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パンを食べたいだけだった
「たしかに、見かけによっちゃそうか。しかしここには看守はいない。出たいときに、外には出られる。——まぁ出たくなくても出なきゃいけねぇ場合が多い。買い物とかな。なんせ、インターネット通販なんてものは存在しねぇ」
二〇〇年前であれば、自宅にいながら買い物ができたらしい。まるで信じられない、うそみたいな話だが。
「むかしの週刊誌なんか読んでると、広告ばっかりだ。企業の宣伝文句に躍らせれて、購買意欲をとことん刺激されて、あれやこれやと買い漁っていく……。ある種の中毒患者だよなぁ。あと記事には芸能人がどうとかなんとか、でっけぇ見出しで個人をいじってんの。自分の人生よりも他人の人生に興味深々だぜ? 変なの」
店主は大口であくびをした。
「……あんた、人間がきらいか?」
「あぁ。そりゃきらいさ。あたりまえだろ。こんなに同族を殺しまくってる生き物、ほかに知らねぇし。頭が良すぎて狂ってる——。おまえは好きなのか? 人間」
「——生き物の種類でいえば、たしかにきらいかもしれない」
「だろ? 罪深いんだよ、おれたちは。どこまでも」
おれたちは、という単語が妙にひっかかったが——気のせいか。
「人間はきらいだけど、好きなやつならいる」
「恋人か?」
「いや……、家族みたいなやつだ」
「そうか。だが家族とて人間だ。《《依存はえてして失落に至る》》——こいつは本の一節。自分以上に信じられるやつを、つくるべきではないぜ。どんなに尊敬できるやつだろうが依存はするな。崇拝なんて、もってのほか。生き様を参考にする程度にしておけよ」
会話の空気感で察した程度だが……、あえて次の言葉を投げてみることにした。
「あんた——ネシティか?」
すると店主は、うれしそうな笑みを浮かべてカウンターの下からなにかを持ち上げた。鞘に入ったもの。見覚えのある形。アクセルレバーは金色。柄は緑で、白い龍らしき模様が螺旋状に巻きついている。
おれの武器よりも細めに作られているが、エンジンの機構は似ている。かなり高価そうな代物だ。
「よくわかったな。この店は副業。——つっても店番している時間のほうがよっぽど長ぇから、ネシティのほうが副業みたいなもんだな。年に四回くらいしか出番がない」
「まさか、闇ネシティ……?」
「ああ」店主は普通に認めた。「とんでもねぇものばかり運んでいる」
「麻薬?」
「あー……」店主は片手を仰いだ。「んなもんはおまえらが運んでんだろ、知らないうちに。そっちの商売まで奪うようなことはしてねぇ」
たしかに、薬だといわれつつ粉状のものを運んだ経験は一度や二度じゃない。そのなかに麻薬があったとしても不思議はない。
「なら、なにを運ぶんだ? 非合法の代物よりも重要なものって……?」
急に店主の目がナイフのように鋭くなった。
「おまえは若い。知らなくてもいい。——とはいえ、このままだとあんまりだ。ヒントだけ置いてやる。この世には、純政府が好きなやつと、純政府がきらいなやつがいる」
……まだなにか言うのかと思って待ってみたが、ヒントはそこまでだった。
「で、おまえ、小説がほしいんだろ? ちょっとこっち来い」
そう言って店主は立ち上がり、座っていた椅子をずらした。おれは警戒しつつ近づく。店主は肩幅ほどの点検口を開けた。それは地下室への入り口だった。
手探りでスイッチを探し、カチリと音を鳴らすと彼は階段を降りていった。湿った土のにおいが漂う。
「おい、降りてこいよ」真下から声がする。
この入り口幅では、剣がひっかかる。
まず剣を腰から外して、手に持った。
少々カニのような格好で、手すりのない階段を降りた。ジー、と豆電球が音を鳴らしている。五畳ほどだろうか。床は木製で、壁一面が藁のようなもので覆われている。
「奇妙樹の枯れ草を集めて壁と天井を埋めたんだ。いい感じに湿度が保たれている。本にカビが生えることはない」
店主は言いながら、正面下にある重厚な金庫に近づく。部屋の中にはそれしかない。さながら宝箱だ。
箱の全長は店主の腰くらい。幅は、ちいさな子供なら中に隠れられそうなくらいはある。
「箱だけで重量二五〇はある。しかも金具で地面に固定されているから、持ち運びにはずいぶん不便だ」
盗もうったってそうはいかない、ということだ。
「なぁ?」店主がダイヤルを捻っているあいだに声をかけた。
「あ?」
「金庫が空いた瞬間、背後からおれに襲われるかもしれない、とか考えないのか?」
「考えた結果の、いまだ」
「たいした自信だ」
