ー10ー
愛を知るのに指輪はいらない
「ぼくはカジナガ・アンリっす。アトラからの手紙を、東のネシティ連会に運んでいるとこっす」
依頼人の居場所、届け先……、口にしているあたり違和感しかない。ほんとうにネシティの訓練を受けているのか?
「新人か?」おれは雷駆刀を鞘にしまった。
「お初にお目にかかります、先輩」アンリはぺこりと頭を下げた。「……まじで助かりました! あの闘いっぷり、生ける伝説っすよ! 尊敬を通り越して崇拝の域っす!」
「あんた、どこの所属?」
「アトラっす! アトラのネシティ連会に所属しているっす!」
そうだ、何年か前、キヅキが言っていた〈ネシティ連会、アトラ支部〉の話。当時のキヅキは、そんなのが実際にできたらいいな、くらいの夢見心地に話していた。乗り越えなければいけない課題が山積していて、実現はかなり遠い、と話していたのが最後の記憶だが……。まさかもう現実になっていたのか。
「ほんとうにアトラ支部の?」
「そうなんす! まだペーペーですが、いちおうネシティの仕事はできてます」
「……訓練は?」
「訓練? というか、セミナーに参加したっす。半日で終わりました」
たったそれだけ?
いや、おかしい。
変だ、ありえない。
「……シェルター維持班の経験は?」
「ないっす。シェルターのなかでのイロハは、筆記のなかで学んだので、大丈夫っす!」
自信満々に言うあたりはさすがだ。しかし残念ながら、その話は明らかに《《ちがう》》。
「で、今回が初仕事?」
「そうっす! いまのところ順調っす!」
あまり関わらないほうがいい人種かもしれない。ミカを危険にさらすわけにもいけないし、おれは去ろうとする。
「まぁ……。これからも死なずに、がんばってくれ」
「あ、よかったら握手させてもらえませんか!? 助けてもらったこの奇跡、肌で覚えておかねば後世にしめしがつかないっす!」
返答するまでもなく、アンリはこちらの片手を一方的に奪った。うれしそうな顔で、握ったおれの手を上下にぶんぶんと振るので、こちらはなすがまま。
もうなにがなんだか、どうでもよくなってきた。
こいつは、明らかに騙されている。
詐欺かなにかの被害者だ。
——ともすると背後に殺気を感じた。
おれはアンリの手を解いた。
すぐに振り返ると路地裏に入る手前で、ミカが立っていた。
逆光でシルエットになっている。
どこか、殺人鬼のような風態がうかがえる。
「ミカ、大丈夫だったか?」
「……なんだか、とても楽しそうですね、セトさん。そちらは女性ですか?」聞いたことのない低い声が投げられた。逆光のせいで表情が見えない。
「女……、だよな?」
おれはアンリに目配せをした。
「はいっす! どうもお連れさまぁ!」
アンリは元気よく答えて、ミカに手を振った。その場でぴょんぴょん跳ねたくらいにして。
「あちらの方もネシティさんっすか?」
「いや、彼女は旅人だ。おれも今回の道程は仕事じゃない。ただの旅だ」
「そ、そうなんすか!? じゃぁ、手紙はお持ちでないんすね?」
「いまは持っていない。——だから、仕事で紙喰いを倒したわけじゃない。この白灰はこのままにして、もう行くよ」
「え、いただいていいんすか?」
「こちとら荷物を増やす予定はない」
「わぁ……」
両手を祈るように重ねて、アンリは光悦の目を向けてきた。
「助けてくれたあげく、礼もいらないとは……! まさに伝説っすよ! ドラゴンです!」
「……その伝説っての、やめてくれないか?」
言われるたび、化石にでもなった気分だ。
「そのクールな態度がまた、伝説に拍車をかけるんすよ!」
なんだ伝説に拍車って。言葉は合っているのか?
