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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
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ー9ー

パンを食べたいだけだった


「では、執行を確認するため同行します。準備をしてください。外で待っています。シノダの誘導はおまかせを……」カナデは背中をむけた。

「ユヅキにやらせることねぇだろ! テメェで始末しろ!」

「あくまで提案ですから。拒否したいならどうぞ。あしたからこの店は閉店になりますが、それでもよければ」


 どうしたって、ユヅキに人殺しをさせるつもりだ。

 理不尽で、話の通じない女——。


「純政府ではない人間に殺してもらったほうが、都合がいいんです」


 カナデはやわりと笑んだ。


「あすの日が昇り、コウ・シノダひとりの遺体が転がっているのをデシカントのメンバーが発見する。純政府がやったかもしれない。そうじゃないかもしれない。だれの仕業かはわからないけれど、デシカントのメンバーである以上、自分がこうなるのはあすのことかもしれない——。そんな不透明な恐怖を組織に与える必要があるのです」

「おれの弟は……、あんたらが弄ぶチェスのコマじゃねぇ!」


 怒号とともに、キヅキは柄に手をかけた。


「あら、わたしを殺しますか? 純政府が黙っていませんよ」

「だったら純政府全員ぶっ殺してやる!」

「くっ……、あっはは!」カナデは片手の甲を口に当てて、「おもしろい、素晴らしいジョークですね、ひさびさに心から笑えました。ありがとうございます」

「兄貴、よせ」ユヅキは落ち着いている。「ずっと気分わるかったんだ。おれ、実は犯罪者なんだよなって。これでなくなるなら、いいさ。いいんだよ」

「ユヅキ……」

「な……、いまはそれしかない。わかるだろ」

「くそ、くそぉっ!」


 やりきれない怒りを、キヅキは煮えたぎる胃酸で焼こうと必死だ。ユヅキは支度のために別室へ行った。


 すたすたとヒールを鳴らし、カナデも去ろうとする——しかし軽く振りむいて、キヅキに聞こえる声で言った。


「そうそう。武器情報を純政府に届ける旨、市長から依頼があったと思いますが。それも発信源はわたしです。市長も手足として動いてくれただけですので。仲間やあなたが死ぬかもしれない危険な依頼を、つつがなく遂行してくださり、感謝しています。支部長さん」


 自分の大切なネシティたちですら、最初からこの女の手駒だった——。ついに怒りを抑えられないキヅキは、近くにあった椅子を蹴った。


「ああ、いいご身分でうらやましいね! くそがっ!」


 あらかた暴れると、今度は意気消沈した様子で、壁に背にして座りこんだ。


「なにが開示義務だ……。遠くで働くパパが読むまで、絶対開けないでね、開けたらだめだからね、って。子供がそうやって書いた手紙を、五年前のユヅキは守っただけだろ……。その見返りが人殺しってか、あ!? くそぉっ!」


 キヅキはもう一度壁を殴った。鈍く、虚しい音がひびく。


「ああ、これが純政府のやりかただよ……」


 武力による、心身の抑圧。

 権力による、行動の操作。


 情報に対する神経質。

 貪欲さ。

 安定した理不尽。


 秩序を維持する代わりに他者の心など意に介さない、邪魔者はあらゆる手段で排除する。


 そしてやつらには、民間が書いた手紙を読みあさる権利がある。

 権力が、力が、他人の文面を無作為に舐めまわす——

 脳裏に紙喰いのすがたが去来する。


「まったく、そっくりだな……」


 薄暗い天井でまわるシーリングファンをぼやりと見つめ、キヅキはつぶやいた。


 ・…………………………・



 想像していたよりも、ひどい話だと思った。

 ユヅキは殺しをやらされた、ということか。


 そしてどういった経緯にせよ、小説を一冊手に入れるにいたった。殺した人間の持ち物だったのか、殺しの報酬で買ったのか……。なんにせよ、掘りさげておたがいがご機嫌になる話ではない。


「おれは純政府のことを、なにも知らないのかもしれない」

「おれも、わかんねぇわ。あいつらのことは」


 ユヅキはコーヒーカップのなかをぼやりと見つめる。立ち昇っていた湯気はもう見えない。


「逆らうと損をすることはたしかだ。セト……、おまえも気をつけろ。ネシティは自由なようでそうでもない。この世の人間はすべて、よほどの世捨て人でもなければ、純政府の管理下にある」


