ー14ー
愛を知るのに指輪はいらない
「うーん……。それも、すこしある」
「会ってしまえば、楽にはなる。それに……、ほら、伝えないといけないこともあるだろう?」
ゆれていたミカの躰がぴたりと止まった。父親の死を、病気の母親に伝える——かなり重い試練だ。それを再確認させてしまった。あまりいい言葉の選択ではなかった。
「……ごめん」
「え?」
ミカは丸く開いた目でこちらを見た。
「あ、ああ、大丈夫だよ。大丈夫。ちゃんとわかってる。覚悟——しているから」
「……あれなら、おれが代わりに伝えてもいい。兄貴に顔が似ているのを、いいことに。それくらいは親父さんも許してくれる」
「大丈夫。ごめんね、気、つかわせちゃって。でもほんとに大丈夫なんだ。おかあさんがどんな反応をしたとしても、受け止める覚悟は、ずっとしてきたから。ただ、さ……」
言いかけて、ミカはまた体のゆらゆらを再開した。
「セトとの旅。ここで終わっちゃうんだ、って思ったの。これから先のこと——自分の未来も考えなくちゃって思った。そしたら、気持ちがずんと重くなったの。徒歩の旅という現実逃避が終わってしまうみたいで、さみしいのかな……」
ここでの用事が終わったら、ミカがどうするのか、どうしたいのか、まったく考えず、それらしい相談もないままだった。けっきょくおれは、彼女の未来などどうでもいいと思いながら旅をしてきたのだろうか?
アトラに着くこと。この顔をミカの母に届けること。それまでが契約内容だと、まるで仕事のように考えていたのか?
そんなはずはない。これほどに、だれかといるのが楽しいと思ったことは、ないのだから。心を隠すことはできても、本心にうそをつくことはできない。
「なぁ……、ミカ」
「うん?」結ばれた口に、ほのかな上目づかいが覗く。
「いい機会じゃないのか? その……、自分がどうしたいのかを決めるための。この街には選択肢がたくさんある」
「……わかんないんだ」腹の底から漏れたような、深いため息だ。「お母さんのこと、どうしたらいいのか。パン屋のこと、どうしたいのか。わたし自身なにがしたいのか」
耳のうしろに漂う気まずさを流したくて、おれは視線をななめ上の空に向けた。太陽の位置が、さっきよりもずれていた。すこし時間が経ったようだ。
「見つかるよ。見つけたいって気持ちがあれば、かならず」
「そうだと——いいね」
「まずは、街に行こう」
歩き出したミカの重々しい足取りは、この大都市で自らの未来を選択しなければならない彼女の辛気を表していた。
いまはそばにいて、そのいったんの顛末を見届けることだけが、おれに唯一できることだった。
門前の検問所に近づくと、ふたりの兵士がいた。 プロテクターだらけの全身——ポリカーボネートのバイザーを持ち上げたヘルメットから、鋭い肉眼が覗く。その視線は、こちらを怪しんでいることをはっきりと伝えてくる。
「旅歩承諾証は、ちゃんとあるよな?」歩きながら、おれはミカに言った。
「う、うん、大丈夫」ミカは唾を呑んでいった。
門番の回答次第では、おれたちは街に入ることすらできない。アトラに入る資格を提示できなければ、次の目標は《《Uターン帰宅》》になってしまう。
アトラの街を守るコンクリート壁と電気柵は、やはり近づくと迫力がちがう。カンドゥの電気柵もわるくないはずだが、これに比べると見劣ってしまう。まして、シェルターを囲む小半径の電気柵など、うさぎ小屋の柵とすら思える。
「——どこからきた」右側の門番が片手でこちらを遮った。ライフルの銃口は、空を向いている。
「カンドゥだ」おれはマントの内側に手を入れて、胸ポケットからネシティの免許証を取り出した。
門番が頭をすこし低くして、おれの手元をじろじろと覗く。片方の眉があからさまに持ち上がった。その目は万年筆の先端みたいな形をしている。
「……はいはい、たしかに。ネシティにちがいないね」
「ほんとうにか?」左側の門番が言った。「偽装免許証の可能性もあるだろ。だいたい、ネシティってのはひとりで行動するもんじゃないのか」
「こっちはネシティじゃない」
おれは、ミカを肩越しにちらりと見た。
「ネシティじゃないなら、なんなんだ」門番が言う。
「一般人だよ。カンドゥから旅歩承諾の許可を得て、ここまで歩いてきた」
