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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
愛を知るのに指輪はいらない
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ー11ー

愛を知るのに指輪はいらない

 

「いちばん、失ってはいけないのは命だよ。こんな言葉、いくらでも聞いてきたと思う。けど、本当にそうなの。死んじゃったら、なにもならない。お金は人間が決めた約束ごとみたいなものだけど、命はそうじゃない。どうして生まれたのか、どうして人によって死ぬのが早かったり遅かったりするのか、全部まるごと正しく完全に説明できない。神様と話せるなら、どうしてこんな時代に生まれたんだろう、ネットも使えないこんな時代になんで、って……、わたしは訊きたい」


 ぐっと顎を引いて、ミカはいったん言葉を区切った。


「きっと、ネットの時代だったらもっと勉強ができていて、なんかいろんなむずかしい単語をつなぎ合わせて、うまいこと言えると思うんだけど……」

「死んじゃだめ——ってことっすね?」


 締めくくったアンリの言葉がすべてだった。ミカは相手の目を見据えて、うなずく。


「わかりましたっす」アンリは口を結んでから、「でも……、この手紙を依頼した人は、ぼくのことを本物のネシティだと思って依頼したっす。それを裏切るのは、それこそ詐欺師の所業じゃないっすか……」


 それについては、ちょうどいい助っ人になりそうなのがいる。


「この先に奇妙樹の群生地帯がある。ジャングルみたいな場所だ。そこに入ってしばらく歩いたら、指笛の音が聞こえてくる」

「指笛っすか……?」


 輪にした指を口にもってきて、おれは指笛を実際に鳴らした。高く、短い音を二回。低く、長い音を一回。


「これが聞こえたら、こちらも指笛を返すんだ。じゃないと、殺される——こう鳴らすんだ」


 高く、長い音を一回。

 低く、短い音を二回。


「できるか?」

「や、やってみるっす……」


 アンリは指笛の格好をまねて、息を思いきり吹いた。——しかし鳴ったのはすかすかと空気が抜ける音だ。


「鳴らないっす……」

「ねぇセト……」ミカが不安そうにこっちを見た。「殺されちゃったらどうするの? あの人たちなら、やりかねないかもよ? だってすごく野生的だもの……」

「会ったことあるんすか?」

「会って、襲われた」


 さぁ……、とアンリの顔から血の気がひいた。顔色は青くなった。


「ま、まさか、その奇妙樹の群生地帯でぼくに死んでもらおうとしたっすね!?」


 急に矛先がおれに向いた。


「ちがう……。ほんとうに知り合いなんだ。せっかく助けたのにわざわざ死んでもらう必要ないだろ」


 相手がネシティの格好をしていると、ついネシティの常識で話を進めてしまう。指笛ができないネシティに会ったことが、いままでなかった。


 なにを思ったか、ミカも指笛のまねをはじめた。——しかしアンリとおなじく、すかすかと空気の音が鳴るばかり。


「あんまりできる人、いないんじゃない? 指笛」ミカが言った。

「練習してどうにかなるもんすかね……」アンリが困った顔をする。


 どうしたものか。例え、ここでアンリが指笛を吹けたとしても、いざ本番で鳴らない可能性もある。


 いまは午前。正午まではまだ時間はある。できることがあるとするなら……。


「はぁ……」この先を考えると、うんざりとした息がもれた。「その手紙、おれに預けてくれるか?」

「え?」アンリはおどろいて、「い、いいんすか?」

「おれたちはいったん、奇妙樹の群生地帯にもどる。そこで手紙を知り合いにあずける。あんたはここから、すぐにでもアトラにもどったほうがいい」


 おれはミカに目配せをした。当然、おれたちの道程に遅れが生じてしまう。ミカの表情を見るかぎり……、怒ってはいないようだ。


「本物のネシティ……。いつかなりたいっす」アンリはがっくりと肩を落とした。

「また時期を改めて、定期連送便を使ってでも連会へ直接行ったほうがいい。大丈夫、キヅキならあんたをしっかり育ててくれる」


 詐欺にあったとはいえ、紙喰いに立ち向かう度胸と、ここまで歩けた胆力は疑いようがない。いますぐにネシティを名乗るのは危険だが、アンリには素質がある。いつか、道ですれちがう日が来るだろう。そのとき彼女はきっと、本物の雷駆刀を腰に差しているはずだ。


