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手紙をもらった日
定期連送便のなかは、思っていたよりも空いていた。海沿いの線路を走る列車のゆれも、慣れてしまえばわるくない。眠れてしまうくらいに。
ワゴン販売の女性が近くに来た。「お飲み物、お菓子、乾物、いかがでしょうか」と空間に声を置いていく。
酒臭そうな初老男性が手をあげると、女性はあたりさわりのない笑顔とともに、ほしいものを訊いた。男性はビールとつまみ、とだけ言った。まるで妻に頼むような口調で。
車窓から見える海は、とても綺麗だ。二〇〇年前はもっと汚かったらしい。濁っていて、苔のような色をしていたとか。サファイアのような蒼しかない目の前の海を見ていると、とてもそんな風には思えない。
突然、乗客が騒ぎはじめた。反対側の席——海側ではなく陸側の席——に座っている客が、あれはなんだ、あれを見ろ、と言っている。全員の視線がそちらに向いた。
街が見えたわけではない。崩れたコンクリートの廃墟、砂、わずかに生えている奇妙樹。ただの荒野ではあるが、そこにいる黒い塊は岩のように大きかった。そしてうごめいている。
「紙喰いだ……」ブラウンのタキシードを着た男性が言った。
「でかいな、はじめて見たよ」別の男性が言う。
「すごい! ねぇママ、あれがカイブツ?」少女が椅子の上で跳ねる。母親はすぐにやめなさい、と叱った。
進行方向のドアが開いた。現れた車掌がプラスチックのメガホンを口に当てる。
「えぇ、たったいま紙喰いの存在を確認いたしました。運行には支障ありません。ご乗客の皆々さまにおかれましては、どうぞ冷静になっていただきますよう、おねがいを申し上げます」
おなじセリフを何度も繰り返しながら、車掌は次の車両へと歩いていく。ドアまで着くと、こちらに一礼をしてからすがたを消した。次の車両でも、おなじセリフを繰り返していくのだろう。それが彼の仕事だ。心のなかで、ご苦労さま、と唱えた。
乗客ときたら、紙喰いのすがたが見えなくなってもざわざわとその話をつづけている。まるで動物園の帰りみたいだ。
おれは息をついて車窓を見た。海を見ようと思ったが——すぐにトンネルに入った。ふたつめのため息が勝手に漏れた。
駅に着く前にも、また車掌はメガホンを片手に到着を知らせてくれる。毎度毎度、列車の端から端までメガホンとともに歩くから、めんどうといえばそうだろう。
スピーカーかなにかで、一度だけセリフを言って済めば楽だろうに。ただ、車掌が発する肉声のおかげでこちらは寝ていても目が覚める。あの黄色いメガホンからひびく声はやけにでかい。わかっていても肩がびくっとなる。車掌の声が、そもそも大きいから、というのもありそうだが。
列車がブレーキをかけて、金属が擦れる音がひびく。おれが降りる駅は、そこまで大きくない。ネシティ連会から最寄り……、といっても一五キロは歩くが、歩くのが仕事のおれからしたら近いほうだ。
改札を出ると、キヅキのすがたが見えた。こちらを見つけるや否や、手を振って笑っている。
「おかえり」キヅキが寄ってきて、肩を叩いた。以前よりも肌が黒くなって、白いヒゲも増えている。「なんか、筋肉ついたんじゃねぇか?」
「そうかな。あまり変わらないと思う」
「いや、肩の硬さが全然ちがうぜ。西の連会で《《もまれて》》きたか?」
「そりゃもう」鼻の笑いを混ぜながら、おれは答えた。「二度とあっちの仕事はごめんだ」
「おまえが遠征に行ってから、しめて三年弱か……」キヅキは歩き出した。その片手はおれの背中をそっと押す。「長いようで、あっというまだな。手紙でも何度か送ったが、こっちの状況もいろいろ変わっている」
西の地方で仕事をはじめてから、おれとキヅキは半年に一度くらいの間隔で手紙のやりとりをしていた。そのなかでも——とくにおどろいたものがあった。
「ロビンばぁ、大丈夫なのか?」
「もう歩けねぇ」
「そうか……」
