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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
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ー8ー

パンを食べたいだけだった

「最近は会ってない。最後は三年前か。大きな仕事があって、そのときに協力したことがある」

「まさか、デシカントの?」

「知ってるか、さすがだな。ネシティでもかぎられたもんしか知らないはずだ」

「おれも関わるはずだった。だがキヅキが反対した。まだ若いから死ぬことはない、と言って……」

「兄貴らしいな」


 その仕事は、反純政府を語る組織——デシカントが大量の武器を集めているという重要な情報を、純政府本部へ運ぶものだった。


 情報は無事に純政府へと伝わり、大規模なクーデターは未然に防がれた。いわば紛争になりえたものが。


 おれも偽のはと——影武者のようなもので、敵の標的を分散させる目的で使われるデコイとしての役割——として仕事に参加するはずだった。だかあまりに危険な仕事だったため、キヅキが反対をした。


「あんだがデシカントの武器情報を運んだのか?」

「それをやったのは兄貴だ。おれのは……、どう説明するかな。純政府のスパイに頼まれて、デシカントのスパイに郵便を届けていた……、というのが主な仕事だったな。いま思うと」


 どうも釈然としない語り口だ。


「おれはいいように使われてたんだよ。純政府に弱みを握られていた」



 ・…………………………・


 雨音は激しさを増すばかり。街は夜闇に包まれている。フードを目深に被った男がひとり、書店へとつづく地下室への扉を開けた。その足取りは忙しない。


 中に入ると、カウンターに地図を広げたユヅキが待っていた。いつでも消せるように、照明はランタンだけだ。


「本部に手紙は届けられたのか?」ユヅキがたずねる。

「ああ。本部っつうか、その手前の楽園までだけど」


 キヅキはフードを脱いだ。背後に水滴が飛ぶ。彼はするどい視線を地図に突き刺した。


「明朝にもこの街に駐屯する純政府が装備を固めて、R地点に攻め入る。その後、数時間以内にアトラからの応援が到着する。デシカントは文字どおり根絶やしだな」

「R地点の件、こっちもシノダに伝わっているはず、なんだが……」

「どうした?」

「一週間ほど、シノダの行方がわからない」


 不安そうにユヅキは言った。

 思わず、キヅキの口から舌打ちが漏れた。


「あいつはデシカントだ。純政府に身を置いたのも、けっきょくはデシカントのためだ。ひいては純政府をぶっ壊すため……。同士が決起しようってときに、自分だけ逃げるわけがない」

「それが……」ユヅキは視線をそらして、「受取人としてのあいつは、純政府に未練があるように見えた。政府特有の生ぬるい贅沢生活に味をしめたのかもしれない。最初の依頼があってから、ふた月ちかく……。依頼を通して何度か会っているうちに、そんな気配を感じた」


 そんなことあるのか——口から出さずとも、キヅキの顔は怪訝に満ちた。


「ありえるか……?」キヅキは苦笑いを見せる。

「さぁ……」ユヅキは眉をひそめた。「もしもやつが、完全に純政府側の人間になっていたら?」


 それこそがいちばんにありえない、とキヅキは思っていた。純政府に入り、訓練だらけの生活をこなしたのも、いつかデシカントが純政府に一泡吹かせる日が来ると信じていたからだ。それがシノダの動機であり、心の支えだったはず。


