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2 狐耳の少女

 それから、その白い仔狐はたびたび九郎の前に姿を現すようになった。

 九郎が山菜を集めに山へ入れば後を付いて歩き、川釣りをしていれば隣に座り込む。でもどんな時も、やっぱり近くに親はおらず、仔狐も一人ぼっちだった。


 そして仔狐は、九郎が驚くほどに不器用だった。

 歩けば石や木の根に(つまず)き、穴に落ちる。釣った小魚を九郎が投げてやれば、するりと逃げられ川に落とした。

 この様子じゃあ、一人で(えさ)も取れないだろう。だから、食いもん目当てにおれんところに来ているに違いない。

 落ちた穴から仔狐を助けながら、九郎はそう思った。


 でも嫌な気は全くしなかった。母親が死んで、九郎もずっと一人ぼっちだった。

 村の衆は、九郎が畑を手伝いたい、野菜や穀物を買いたい、山の幸や魚を買ってほしいと言えば、望むようにはしてくれた。でもそれだけだ。それ以上は九郎に関わろうとしなかった。

 用が済めばよそを向いて、それ以上は天気の話すらしようとしない。まるで、敢えて関わりを避けているかのように。


 もちろん、この仔狐のようにわざわざ訪ねてくる者もいなかったし、隣に座ってくれる者もいない。九郎と親しくしてくれる者は、この仔狐以外にいなかった。

 だからむしろ、九郎は仔狐と出会うのが楽しみになっていた。でも少し……ほんの少しだけ欲が出た。


「おまえと話ができたらなぁ」

 人の言葉が、畜生(ちくしょう)に通じるわけはないとわかってはいる。でも九郎は、つい仔狐に向かって言葉を零した。

 仔狐は何を言われたのかもわからぬようで、ただ首を傾げて九郎の顔を見上げていた。


 * * *


 ある日、いつもの様に山へ出かけた九郎は、少女に出会った。九郎よりずっと幼い、まだ十にもならないくらいの少女で、まるで老人のように真っ白な髪をしている。


「何をしているの?」

 はじめて出会ったというのに、少女は九郎を恐れる様子もなく声をかけてきた。

「きのこをとっているんだ」

「ふうん、そんなものをどうするの?」

「もちろん、食うんだ」

「へえ、こんなの食べられるんだ?」


 そう言いながら、少女は九郎の持つ籠の中のきのこをむにむにと突く。

「そりゃあそうだ、おまえは――」

 食ったことがないのかと尋ねようとして、そこで言葉を止めた。少女の着物の(すそ)から、ふさりと毛の生えた白い尾が見えたからだ。そう言えば、髪飾りにみえたのも、白い狐の耳だ。


 もしや、この娘はあの仔狐の化身ではないだろうか。九郎は少し考えたが、それを口には出さなかった。

 正体が知れても良いのなら、自分から言うだろう。言わないのならわざわざ詮索(せんさく)するのも野暮(やぼ)というものだ。

「おまえ、名前は?」

 そう尋ねると、少女はきょとんとしたような顔をした。

「シロ」

 ただ一言、そう答えた。

 それは名前でなく、毛の色のことを答えたんじゃないか。九郎はそう思ってなんだか可笑(おか)しくなってしまった。


「おまえは?」

 今度は少女に尋ね返される。

九郎(くろう)