「カンドゥから歩いてここまでこられるやつを、一般人とは言わないんだよ」
めんどくさいタイプの門番に当たったな、と思った。
「あ、あの……」ミカが言った。「わたしが頼んだんです。彼に護衛を——」
「護衛? なに、重役の娘かなにかなの?」門番が怪訝な顔をする。
「一般人です」ミカはすこしうつむいて答える。
急に問答がめんどうになったのか門番はため息をついて、開いた右手をミカに差し出した。
「承諾証。あるんでしょ?」
「は、はい……」
ミカはポケットに用意してあったそれを取って、門番に見せた。ネシティの免許証よりもすこし大きいくらいの木札に数字が彫ってある。その数字はカンドゥからきたことを表し、同時に、ミカの住民情報につながっている。
門番はしばらく木札を観察した。念のためなのか、左側のやつにも渡した。そいつはあくび混じりに、問題なし、と言った。
「はい。いいよ。あんまり深くは訊かねぇわ」空を向いているライフルをこつこつ、とつまらなそうに肩に当てながら門番が言った。「ま、街で問題を起こせば、あんたらの責任だしね」
ならすんなりと通してくれよ、と思うところだが——ネシティと一般女性がカンドゥから歩いてきたとなれば、めずらしいと思われてもしかたない。
「もし、女のあんただけだったら、別室でもうちょっと事情聴取をさせてもらったかもね」
変な笑みを浮かべながら、門番が言った。左側のやつも、けらけら笑いだした。
「……通っていいか?」。
「はいはいどうぞ。いま開ける」
門番はうしろを向いて、管理棟の窓に手を振った。間をおかずして巨大な歯車が回転し、おれの身幅よりも太い鎖ががらがらと音を鳴らした。コンクリートの重たい門が上に持ち上げられていく。いままでこもった音で聞こえていた大都市の喧騒が、はっきりと全身にぶつかりはじめる。
道を行き交う人々は、こぞってこちらを見た。門が開くことがめずらしいのか、それとも、ネシティと女性がひとりずつという組み合わせがめずらしいのか。なかには、こちらに手を振る子供のすがたもあった。大人の多くは、まるでショーかなにかを見ているような視線をこっちに投げてくる。嫌悪、怪訝、といった視線がほとんどないのが救いか。
「アトラへようこそ」門番が言った。
おれはとくに言葉も返さず、ミカの手を引いて歩を進めた。この門番ふたりからすぐにでも離れたかった。
「せ、セト、手、いたいよ」
「わるい……」おれは手を離した。
「大丈夫?」
「え?」
「急に手をつなぐから、どうしたのかと思って。いままでそんなことしてくれなかったのに」
「え? ああ……」
大都市という人海へ飛びこんですぐに、人混みが大っきらいだったことを思い出した。アトラのそれは、ほかとは比べものにならない。息がつまっていることすら気づけないほどの喧騒——おれがもっとも苦手とする環境がいま、全身を容赦なく締めつけている。
「まず、宿、じゃない?」ミカが言った。「セト、顔が青いよ」
「大丈夫。大丈夫だっ」
「……しゃべりかたもおかしいよ。いったん、休憩だね。——行こ?」
「ああ……」
今度はミカに手を引かれるかたちになった。頭のてっぺんから、つま先まで棒みたいに固まった自分が、どんな歩きかたをしているのか……、考えただけで恥ずかしさが胸いっぱいに満ちた。
チェックインも、すべてミカに任せてしまった。おれときたら宿に着くなりトイレに駆けこんで、体調不良の原因とおぼしきものを水に流すことしかできなかった。
真っ青な顔でどうにか前方を確認しながら、フロアを歩き。ノドの奥に力を入れて、エレベーターの重力ですら潰されそうな胃をなんとか吊り上げる。惰性で足を動かし、どうにか部屋に入る。ドアを開けてくれたミカに感謝する余裕もないまま、おれの躰はベッドで死体を模した。
「セト、どうしちゃったの?」心配そうに言うミカの声が、まるで空から聞こえてくるようだ。「門の前では、元気そうだったのに。街に入ったとたん、顔が真っ青になって……」
喉を焼く胃液のせいで、まだしゃべることができない。答えられず、ぼうっとした目をミカに向けた。
「熱は……」ミカの手のひらがおでこに乗った。「なさそうね。にしても、真っ青よ、顔」
答えられず、おれは顔だけをミカのほうにかたむけた。




