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手紙をもらった日
「あああああんた! ドリルのあつかいがまったくなってないよ! 積み木遊びから出直してきなぁああっ!」
「すいまっセーン!」つなぎを着た男が声を返す。
すがたよりも先に声が聞こえるあたり、さすがロビンばぁ。工場の設備はかなり増えている。見たこともない銀色の設備がいくつも並んでいて、どれもが見上げるほどの大きさだ。
「さーっさと工程を完了しないとぉ! 貨物用ゴンドラから次々に資材が舞いこんでくるよ! その金魚みたいな動きじゃ明日の朝日が昇るまで仕事だよぉっ! このばか息子どもがぁ!」
「へいぁっ!」
顔を煤だらけにした筋肉質の大男たちが、こぞって返事を返した。ロビンばぁの叱咤には愛がある。怒鳴られてもみな、どこかうれしそうな顔で仕事に取り組んでいく。弟子を息子と呼ぶところも相変わらずだ。
かちっ、かちっ、という音はロビンばぁが杖で地面を叩いている音だ。そののひびきは、胸に寂しさのようなものを押しつけてきた。
「ロビンばぁ」おれは近寄って声をかけた。——しかし気づかれない。「ロビンばぁ……? ロ、ビ、ン、ばぁ!」
「なーんだい! さぼってないでさっさと仕事……」やっと振り向いたロビンばぁは、おれの顔を見て固まった。「あんた、セトじゃないか……、セト、セトやぁあああ!」
杖をついて立とうとした手前、ロビンばぁは車椅子から転げるように落ちてしまった。
「ロビ——!」
すぐに介抱に駆け寄った。近くにいた作業員のひとりも、仕事を放り投げて駆けつけてくる。
「大丈夫か!?」
「ファッ! これくらいなーんてことないよ! 助けなんていらないさ!」
「ケガしたらどうすんだよ……」
うつぶせで倒れたロビンばぁを仰向けにするのが、せいぜいだった。駆けつけた作業員が慣れた手つきでロビンばぁを抱きかかえて、椅子までスムーズに乗せてくれた。優秀な介護の技を見た。
「よく前のめりに倒れるんだよ、このばぁちゃん」
頬の痩せた作業員が言った。
彼は見たことがある。
たしか、名はコウジだ。
「うるさいんだよ! ばか息子!」怒鳴りながら座ったロビンばぁだが、その視線はすぐにおれの顔に固定された。「やっと帰ってきやがった……。セト、あんた、あんた……」
ロビンばぁはシワのよった涙袋を濡らしていき——
「そんの足! いじったやつはどこのだれだい! 嗅いだこともないオイルのにおいがするよ! セトぉ! さっさと脱ぎなぁあああ!」
感動の再会とはいかず。杖を地面に叩きながら、片腕で車椅子を精一杯漕ごうとするので、ロビンばぁはその場でくるくる回りはじめた。口数と腕力はまったく衰えていない。
「ばぁちゃん」見かねたコウジが、車椅子のハンドルを握る。「セトのことだ、あとで義足を見てもらうつもりだよ。な?」
「ああ」おれは笑顔で答えた。「西でもいい技術屋はいた。けど、やっぱロビンばぁの整備がいちばんいい」
「あったりまえだよ!」ロビンばぁは、けっ、と歯を鳴らした。「あたしの腕に敵うやつなんざ、地球をひっくり返したっていやしないよ!」
ファーっ、ファッファッ——とロビンばぁの調子は絶好調だ。車椅子に乗っていても気概はまったく衰えていない。
「安心した」
「なーに、こっちのセリフだよ——ほら、もっとよく顔を見せておくれ」
そう言われ、おれは近づいた。ロビンばぁの手をとってもう一度、ただいま、と言った。シワだらけの手は細くなっていた。工具を握ってできたタコは、あまり減っていない。けれど……、むかしよりはずっとちいさな手だった。
「色の黒くなった顔、力強くなった手……、それだけでわかるよ。西でえらいめにあったんだろ?」
「ああ——話すと長くなる」
「ちゃんと、聞かせなよ」ロビンばぁは目に涙を溜めた。「あたしが死ぬまでに、ちゃんとだよ」
「なに言ってんだよ。ロビンばぁは墓に埋められたって、怒鳴りながら墓石を蹴飛ばして蘇るさ」