「やぁあああ、もっかい握手させてもらえますか!?」
こちらが答えるまでもなく、アンリの両手はおれの片手をがしっと掴んだ。ふたたび上下にゆれる腕……、増して突き刺さるミカの視線がやたらと痛い。
——ずかずかと路地裏に入る殺人鬼。
白灰を踏みつけ、握られた拳が漆黒の影を帯びる。
「ミカ……?」
なすがままにゆれる肩をそのままに、おれは声を出した。表情が見えるくらいまで近づいたミカは、おれとアンリのあいだに立った。
「あの。どなたのどちらさまか知りませんが、うちのセトの腕をぶんぶんゆらさないでもらえますか? ダッキューしたらどうするんです」
なんだ、この威圧感。 見開いてまばたきのひとつもしない目が、やたらおそろしい。
「は、はいっす……」さすがにアンリもなにかを察したらしい。「えと……、セトさんの彼女さんっすか?」
「ちが——」おれが言おうとするも、
「そうです」ミカは即答した。
「おい——」
「わあああ! 伝説の彼女さんっすか! うらやましい!」
いったんは声量をしぼってくれたか、と思ったが、アンリのそれは長くつづかない。
「……ちょっと待ってくれ」
いったん、場の空気を整えたくなった。
いろんな気が散らかりすぎだ。
「ひとつ、聞かせてほしい。アトラ支部長の名前は?」
え? とアンリはそんなことも知らないのか、と言いたそうな顔になった。
「サカザキ・ヘイジさんです」
その名に最悪な心当たりがあったおれは沈黙を決めこんだ。
「知ってる人?」ミカがこっちを見る。
「ああ。知ってる」
「やっぱり有名なんすね! うちのリーダー!」
「……なぁ、アンリ。わるいことは言わない。あんたが本当にネシティになりたいなら、その手紙を届けた場所にいる、キヅキ・ヒモトという人間と話せ。そこで本物のネシティになりたい、と伝えろ」
アンリはまばたきを何度か重ねて、言葉のわからない赤子のような顔をした。
「ぼく、本物のネシティっすよ?」
「……だろうな、いまはそう思っているだろう。だが、その電攻グレネードも、むこうに落ちている雷駆刀も、ただのレプリカだ」
「それってつまり……」ミカが言った。「ニセモノ?」
おれはうなずいた。ここでようやく、アンリの表情が怪訝なものに変わりはじめた。
「な、なにを言ってるんすか。ぼく、ちゃんと認められたっすよ、ネシティとして。高いお金を払って、セミナーに参加したんすから。思い立ってから半年バイトして貯めたっす」
「ネシティとして、仕事をひとりで任せられるようになるには、シェルター維持班としての期間を一年以上過ごす。これは単体行動ではない。三、四人からなるひとつの班の一員として動くものだ。そこで道の選びかた、紙喰いを避けるすべ、闘うすべを教えられ、知っていく」
いきなりひとりで手紙を運べだなんて、言われるはずがない。キヅキの管轄から派生した組織なら、まずありえない。
「——あと、純政府の窓口での手続きは踏んだのか?」
「そんなの踏んでないっす……」ついに泣きそうな顔だ。「じゃぁ……。ぼくは、騙されていたんすか?」
「その電攻グレネードをひとつ、貸してみろ」
消沈したアンリは、頼りない手つきでグレネードひとつ、腰のベルトから外した。
「おれは電攻グレネードを使わないけど、これは明らかなニセモノだとわかる。本物なら、グレネードの底面にローマ字でmade in ROABINというグラフィティの印字がかならずある。これにはない」
それどころか、made in ROARBINと、ゴシック体で味っ気のなく一文字多い。デザインがひどいばかりか、字をまちがっている。
「これをさっきの紙喰いに投げたとき、どこに命中した?」
「頭っす。脳天、ぴったり、命中っす」
「二発とも?」
「はい……」
「紙喰いは何秒スタンした?」
「……一発につき、一秒くらい?」
「ロビンばぁのレシピで正確に作った電攻グレネードなら、一五秒は動きを止められる。このニセモノは出力が低すぎる」
ネシティにとっては死活問題だ。
実際、アンリは死にかけていたし。
「……実家は金持ちか?」われながら、おかしな質問だ。
「あ、えと……」アンリは気まずそうにして、「楽園暮らしではないですけど、それなりに、普通の生活はさせてもらっている部類っすかね……」
おれはため息をついた。あいつも懲りないな、と思いながら。
「サカザキは、一時期、ロビンばぁに弟子入りしていた。製作物の見た目を真似ることは得意だったが、内部機構を作るのは下手くそだった。だから見た目がそっくりでも威力が最悪だ。……そのくせ、工場の価値品をこっそり盗んでは、近くの街で換金したり、手癖のわるいやつだった」
ここまで話せば、アンリの身になにが起きたのか、わかるだろう。
「ぼ、ぼくは詐欺にあったっすか……」
「そういうこと」
セミナーに参加したのが何人なのかは知らないが、信じたやつの数が、被害者の数だ。だらりと両腕を垂らし、アンリはがっかりを全身で体現している。
「高かったんすよ、参加料……。半日でネシティになれるって、ぼくだけじゃなく、ほかの参加者もよろこんでたっす。雷駆刀と電攻グレネードを手にしたみんなの顔、いまでも覚えているっすよ……」
消沈したアンリのそばに、ミカが近寄った。そっと、片手を握る。
「あなたが失ったのは、お金だけ?」
「え……?」アンリはミカを見た。「……と、自尊心?」
「家族は生きている?」
「父も、母も、その他も健在っす……」
それがなにか? というアンリの顔だ。
ミカはすっ、と肺に息を溜めた。