「クロか、そうか」

 そう言って九郎の黒い髪に視線を移すと、少女は嬉しそうに(うなず)きながら笑った。


 別に自分の毛色を答えたわけじゃあない。でもシロは何やら嬉しそうに笑っている。狐の耳はぴくぴくと動いているし、尻尾は嬉しそうに揺らいでいる。

 それがとても愛らしく思えて、喜んでいるのならそう思われてもいいかと、九郎も笑った。


 しかし、どうしてあの仔狐が人の姿になったのかはわからない。もしかしたら山の神が自分の願いを聞いてくれたのではないのだろうか。


 九郎の住む山には山神様がいるのだと、村ではそう言われている。この山の恵みが多いのも、山神様のお陰なのだと。

 後で山神様の社に礼の品を持っていこう。そんな事を考えながら、さらに山を歩いた。


 その後も、シロは九郎の後を付いて回った。人の姿になっても、やっぱりシロは粗忽者(そこつもの)だった。

 九郎の後を追おうとしては、石や木の根に(つまず)く。狐の時に落ちた穴に、人の姿でもまた落ちそうになった。


「危なっかしいなぁ、ほら」

 九郎が少女に向かって差し出した手を、シロは不思議そうな顔で見た。

「ほら、手を繋いでやるから」

 そう言うとようやく、にこりと笑って九郎の手を取った。


 * * *


 この頃はやけにお天道(てんとう)様の機嫌が良く、代わりに雨雲は全く姿を見せなくなった。

 日差しは村の田畑を乾かし、作物を枯らしていく。村人は雨の代わりにと懸命に桶で川の水を運んだ。


 九郎も村人たちと一緒になって朝から晩まで川の水を運んだ。

 でもどれだけ水を運んでもまだまだ足りない。一日中田畑の手伝いをして時間をとられている分、山に入る機会も少なくなった。


 シロはそれが不満のようで、久しぶりに会った九郎の手を引きながら頬を膨らせた。

「なんで来なかったんだ? 何かあったのか?」


 人の姿をしていても、その正体は山の獣だ。人とは成長の仕方が違うのだろう。

 しばらくぶりに会ったシロは、最初に会った時よりも少し大きくなっていた。今は、十を少し過ぎたくらいの少女に見える。

 最初に会った時には、幼い少女だったのに。九郎はその姿に少し戸惑いながら答えた。


「雨が降らないから、畑に水をやらないといけないんだ」

「雨が降らなくて困っているのか? なんでだ?」

「そりゃあおまえ、雨が降らなかったら田んぼや畑の作物が育たないだろう」

「なんで育てるんだ? 食べ物なら、山に沢山あるのに。クロのようにきのこや魚をとればいい」

「それだけじゃあ、足りないんだ」

「なんでだ?」

「村の田畑は領主様の物だからな。おれたちは領主様から田畑を借りる代わりに、年貢を納めないといけない。作物が育たなかったら、年貢が足りなくなって(ばっ)せられるんだ」

「ふうん、人間は面倒くさいんだな」

 シロはそう言うと、少しつまらなそうな顔をして天を仰いだ。


「クロ、雨を降らせてやろうか?」

「え? できるのか?」

「できる」

 そう言って、シロはえへんと言うように胸を張ってみせた。

「でもちょっとだけ、クロの手伝いが必要」

「うん? おれが手伝えばいいのか? どうすればいい?」

 九郎がそう言うと、シロは九郎の手を引いて大きな木の下に連れていくと、にこりと笑って両手を広げた。

「おらのこと、ぎゅーってしてくれ」


 その言葉と笑顔に、九郎の心は少しだけ高く鳴った。

 シロの正体があの白い仔狐だろうと、九郎は思っている。仔狐のシロのことなら、胸に抱いたことだってある。でも今はそれとは全く状況が違う。

 今のシロの姿は少女のそれで、しかもとても愛らしい。言われるように抱擁(ほうよう)してもいいものかと、九郎は混乱するほどに戸惑った。


「そ、そうしないとダメなのか?」

「ああ、ダメだ。雨を降らせてほしいんだろう?」

 シロはそう言うと、さあさあと促すように広げた手を九郎に示した。


 九郎は戸惑いながらも、ぎくしゃくとシロの体に両の手を回す。ままよと思い切って、その両手に力を入れると、小さなシロの体は九郎の(かいな)にすっぽりと収まった。

「ふふっ」

 シロの声が九郎の胸元で聞こえた。途端にまた九郎の心音が跳ねる。その音が聞こえてしまいやしないかと、また変な緊張をしている。


「もっとぎゅーってしてくれ」

 これ以上心臓が高鳴ったら壊れてしまうんじゃないか。そう思いながらも、言われるままにシロの体を強く抱きしめる。シロの髪からは、お日様の匂いがした。

 シロも九郎の背中に手を回して、ぎゅうと力を込める。


「嬉しいなぁ」

 そう言うシロの吐息が、九郎の胸元にかかった。

 九郎の頭が真っ白になりかけた時、その耳に水の落ちる音が聞こえた。雨音は次々に地面を叩き、二人の居る木の枝を葉を打ち鳴らしていく。

「ほおら、雨が降っただろう?」

 そう言って、シロはまた九郎の胸に顔を(うず)めた。九郎はそんなシロを抱きしめたまま、しばらく動くことができなかった。

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