「おまえひとり素手で十分。あと、おまえはそんな口調だが根っこは大真面目クソ真面目ばか真面目だ。強盗まがいのことをするやつじゃない」
言葉を返す気にもなれず、金庫が開くのを待った。数秒もしないうちに小気味のいい音がした。鍵が開いたようだ。次に重そうな扉がきぃ……、と鳴らす。店主は立ち上がり、数歩退がった。
「好きなもん、一冊持っていけ」
まさかと思った。
なにかの罠か、とも。
「いいのか?」
「ああ」
「なぜ?」
「んー、なぜだろうな」
「貴重なものだ。まず手に入らない。純政府の娯楽書戒厳令が緩和されたとはいえ、ここで手放すのは正気じゃない」
「おまえにやった本は、一生もどってこないと思っているさ」
「なぜそこまでする? ただの客だ」
「それについては、おまえに推理させるとしよう」
ぱん! ——急に手を叩くから、肩がびくりとなった。行動が予想できない店主だ。
「おれはだーれだ」
「だれって……。古本屋の店主だ」
「そこは正解。じゃあ、ヒントだ。おれの苗字は明るい場所にある。太陽が当たる場所だ」
そのヒントだけで、こっちには思い当たるところがあった。答えはわかったようなもんだ。が、まさかこいつが例の人物なのかと信じられない心のほうが勝った。言葉に詰まる。
「わからねぇか?」店主は目を細めて、「じゃあ、もう一個のヒントを——」
「キヅキの弟……。ユヅキ・ヒモトか?」
正解だったようで、ユヅキは大笑いを返してきた。地下室の壁になんども声が跳ね返り、ひびいている。その笑いを呆然とながめるしかなかったが、妙な安心はたしかに感じた。
「おまえは覚えてねぇだろうが、ひさしぶりだな、セト」ユヅキは片手を差し出して、「生まれてすぐ片足を失った、義足のネシティ。手紙を運ぶより紙喰いを殺させたほうがいいくらい戦闘に秀でた逸材——。《また》会えて光栄だ」
店を閉めてくると言って、ユヅキはいったんいなくなった。だれもいない店内で、おれはもらったばかりの本を眺めていた。節々が黄ばんでいるが、表紙の硬さも保たれている。状態はいいほうだ。
「果実の命乞い……」
本の表紙に書いてある文字をそのまま読んだ。まだ目次すら開いていない。読むときは自分だけの空間で、じっくりと楽しみたい。
ユヅキは二〇冊の小説を持っていた。そのうちの一二冊はシリーズものだった。一巻から最終巻まで持っているなんて、この世界においては大富豪といえる。実際売りにだせば相当な金額になるだろう。むこう五年はなにもせずに食っていける。
しかしながら、一冊しか選べないこちらの状況において、シリーズものに手をつけるのは自殺行為といっていい。つづきが気になっても、先を知る機会がいつ訪れるかわからない。
おれが果実の命乞いを選んだ理由は、そのジャンルにあった。いままで、ハードボイルドの探偵小説や異世界もの、社会風刺に満ちたSFなどに触れる機会はあった。しかしこの本は純粋な恋愛ものだとユヅキは言う。おまえみたいなクソ真面目は、いっかい他人の恋愛で涙を流しておいたほうがいい、という助言もあり——。
「おう、またせたな。いまコーヒーを淹れる」
ユヅキは給湯室に行き、三分もしないうちにもどってきた。両手には湯気がのぼるカップがふたつ。本来は会計に使うカウンターをテーブルにして、会話がはじまった。
「ありがとう」おれはカップを手に取った。
「ブラックで大丈夫か?」
「問題ない」
返すと、ユヅキはうなづいた。そして先にコーヒーをすする。この時間が一番幸せだ、と目尻でわかるほど、顔がほころんでいる。
「ああ、うめぇ、ちょっといい豆にしておいて正解だわ。……どした? 冷めないうちに飲めよ」
「あ、ああ……」
「なんだよ、毒なんか入ってねぇって」
「いや、そうじゃない……。似ているな、と思った」
「兄貴にか?」
「ああ……。その、ビールを飲んだときのあいつにそっくりだった。声とか……」
「だろうな……」
ユヅキは両手を頭のうしろに組んだ。椅子の背もたれに全身を預けるようにのけぞる。
「仮にも血がつながってんだ。仕方ねぇことよ」
似ている、という単語はユヅキにとって褒め言葉ではないらしい。
「おれは、キヅキとほぼ毎日顔を合わせていた。なぜいままで、あんたとは会わなかった?」
「そりゃ、一緒に暮らしてないし。生活していた場所もちがったからな。おまえ、この街はご無沙汰か?」
「いや、はじめてだ。アトラに行くにしても、ここを経由したことはない」
「なら、この店に来ることもなかったろうし、会う確率はほぼなし、だな」
納得した様子で、ユヅキはコーヒーをひと口。
「キヅキとは会っているのか?」