かねてから腰が痛いと言いつつ、ロビンばぁは自分の躰にむちを打ちつづけた。おれが西へ発つころには、杖がないと歩けなくなっていた。
それから年ごとに容体は悪化していった。キヅキの手紙には、急斜面を転がるみたいに躰が弱っている、と書いてあった。いままで働きすぎたツケが、一気にきているみたいだ、とも。
そして、いまから半年前には車椅子生活になったらしい。あのしゃかりきで強拳強気なロビンばぁが、信じられない。
「この目で見るまではな……」おれは言った。
「だよなぁ」キヅキは空にため息を投げた。「毎日のように会ってたけど、あの大砲ばぁちゃんがどうして車椅子に座ってんだろ、って、いまでも思うわ。でも——口はあいかわず元気だぜ。弟子を怒鳴りつける声量は、いやまして破壊力抜群」
「それなら、まだよかった」
「あんたのハンマーひと振り、その溶接一ミリ、ドライバーのひと捻りにネシティの命がかかってんだよ! わかんてんのかい! このぼんくらどもがぁっ! ってこないだも絶好調だったわ。車椅子に座りながら杖を地面に叩きつけてさ。いつか杖折っちまうんじゃないかってくらい」
キヅキは明るく言って、かたかたと笑う。——それからすぐに顔色を変えて、「そっちはどうだった?」
「ああ……。話すと長くなる。とにかくいろんなことがあった。今晩にでも話したいな」
「そいつぁ楽しみだ。クルミも待ってる」
「ああ」
やはり慣れた相手の名前が出てくると、自然と笑みがこぼれてしまう。
「リョウは……?」
「アトラだ。純政府軍士官高等学校生だよ、立派な」
「そっか」
「あいつが進みたい道だ。おれは応援するだけさ。——ただ、ちょっと風向きが変わってきているみたいでさ」
キヅキはそう言って、腰の雷駆刀に片手をやった。柄の頭を指でとんとんと叩いている。
「アトラでは、ヒナさんにいろいろ助けてもらってるんだ」
「ヒナが?」
「ああ。こっちで知り合ったよしみで、リョウとよく会ってくれているみたいでさ。——そういやヒナさん、本をアトラ市内で売りはじめたらしいぜ」
「そうなのか!?」
他人のことながら、素直にうれしさを覚えた。
「どんな本なんだ?」
「二〇〇年前のキルラ出現からさかのぼって、人類がどのような歴史を、今日まで刻んできたのか——。彼女いわく、人類の自叙伝みたいな本だそうだ」
無意識に鳥肌が立った。とにかく読んでみたいと思った。ヒナが書いたから、という身内贔屓な感覚ではない。その一冊に込められた知識の結晶をこの身に落としたい、と躰が訴えている——そんな感じ。
「でさ」キヅキはにかりと笑った。「その本を読んだリョウだよ。なにを言ったと思う?」
視線をななめ上に投げて、すこし考えてみる。
「歴史文明学者になりたい?」
「正解」
「あいつらしいな」
「ほんとだよ。——まぁ、士官学校とはいえ高校だからさ。軍人になるしか道がないわけじゃない。卒業後の職業は自由だよ。それに、思った以上にあいつ、訓練についていけないらしい」
たしかにリョウは、体育会系ではなく文化系の傾向が強かった。いまも変わっていなければ、運動をするよりも机にかじりついていたいはず。
「それじゃ、いずれヒナが上司になるかも?」
「その道、ぜんぜんありそうだわ。てか、あいつを知る親としても、そっちのが合ってる気がする。ま、卒業することにはムキムキになって、ぼく軍人になります——とか言ってるかもしんねぇけど」
キヅキが冗談らしく言った手前、遠くの純道に軍の車両が見えた。おれたちの行くルートではないが、思わず視線をうばわれた。
あの狭くて硬い金属まみれの車両に、軍服を着たリョウが……。やっぱりちょっと似合わないかも、と思った。
ゴンドラ乗り場に着くと、見慣れたふたりが出迎えてくれた。事務所から漂うコーヒーのにおいが、一気に帰ってきたんだと感じさせてくれる。
「お! セト! ついに来たな! 遠征ご苦労さん」
カウンター越しの椅子に座るタツオが言った。以前よりも、すこし顔のシワが増えているように見えたが、あまり変わらない。
「ただいま、タツオ。リュウゾウ」