「もういい」キヅキは雑念を振り払った。「おれたちはネシティとしての仕事をした。あとのことは考えても仕方ない」

「……これ以上なにも起きないことをねがうぜ……」


 どうにも落ち着かない。だが、この後に起こる両者《デシカントと純政府》の紛争に加担する予定などない。ネシティは情報を運ぶだけ。あとは依頼料を受け取るのみだ。


 煙のようにまとわりつく不安を感じながら、ふたりはまず息を整えた。肩の力も抜こうとする。


 しかし外からの足音が近づく。この豪雨を歩くにしては非常に落ち着いていて、上品な足取りの持ち主は地下へ降りた。背筋は美しく伸びており、黒い傘と赤いヒールが似合う。


 訪問者を察したふたりはランタンの火を消した。地図はたたんで懐にしまった。双方、腰の剣に手を掛ける。


「警戒せずとも大丈夫ですよ」女の声だ。「わたしです。カナデです」


 ふたりはおどろきつつ、ランタンをすぐに点けて、女性の顔を確認する。カナデは傘の先端で床をつついた。遠慮なく雨を床に落としていく。


「純政府内特務工作員……、あんたが例の?」キヅキははじめて会う。

「はじめまして。ネシティ連会東支部長である、キヅキ・ヒモトさんと見受けます。件はお世話になっております」

「あ、ああ……、どうも」


 キヅキは困った顔をした。いやおうにも気が張り詰める。


「大切な話があり、早急ではありますが訪問した次第、お許しを。ご存じのとおり、コウ・シノダに動きがありました」

「だが、あとのことはこちらの仕事ではない」キヅキが言った。

「ええ。承知しています。《《まずは》》お疲れさまでした」


 ユヅキは語彙にひっかかりを覚えた。


「まずは……? まだ仕事が残っているようないい方をする……」


 まず視線で返事をするように、カナデはユヅキを見た。つきつけられた刃先のような瞳。背筋が冷える。


「あなたに何度か依頼した件の郵送。その中身はわたしが新人デシカントであると偽った故に発生した種々のやりとりになります。が、警戒心の強かったコウ・シノダは文面上で理念、理想ばかりを説いた。具体的な犯行声明などを隠しつづけました。わたし自身は実際にデシカントに入っていたため、疑われることもありませんでしたが、具体的なしっぽを掴めなかったのは遺憾するところ——」


 彼女は淡々無機質に話している。


「しかしながら、事態はいよいよ拮抗。兵器もそろったところで、この街——カンドゥに駐屯する純政府軍を一気に叩くつもりのようです。非戦闘員である役場の職員なども、殺されるか囚われるか、でしょうね」


 純政府の息をかぶった人間なら、だれであれ敵とみなす。それがデシカントの理念だ。


「コウ・シノダは本拠を離れていても、実質、一帯のデシカントを統括する存在です。身を投げうって純政府に潜入した彼を崇拝する者もすくなくありません。ですが、純政府に対するクーデターは極刑に値します。長い年月をかけていようが、きょうに思いついた突発的なものだろうが、おなじです。すでに、彼は死に値しているのです」


 抑揚のない声を聞きながら、キヅキは話の流れにわるい予感を感じていた。


「ここで、ひとつ提案があります。ユヅキ・ヒモト。あなた、コウ・シノダを殺害する気はありませんか? 純政府は清き水の流れが如く——自らの手を使っての殺傷は、なるべく控えたいのです。それがトップのねがいです」

「おい……」キヅキが間に入る。「冗談はよせ」

「冗談ではありません」


 冷たい口調は変わらない。


「わたしが工作員の身分を明かしながらユヅキ・ヒモトに配達を依頼できた理由。彼がこちらの手足として動いてくれた理由——。心当たりがないとでも?」

「あの件は終わっただろう」キヅキが言う。

「いえ。終わっていません。五年前、ユヅキ・ヒモトは配達物の開示命令を拒否し、あげく、その電気が走る剣で純政府軍隊員を気絶させた。その剣の電圧を考えると、気絶させるつもりではなく、殺すつもりだったという見方も可能かと。殺人未遂、ということです。本来であれば懲役三〇年はくだらないところを、罰金と執行猶予で免れた。免れているだけで、わたしが指を鳴らせば即牢屋行きです。自覚あります?」


 殺伐として、非情で、冷たく湿った、いやな空気が部屋に満ちる。


「なかったことにしてくれるのか」

「もちろん。刑は免除しましょう」

「……くそが……」


 ユヅキは奥歯を食いしばった。

 新たな罪で、身にこびりついた屈辱を洗えるはずもない。

 あのときの自分はわるくない、わるくなかった——。


 考えるほどに怒りがこみ上げる。だが相手は純政府。この国でもっとも権力と武力を持っている集団。ここでどんな理屈をこねても、この女はなんだかんだと言葉を並べて自分たちの都合でまくしたてるだろう。


 最初から、なにを言っても無駄なんだ。

 仕事としてこなせ。終わらせろ。

 心を殺せ。


「わかった……。やるよ……」

「おい! ユヅキ!」キヅキは吠えた。

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