「それじゃ……。お手紙、おねがいするっす」アンリは痛寂しい背中を見せながら、とぼとぼときた道をもどって行った。



 奇妙樹の群生地帯のなかで、おれとミカはふたたびハナカルに会うことになった。手紙を片手に事情を説明すると、とんだお人好しだといわれ、ずいぶんと笑われてしまった。


 ちょうどキヅキに用があるやつがいるらしく、そいつが手紙を運んでくれることになった。ついでとはいえ、こうべの垂れる思いがした。


 依頼料の代わりに、今朝倒した紙喰いの白灰をハナカルに渡した。すると、どうして話しの流れがそっちに向かうのかわからなかったが、ハナカルはまたおれたちの結婚を祝うと言いだしたので——躰が果汁まみれになる前に、おれたちは奇妙樹の群生地帯をあとにした。


 太陽は空のまんなかで強い光を放っていた。これから歩いたとて、大した距離を稼げるでもない。おれたちはきのう泊まったシェルターにもういちど腰を下ろすことにした。ミカの足も心配だったし、ちょうどいい休憩ではあった。


 自分たちが使って、片付けたまま、気温くらいしか変化のないシェルターのなかは自宅のような安心感さえあった。


「なんか、草生えるね」リュックを床に下ろしながら、ミカが言った。「またおなじシェルターで休むことになると思わなかった」

「まぁ、配達日数がからんでいるわけでもないし、これくらいは許容できる。それに、ほら——足」


 おれの視線が下を向いたのと同時に、ミカは自分の足を見た。


「うーん……。わたし、こんなに歩くの弱かったっけ」


 ベッドに座って、靴下を脱ぎはじめる。アキレス健のあたり、皮膚がめくれているのが見えた。


「大丈夫か?」

「痛いねぇ」しかしミカが気にしているのは土踏まずだ。

「ちょっと待ってろ」


 パントリーに行って、消毒液とガーゼ、医療用テープを取ってきた。ベッドに座るミカのそばに行ってしゃがみ、片足を持った。


「え、ちょと……」ミカは頬を赤くして、目を丸くする。

「こっちは痛くないのか?」

「アキレス腱? あぁ……、靴擦れだね。これくらいは、おしゃれ靴を履いたときもよくなってたから、あんまり気にしてない」

「それでも膿んだりするとめんどうだ。すこししみるけど、がまんしてくれ」


 ガーゼに消毒液を染みこませて、傷口に当てる。ミカの顔がすこし歪んだ。


「痛いか?」

「う、うん、けど大丈夫」


 最初のガーゼは捨てて、次のガーゼに消毒液を吸わせる。それを傷口に当ててから、医療用テープで巻いた。


「これで、ひとまずよしとしてくれ。明日、発つ前にもういちど、ガーゼを変えたほうがいい。今度は厚めにしておけば、歩いても平気だろう」


 おれは使ったものと、ゴミを片付けをはじめた。——ミカはひとことも発さず、こちらをじっと見ている。


「……なんだ?」

「え、と……。ありがとう」

「普通のことだ」


 ふと、ミカの視線が義足に当たっていることに気づいた。


「セトは、足、痛くならない?」とても優しい声に聞こえた。

「幻肢痛っていうのが、たまに来る。それくらいで、あとは大丈夫。もう慣れた」

「そっか……」


 おれは使わなかった医療品をパントリーに運んだ。ミカはずっと、ベッドに座ってぼうっとしている。部屋にもどってもミカはそのままだった。彼女にはかまわず、おれは自分のリュックのそばに行って、なかを整理しはじめる。


「なんか不安」一点を見たまま、ミカは言った。

「なにがだ?」

「たった一日歩いただけでこれだもん。アトラに着くころには疲労骨折しててるかも。草生えちゃう」

「慣れないことをしているんだから、しかたない。慣れてしまえばいい」

「うーん」

「やめるか?」軽い口調で言ってみる。

「やめない」

「それじゃ、今度ともよろしく」

「なにそれ、いまさら改めての挨拶とか、草生える」

「……なんなんだ、さっきから草、草って」

「ネットスラングだよ」


 ここでようやくミカは笑顔になった。




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