「ファーッ、ファッ! そうにちがいないね! むこう千年だって怒鳴りつづけてやるさ! ばか息子も次から次に増えていくからね! くたばってるひまもないさ!」
言いながら、ロビンばぁは作業場のほうを指差した。それを見たコウジは車椅子の向きを変える。
「こらぁあっ! ぼさっとしてないでさっさと作業に戻りやがれ! ばか息子どもぉ!」
「へいあっ!」
いつのまにか作業員たちの手が止まって、こちらのやりとりに視線が集まっていた。おれは気づかなかったが、ロビンばぁは空気感かなにかで、作業が止まっていることに気づいたようだ。
「それじゃ、ロビンばぁ。あとで義足、診てくれる?」
「あったりまえだよ!」ロビンばぁは杖で義足をこつこつ叩いた。「どうにも雑に使ってきたようだから、この翼も整えてやんないといけないね。——ちゃんと羽を伸ばすんだよ。次に飛ぶときは、すぐに来るからね」
いつもの調子とはちがって、どこか遠くを見るような言葉だった。
「——大丈夫。ロビンばぁのくれた翼は、簡単には折れやしない」
「ロビンメタル、なめんじゃないよ」
真っ青な空を仰いで大笑いするロビンばぁに、いま一度の安心感をおぼえながら、工場をあとにした。
三年以上も経つというのに、自宅のなかはまったく変わっていなかった。というのも、クルミに鍵を預けたからだと思う。
ときおり換気をしてくれていたようだし、溜まったほこりも払ってくれていたようだ。寝具も使うわけではないのに、半年にいっかいくらいは洗ってくれていたらしい。ほんとうに頭が下がる。
ショルダーバッグを肩から下ろしたとたん、急に疲れがどっときた。きっと電車の旅が負担だったのだろう。人ごみに慣れることは生涯なさそうだ。
重くなった頭を寝かせたくて、ベッドに倒れこんだ。いつもなら雷駆刀を布で拭いたりするところだが、それもあとまわしにした。
まだ陽は高い。
十字格子の窓から射しこむ光は煌びやかで、まぶしすぎるくらい。この部屋には窓はひとつしかない。しかし光は四等分に切られる。
太陽はひとつなのに、その光はいくつにも分裂して、いくつもの生活を照らす。金を奪いあう人間はたくさんいるのに、太陽を奪いあうことはない。
それはきっと光の供給が十分すぎるからで。
太陽が遠すぎるからで。
とても、手の届かない存在だからで。
——そんなことを考えながら、指を開いた片手を天井に伸ばした。
太陽。親指を折る。
月。人差し指を折る。
地球。中指を折る。
人間。薬指を折る。
——小指を折ろうとしたとき。いろんなものが浮かんだ。
愛。
恋人。
想い。
裏切り。
手紙。
感情。
心。
どれもしっくりこなかった。
西に行ったとき。人間にとって小指は必要だと思うか? と訊かれたことがあった。それに対しておれは、ないよりはあったほうがいいと答えた。雷駆刀の柄を握るときも、小指なしでは握力がちがう、と。
すると相手は、コップを持った片手の小指を立たせて言った。
《——この指は、ほかの四本がケンカしないように、バランスをとっているんだよ。いちばん端っこで、いっつもニコニコ笑って、ジャズを歌っているやつが、おれたちには必要なんだ。
強い力を持っているやつらは、自分こそがいちばん強くて、いちばんなんだと豪語したいだろ? 自分のパワーを周囲に示すことに必死だ。しかし多くの場合、見ず知らずのだれかに支えられている事実を、強者は無視している。
豪邸に住んでいるやつは言う。
わたしが家を建てたのだ、と。
しかし実際に建てたのは、大工たちだ。
ともあれ金を払った者が、建てたと言う。
それが、人間のおかしなところさ——》
西で出会ったあいつの話は、どこかぶっ飛んでいた。けれど、妙に核心を突いてくるような感覚があって面白かった。今晩の食事を終えたら、キヅキにそいつのことを話してみよう。もしかしたら、名前くらいは知っているかもしれない。
——ノックがした。
小指を折るのを忘れて、すぐに起き上がった。




