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愛を知るのに指輪はいらない
「いちばん、失ってはいけないのは命だよ。こんな言葉、いくらでも聞いてきたと思う。けど、本当にそうなの。死んじゃったら、なにもならない。お金は人間が決めた約束ごとみたいなものだけど、命はそうじゃない。どうして生まれたのか、どうして人によって死ぬのが早かったり遅かったりするのか、全部まるごと正しく完全に説明できない。神様と話せるなら、どうしてこんな時代に生まれたんだろう、ネットも使えないこんな時代になんで、って……、わたしは訊きたい」
ぐっと顎を引いて、ミカはいったん言葉を区切った。
「きっと、ネットの時代だったらもっと勉強ができていて、なんかいろんなむずかしい単語をつなぎ合わせて、うまいこと言えると思うんだけど……」
「死んじゃだめ——ってことっすね?」
締めくくったアンリの言葉がすべてだった。ミカは相手の目を見据えて、うなずく。
「わかりましたっす」アンリは口を結んでから、「でも……、この手紙を依頼した人は、ぼくのことを本物のネシティだと思って依頼したっす。それを裏切るのは、それこそ詐欺師の所業じゃないっすか……」
それについては、ちょうどいい助っ人になりそうなのがいる。
「この先に奇妙樹の群生地帯がある。ジャングルみたいな場所だ。そこに入ってしばらく歩いたら、指笛の音が聞こえてくる」
「指笛っすか……?」
輪にした指を口にもってきて、おれは指笛を実際に鳴らした。高く、短い音を二回。低く、長い音を一回。
「これが聞こえたら、こちらも指笛を返すんだ。じゃないと、殺される——こう鳴らすんだ」
高く、長い音を一回。
低く、短い音を二回。
「できるか?」
「や、やってみるっす……」
アンリは指笛の格好をまねて、息を思いきり吹いた。——しかし鳴ったのはすかすかと空気が抜ける音だ。
「鳴らないっす……」
「ねぇセト……」ミカが不安そうにこっちを見た。「殺されちゃったらどうするの? あの人たちなら、やりかねないかもよ? だってすごく野生的だもの……」
「会ったことあるんすか?」
「会って、襲われた」
さぁ……、とアンリの顔から血の気がひいた。顔色は青くなった。
「ま、まさか、その奇妙樹の群生地帯でぼくに死んでもらおうとしたっすね!?」
急に矛先がおれに向いた。
「ちがう……。ほんとうに知り合いなんだ。せっかく助けたのにわざわざ死んでもらう必要ないだろ」
相手がネシティの格好をしていると、ついネシティの常識で話を進めてしまう。指笛ができないネシティに会ったことが、いままでなかった。
なにを思ったか、ミカも指笛のまねをはじめた。——しかしアンリとおなじく、すかすかと空気の音が鳴るばかり。
「あんまりできる人、いないんじゃない? 指笛」ミカが言った。
「練習してどうにかなるもんすかね……」アンリが困った顔をする。
どうしたものか。例え、ここでアンリが指笛を吹けたとしても、いざ本番で鳴らない可能性もある。
いまは午前。正午まではまだ時間はある。できることがあるとするなら……。
「はぁ……」この先を考えると、うんざりとした息がもれた。「その手紙、おれに預けてくれるか?」
「え?」アンリはおどろいて、「い、いいんすか?」
「おれたちはいったん、奇妙樹の群生地帯にもどる。そこで手紙を知り合いにあずける。あんたはここから、すぐにでもアトラにもどったほうがいい」
おれはミカに目配せをした。当然、おれたちの道程に遅れが生じてしまう。ミカの表情を見るかぎり……、怒ってはいないようだ。
「本物のネシティ……。いつかなりたいっす」アンリはがっくりと肩を落とした。
「また時期を改めて、定期連送便を使ってでも連会へ直接行ったほうがいい。大丈夫、キヅキならあんたをしっかり育ててくれる」
詐欺にあったとはいえ、紙喰いに立ち向かう度胸と、ここまで歩けた胆力は疑いようがない。いますぐにネシティを名乗るのは危険だが、アンリには素質がある。いつか、道ですれちがう日が来るだろう。そのとき彼女はきっと、本物の雷駆刀を腰に差しているはずだ。