 純政府の人間はいつもライフルを持って、街周電気柵の周囲を警備しているイメージがある。


 仕事の最中に遭遇したとしても、ネシティの免許証を見せれば大概はやりすごせる。手紙の内容を強制的に確認されるような場面には出会でくわしていない。


 ユヅキが話したように、工作員だなんだと裏の人間がいると思うと……。とたんに組織の見えない闇が肥大して、頭の上から覆いかぶさってくる感覚がする。なるべくなら関わりたくない、とは常々思っていたが——。


 さっきまでは温かかったマグカップが冷えてしまった。すぐにコーヒーをすする。アイスにもホットにもならない、中途半端な味がした。にしても舌触りはよかった。淹れ方がうまいのだろう。


「なぁセト。純政府はどうして手紙の中身を見たがるんだと思う?」

「さぁ。考えてもどうしようもない、そういうものだとしか……」

「あいつらは無駄に飢えているんだ」

「無駄に飢える……?」

「小説や架空の物語は、人類の叡智にとって無駄なものだから、純政府は回収した。表向きはほぼ焼却したことになっている。——だがそうじゃない。楽園に入ったことはないだろう?」

「もちろん……」


 ——大都市アトラ。さらにその中心、楽園とよばれる高級住宅街。楽園の中央で、城のようにそびえ立つ高層ビルは、純政府の本部といわれている。この世でもっとも安全で、尊大な建物だ。


「そこに偉い連中が集まって、悠々自適に暮らしているのさ。小説や漫画を好きなだけ読み漁りながら……」

「富裕層だけが暮らせる、下界の民が知ってしらない楽園——」

「だな」

「純政府に頼んだ郵送には、何度か文面検査が入る。まさかと思っているが、楽園に住んでいる人間にとって《《おもしろそう》》な手紙は、一度そいつらの手に渡っているのか?」


 おれが言うと、ユヅキの顔つきが鋭くなった。肩の上下が大きくなったところを見ると、なにかいやなことを考えているようで。


「おれもその線が正しいと思っている。小説やなんかは、ほとんどが過去の遺物だ。地球にムラサキの棘がびっしりと生える前のな。二〇〇年前に文明が崩壊してから、よほどじゃないと新たな書籍なんて作られちゃいない。作られたとしても、買えるやつなんてひと握りだ。だが——現代を生きる人間が書いた手紙は、それこそがノンフィクションであり、ひとつの作品ともいえるだろ?」


 いまを生きる人間のリアルな物語が手紙の中にある。過去に書かれた小説よりも生々しくて、読みごたえのある《《コンテンツ》》が……。


「検査といいつつ、他人の手紙をただ単に堪能しているだけだとしたら……」


 楽園のどこで、どんな風に、文面検査が行われているのかは想像できない。純政府本部ビルのオフィスに流れて、頭の固そうなやつがルーペ片手に検査しているのかもしれない。楽園に住む脂だらけのおやじが酒を片手に、ビーチパラソルの下で読んでいるのかもしれない。若い女たちがこぞって他人の手紙を読んでは嘲笑をたれ流して遊んでいる可能性もある。


 いずれにしても、他人の手紙を見るなんて趣味がわるい。


 おれはコーヒーを喉に流した。空のカップをテーブルに置く。


「純政府が文面検査をする理由……、表向きは治安維持のためらしいな」


 ユヅキはうつろな視線をテーブルに落とす。


「だがどうだ。ただのラブレターが三度の文面検査を受けた例もある。届いたときには、でっかいハンコが三つも押されていて、ロマンスもへったくれもなかったって、ハナシ」


 冗談のようなケースだが、実際に手紙のやりとりをしたカップルにとっては大問題だ。


「一世一代の愛の告白だったかもしれねぇだろ? 読んだことねーけど、シェイクスピアばりの。それがいざ開けてみたらハンコだらけ——」

「……萎えるな」

「だろ? 狂ってるよな」


 へっ、と笑いながら、ユヅキはコーヒーを飲み干した。


「おかわりいるか?」

「大丈夫だ。あまり飲むと寝られなくなる。あしたの仕事に影響する」

「そっか、それもそうだな。お、そういや……」


 なにかを思いついたのか、ユヅキは席を立った。


「せっかく会えたのに暗い話ばっかってのも、おもしろくねぇ。見せたいもんがある。ちょっと待ってろ」


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