表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

1 ひとりぼっちの少年と仔狐

元々体の強くなかった母は、先の冬の寒さで風邪を引き、そのまま肺を(わずら)って呆気(あっけ)なく死んだ。

 物心ついた頃からもう父親もなく、九郎は一人ぼっちになった。


 一人ぼっちだと言っても、もう(わらし)ではない。もうすぐ十五になる。一人で暮らせぬ歳でもなければ、働けぬ歳でもない。

 幸いにも、九郎の住む小屋が建つ山の実りは豊かだ。村人に言えば田畑の手伝いもさせてもらえる。釣りも得意だし川で魚を釣ることもできた。



 その日も、九郎は釣竿を持って山に入った。いつもの様に川べりに腰を下ろし、釣り糸を垂らして数尾釣り上げた頃、九郎の肩にぽつりぽつりと雨が落ちてきた。

 さっきまでは雨が降るような空ではなかったのに。空を見上げるとまだ明るい。

 通り雨だろう、きっとすぐに止む。垂らした糸を上げようかと少し迷ったが、そのままでいることにした。


 ふと、誰かが泣いている気がして辺りを見回した。

 釣竿を置いてその気配のする方へ進んでいく。川べりから木立に入っていった先の、茂みを抜けると、踏み出した足を付く地面がなかった。


「おっと」

 すんでのところで立ち木に(つか)まり、体勢を整える。地面が大きく(えぐ)れていて、そこそこ深い穴になっていた。しかも穴の底の土が雨水を含んで泥水になっている。

 自然に出来たものか、それとも山の獣があけた穴なのか。もし自分が落ちてもどうにか登れるだろう程度の深さだが、この雨でぬかるんでしまって登るのには骨が折れるだろう。


 と、穴の底で何かが動いた。泥水の中、土くれに見えていたものは、どうやら生き物らしい。(うさぎ)かなにかだろうか。

 そういえばここしばらく、食べた肉は川魚ばかりで獣の肉を食べていない。あれを捕らえて家に持ち帰ろう。

 腰に(くく)り付けてあった縄を、近くの木に結びつけ、三度引いて確認する。草履(ぞうり)を脱ぐと、縄に掴まりながらずずずと穴の底へと降りた。


 穴の底に素足を付けると、足の指の間にぬるりと泥が入ってきた。

「うげぇ」

 つい声が出た。それが聞こえたのか、その前から気付いていたのか、また土くれがぴくりと動いた。

 やっぱりまだ生きているようだ。その獣を泥の中から拾い上げた。


 そいつは丁度、両の手で抱えるくらいの大きさだった。大きさからして兎だろうと思ったが、どうやら違うようだ。兎の様に耳は長くないし、兎よりも尾がずっと長い。

 と言っても、今はその耳も尾も泥にまみれてぺたりとしてしまっている。


 このままじゃあ何の獣かもわからない。九郎はその獣を懐に仕舞い込むと、縄を伝って穴をよじ登った。

 釣りをしていた川べりに戻り、泥に汚れた自分の身と一緒に獣の体を洗う。泥がとれると、その下から白い毛皮が現れ、ようやくその獣の正体が知れた。


「こいつは、狐か」

 白狐、しかもまだ幼獣だ。本当ならまだ親と一緒にいるような年頃だろう。

 穴に落ちて親に見捨てられたのか、それとも一人で遊んでいて穴に落ちてしまったのかもしれない。

 いずれにしても、もしや自分と似た身の上ではないか。そう思うと、この仔狐がなんだか可哀そうに思えてしまった。


 まだ濡れている仔狐の体を、手ぬぐいでできるだけ(ぬぐ)ってやる。少しでも温かくしてやろうと、両の腕に抱きその体を(こす)ってやる。

 もうすぐ日も暮れてしまう。辺りが暗くなる前に家に帰って、火を起こして温めてやろうと、九郎は山道を家に向かって歩き始めた。


 * * *


 この山の奥には山神様の(やしろ)がある。九郎の小屋は、その社から(ふもと)の村に向かう途中の山道の(はた)にあった。


 小屋に帰ると、九郎は()囲炉裏(いろり)に火をくべた。

 渇いた手ぬぐいで仔狐をくるみ直して、自分の濡れた服を着替えると、火の前にどっかと腰を下ろした。

 仔狐を手ぬぐいで擦っていると、ようやく冷えていた仔狐の体も温まってきた。


 まだ息はしているようだ。でも目を開く様子はない。

 このまま死んでしまったら、そん時はおれが食ってやろう。でもせっかくここまでしたのに、そうなってしまうのはちと寂しい。

 そんな事を考えながら仔狐の体を擦っているうちに、九郎はいつの間にか眠ってしまった。


 * * *


 ぶるりと体を震わせて九郎は目を覚ました。

 すっかり朝になっていて、囲炉裏の火はとうに消えていた。そういえば、両の手で抱えていた仔狐の姿がない。ここに居ないのなら、死んだわけでない。きっと先に目を覚まして逃げてしまったのだろう。


 そう思った時、カタリと音がした。

 音のする方を見ると、土間の隅に置いてある(かご)の後ろから、小さな白い狐が顔を覗かせている。様子を窺うかのように、九郎の方をじっと見ていた。


「元気になったようだな」

 畜生相手に人の言葉が通じるなどと、思ったわけではない。でもあまりにも純粋な瞳でこちらを見ているものだから、ついそんな風に話しかけた。


「腹が減ってるんじゃないのか?」

 そう言えば、昨日釣った魚がある。そのうちに食いでのない小さいヤツがいることを思い出した。

 そんな小さな魚でも、貧しい身にとっては貴重な食料だ。でもなんとなく、本当になんとなく、それをこの仔狐にわけてやりたくなった。


 九郎が投げた小魚を、仔狐はしばらく警戒して見ていた。

 ようやくそろりと籠の後ろから体を伸ばすと、口先でぱくりと小魚を咥え、また急いで籠の後ろに逃げ込んだ。


 別にそんなに怖がらなくてもいいのに。

 だが、あんなに幼い狐ではしかたないだろう。親ともはぐれ、ひとりぼっちの仔狐が、見知らぬ人間の家で心細くないわけがない。


「なあ、もしかしたらおまえも親がいないのか?」

 その言葉に、仔狐はちらりと九郎の方を確かに見た。

 でも、すぐに外方(そっぽ)を向くと素知らぬ振りではくはくと小魚に(かじ)り付いた。結局、仔狐は二尾の小魚を九郎から貰って平らげた。


「腹が膨れたら、山に帰るといい」

 九郎が木戸を開けてやると、仔狐は少し迷った様子で籠の裏から出てきた。

 そして一度九郎の方を見上げると木戸から飛びだし、白い尾を振りながらそのまま山の中に消えていった。

お読みくださりありがとうございます。


一万文字ちょっとの短い物語ですが、お付き合いよろしくお願いいたします(*^-^*)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