「それじゃ……。お手紙、おねがいするっす」アンリは痛寂しい背中を見せながら、とぼとぼときた道をもどって行った。
奇妙樹の群生地帯のなかで、おれとミカはふたたびハナカルに会うことになった。手紙を片手に事情を説明すると、とんだお人好しだといわれ、ずいぶんと笑われてしまった。
ちょうどキヅキに用があるやつがいるらしく、そいつが手紙を運んでくれることになった。ついでとはいえ、頭の垂れる思いがした。
依頼料の代わりに、今朝倒した紙喰いの白灰をハナカルに渡した。すると、どうして話しの流れがそっちに向かうのかわからなかったが、ハナカルはまたおれたちの結婚を祝うと言いだしたので——躰が果汁まみれになる前に、おれたちは奇妙樹の群生地帯をあとにした。
太陽は空のまんなかで強い光を放っていた。これから歩いたとて、大した距離を稼げるでもない。おれたちはきのう泊まったシェルターにもういちど腰を下ろすことにした。ミカの足も心配だったし、ちょうどいい休憩ではあった。
自分たちが使って、片付けたまま、気温くらいしか変化のないシェルターのなかは自宅のような安心感さえあった。
「なんか、草生えるね」リュックを床に下ろしながら、ミカが言った。「またおなじシェルターで休むことになると思わなかった」
「まぁ、配達日数がからんでいるわけでもないし、これくらいは許容できる。それに、ほら——足」
おれの視線が下を向いたのと同時に、ミカは自分の足を見た。
「うーん……。わたし、こんなに歩くの弱かったっけ」
ベッドに座って、靴下を脱ぎはじめる。アキレス健のあたり、皮膚がめくれているのが見えた。
「大丈夫か?」
「痛いねぇ」しかしミカが気にしているのは土踏まずだ。
「ちょっと待ってろ」
パントリーに行って、消毒液とガーゼ、医療用テープを取ってきた。ベッドに座るミカのそばに行ってしゃがみ、片足を持った。
「え、ちょと……」ミカは頬を赤くして、目を丸くする。
「こっちは痛くないのか?」
「アキレス腱? あぁ……、靴擦れだね。これくらいは、おしゃれ靴を履いたときもよくなってたから、あんまり気にしてない」
「それでも膿んだりするとめんどうだ。すこししみるけど、がまんしてくれ」
ガーゼに消毒液を染みこませて、傷口に当てる。ミカの顔がすこし歪んだ。
「痛いか?」
「う、うん、けど大丈夫」
最初のガーゼは捨てて、次のガーゼに消毒液を吸わせる。それを傷口に当ててから、医療用テープで巻いた。
「これで、ひとまずよしとしてくれ。明日、発つ前にもういちど、ガーゼを変えたほうがいい。今度は厚めにしておけば、歩いても平気だろう」
おれは使ったものと、ゴミを片付けをはじめた。——ミカはひとことも発さず、こちらをじっと見ている。
「……なんだ?」
「え、と……。ありがとう」
「普通のことだ」
ふと、ミカの視線が義足に当たっていることに気づいた。
「セトは、足、痛くならない?」とても優しい声に聞こえた。
「幻肢痛っていうのが、たまに来る。それくらいで、あとは大丈夫。もう慣れた」
「そっか……」
おれは使わなかった医療品をパントリーに運んだ。ミカはずっと、ベッドに座ってぼうっとしている。部屋にもどってもミカはそのままだった。彼女にはかまわず、おれは自分のリュックのそばに行って、なかを整理しはじめる。
「なんか不安」一点を見たまま、ミカは言った。
「なにがだ?」
「たった一日歩いただけでこれだもん。アトラに着くころには疲労骨折しててるかも。草生えちゃう」
「慣れないことをしているんだから、しかたない。慣れてしまえばいい」
「うーん」
「やめるか?」軽い口調で言ってみる。
「やめない」
「それじゃ、今度ともよろしく」
「なにそれ、いまさら改めての挨拶とか、草生える」
「……なんなんだ、さっきから草、草って」
「ネットスラングだよ」
ここでようやくミカは笑顔になった。




