は文官たちの報告をうけたあと、ひとり地図の前に立っていた。
唐の都を中心に、色とりどりの印がついている。
それは――まだこの国が、完全にはまとまっていないというしるしだった。
「……天下は、まだ乱れているな」
建成は、つぶやいた。
都では父・李淵が皇帝となり、自分も太子となっていた。
弟の李世民は各地の戦に出て、名を上げつつある。
しかし、この国のすべてが唐に従っているわけではなかった。
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ひとつ、北のほう――薛仁杲という将軍が、旧隋の名をかたり、独自に力をふるっていた。
「隋はまだ生きておる!」と叫び、唐に従おうとはしない。
「彼は義の将に見えて、ただ自らの地位を守ろうとしているのですな……」
建成の目が静かに細められる。
そして、東のほうには、竇建徳。
農民あがりだが、義を重んじ、民にやさしいと評判の男。
「民の心をとらえた者は、あなどれぬな……」
さらに南には、蕭銑という貴族の末えいがいた。
「わたしこそ正統の皇族ぞ」と、江南で勝手に皇帝を名のっていた。
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「……あちこちが、好き勝手に『王』を名のっておる。ならば唐は、どうするべきか」
文官たちは、黙って建成の言葉に耳をかたむけていた。
「武だけで制するのは、むずかしい。
しかし、信と義をもってすれば、彼らもまた道をえらぶであろう」
そう語る建成の声は、若くして太子となったとは思えないほど、落ちついていた。
「世民には兵を。私は書と道理をもって――唐の名を広めよう」
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夜。
建成はふたたび地図を見つめていた。
戦いだけでは、国は治まらぬ。
だが戦いなくしては、国も守れぬ。
「父上は国を建て、世民は地を開き、わたしは柱となる」
そうつぶやいたとき、夜風がふっと吹き抜けた。
地図の上の唐の印が、まるでゆっくりと広がっていくように見えた。
〇「太子、民の声を聞く」
「太子さま、今日は南市をご覧になりますか?」
その日、李建成はふだんの太子らしい装束ではなく、目立たぬ服を着て、都の見まわりに出ていた。
「よい、案内せよ」
高い城壁と、まっすぐにのびた道――
ここは長安、唐の都。
だれもが「天下第一の都」とたたえる、大きな町であった。
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南市は、いわば町のにぎわいの中心。
野菜や果物を売る人、布をひろげて商売する人、読み書きの教え子をつれて歩く学者……。
「これが、都のちからか……」
建成は、人々のあいだを歩きながらつぶやいた。
貧しい者もいれば、裕福な者もいる。
でも、どの顔にも、どこか「希望」が見えた。
――それは、戦の世がようやく終わり、唐という国がはじまったばかりだからだった。
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「太子さま、こちらをご覧くださいませ」
ある老人が、通りのすみに腰かけていた。
目の前には、大きな巻物。
「これは?」
「新しき政の法でございます」
それは、建成の父・李淵と、役人たちが作りあげた唐の法律だった。
誰でも読めるよう、広場にひろげられ、くわしく書いてあった。
「租・庸・調……か」
※租=田んぼの税 庸=労働のかわりに出す布 調=特産品の税
「人びとが、重すぎぬ税でくらせるように。
それが、父上のお心じゃったな……」
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唐の政治は、いままさに形づくられようとしていた。
民に優しい税を。
学問を重んじる仕組みを。
まじめな者が官吏になれるよう、試験の道を。
そして何より――
「民が安心して暮らせる国」をめざしていた。
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夜になって、建成は宮殿にもどった。
父は政務にいそがしく、弟の李世民は遠征の地にある。
自分には何ができるのか。
「太子として、民の心に耳をかたむけよう。
わたしは戦う剣ではない。
だが、国の柱にはなれるはずだ」
月の光が、長安の屋根を白く照らしていた。
建成の心にも、静かな光がともっていた。
〇王世充との戦い――619年
「父上が唐の国を立てたからには、私も負けるわけにはいかない。」
李建成は心に強く誓いました。彼はまだ若いけれど、もうすっかり長安の朝廷の中心で働いていました。政治のことも学びながら、兄として家族を支える責任も感じていたのです。
しかし、唐の周りにはまだまだ強い敵がいました。そのひとりが王世充という人物です。
王世充は隋の時代からの豪族、つまり地元で力を持つ支配者でした。今は関中、今の陝西省のあたりで大きな勢力を築いていました。
唐が長安を支配し始めたとき、王世充はそれをよく思っていませんでした。だから、彼は兵を集めて唐に挑んできたのです。
「王世充の軍は手強い。でも、父上のためにも、この国の未来のためにも、我らは負けられない。」
李建成は朝廷の人たちと何度も話し合い、軍の指揮を支えました。長安を守るだけでなく、敵の勢力を少しずつ削っていく戦いは、激しく長く続きました。
そんな中、李建成はもう一つの重要な役割も担っていました。
それは、「補給」です。
戦いでは、兵士たちに食べ物や武器、矢じりやお金を絶やさず届けることが大切でした。いくら勇敢な兵士でも、食べるものがなくなったり武器が壊れたりすれば、戦い続けられません。
李建成は、その補給の準備と調整に目を光らせていました。
「兵士たちの力は、食べ物や道具があってこそ。しっかり支えよう。」
彼は村や町の人たちに声をかけて食料の協力を得たり、遠くから穀物や兵器を運ばせたりしました。さらに、負傷した兵士のための薬や休む場所の用意も忘れません。
補給がうまくいくことで、唐軍は長く戦い続けることができたのです。
戦いの合間、李建成は弟の李世民とも情報を交換しました。李世民は軍の指揮をとり、前線で戦っていたのです。
「兄上、補給のおかげで兵士たちの士気も高いです。王世充を打ち負かせるかもしれません。」
そんな言葉に励まされ、李建成は長安での政務をしっかり行いながら、王世充に対する対策を考え続けました。
この戦いは、唐にとって初めての大きな内戦でした。だが、この困難を乗り越えられなければ、新しい国の未来はなかったのです。
李建成は、家族と国のために戦い続ける覚悟を新たにしました。