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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
6/32

ー6ー

パンを食べたいだけだった

 

 するどい前脚を一本、振り上げる。

 すとん、と落とし、ちいさな生き物に突き刺す。

 泣き声が大きくなった。

 赤い液体が溢れる。

 新鮮な鉄のにおい。

 前脚を持ち上げると、ちいさな生き物がぶら下がってきた。

 適当にゆさぶって、邪魔者を床に落とす。

 木箱のなかがすっきりとして、紙が見えた。

 あとはこれを拾って喰うだけ。

 至福の時間——。


 なにかの声がする。

 生き物の声。

 ——ちがう。

 聞いたことがない音だ。

 唸るような音。そして駆け足。

 近づいてきたのは、二本足の生き物。

 おそらく、このちいさな邪魔者が大人に成長したやつだろう。

 邪魔だ。

 邪魔なら殺す。

 紙を食う至福を邪魔されてなるものか。

 音が近づく。

 すがたが見える。

 そいつは手になにかを持っていた。

 銀色の棒。

 それが音を鳴らしていた。

 触覚がひりひりする。

 二本足の生き物はこちらに向かって走ってくる。

 またするどい前脚で突いて始末すればいいと思った。

 足元では甲高い鳴き声。さっきよりもうるさい。

 どちらも邪魔だが、まずは体の大きいほうを殺す。

 前脚を振り上げる。一点を狙い突き刺す。

 外した。

 床に刺さった。

 獲物が見えない。

 複眼ならすぐに見つけられるのに。

 いや——視界が真っ白だ。

 胴に痛み。

 なにか刺さっている。さっきの棒だ、銀色の。

 音。

 猛々しく唸る音。

 油が焦げたにおい。

 灼熱。

 痛み。

 全身が痺れる。

 感覚が消える。

 命が、溶ける。


「この手の紙喰いは、ここ最近見なかったのにな……。しっかし……」


 二メートルの虫を殺した男は、残った光景に嫌悪を隠せなかった。危険な廃墟に無防備な赤子をひとり放置し、あまつさえ紙を置いていくとは。


「自分では殺せないから、紙喰いに殺させようってか。もし運がよければ、だれか拾ってくれるだろうと考えた……?」


 なんにせよ人間の所業ではないと男は思った。


「よしよし……」風に舞う白い灰を手で払いながら、男は赤子を抱き上げた。「大丈夫か?」


 絶えず変わらず泣き叫ぶ、ちいさな命。

 その喉から命のすべてを吐き出してしまいそうだ。


「これは……、毒か……。刺された部分の色がわるい。ああ、くそ。街の近郊とはいえ医者までかかるな……」


 男は鎖帷子のショルダーバッグから、消毒液入りの小瓶と包帯を取った。慣れた手つきで赤子の怪我を処置する。消毒が染みるのか、赤子はいや増して狂ったように泣いた。


「すまねぇな、痛いだろう。すこし我慢してくれ……」


 次に自分の服の袖をちぎり、赤子の片足、そのつけ根を布できつく縛った。急場しのぎだったが、それしか策がない。


「全身に毒がまわる前に、なんとか運ばねぇと。くそ、ここに捨てたやつを見つけたら絶対許さねぇ……」


 男は木箱のなかの紙を回収することも忘れなかった。黄ばんだ一枚の用紙に、質の悪いペンで書かれたのであろう言葉——


《この子はセト。呪われた子です》


「呪われた子ねぇ……」男は紙をショルダーバッグに入れた。「もしおまえがそうだとしても、こんなひどい目にあったんだ。それでチャラだろ」


 たくましい片腕に、赤子のセトは全身をだらりと預けた。すこしは安心したのか、悲鳴のような泣き声はすすり泣きに変わっていく。


「生きるのって痛えし辛えし、やんなっちまうよな。けど、生きててよかったときがいっぱいあっからよ。まったく、その歳でおれよりも苦労してんな、人生の先輩だよ。敵わねぇわ」


 軽快な足取りで、男は廃墟をあとにした。

 ゴーストタウンの景色は見慣れたものだ。

 乾いた風が、青い草の香りを運んでくる。

 肩に顔を押しつけて泣いているセトに、男は白い歯を見せながら優しく声をかけた。


「おれはキヅキ・ヒモトってんだ。きょうで三五になるが、二〇年はネシティをやってる——つっても、なんのこったか、わかんねぇか」


 ・…………………………・



 宿にもどってパンを食べる前に、寄るべき場所があった。パン屋の主人に教えてもらった古本屋だ。商店街の店はほとんど閉まっていたが、その店の入り口はわかりやすかった。なにせ本屋はほとんど地下にある。


 アンティーク ブック mojikaとカラフルなチョーク文字が書かれたブラックボードの立て看板が目についた。営業時間は「だいだい二〇時まで」と記されている。その近くには、ナナメ下方向を指し示す木製の看板もあった。


 矢印に従って、コンクリートの階段を降りる。視界はすぐ暗くなった。ランタンを点けたくなる。


 金属製の重たいドアを開けると、湿った本のにおいが一気に溢れた。


 通路の天井はコンクリートだ。床と壁は黒い布で覆われている。光量は間接照明の光だけ。明るすぎない照明を選ぶ店主は信頼できる。


 歩いてすぐ、右に片開きのドアがあったがそこは立ち入り禁止だった。おそらくスタッフルームだろう。まだ奥に、大きな扉があるからそこへ向かう。


 両開きの扉はやはり鉄製で、開くのには力が必要だった。開けると、からん、と小鐘の音がした。パン屋の入り口で聞いた音と似ている。


「おう、らっしゃい」


 左から声がした。カウンター越しに男性が座っている。褐色のニット帽から伸びる髪は長く、毛先までうねっている。カウンターにメガネが置いてあるが、彼は普通に本を読んでいる。読書には裸眼で間に合うのだろうか。


「見てもいいか?」

「もちろん。品揃えは容赦してくれ」


 ぐるりと見渡す。四方の壁はすべて本棚になっている。壁中に敷き詰められた本には高揚感を禁じえない。


 だが、それらは小説ではない。サンコウショと呼ばれるものだったり、キョウカショと呼ばれるものだったり、レキシショと呼ばれるものだったり。

  とかく純政府が残そうとした教育系の本ばかりだ。小説や、ノンフィクションのドキュメントなどはまずない。


「小説は……?」


 ためもとでたずねてみる。

 店主は首を横に振った。


「あると思うかい?」

「まぁ……」おれは鼻で笑った。「思ってない」

「だが、ここにある」


 店主は片手を持ち上げた。うすうす勘づいていたが、店主の読んでいるのは小説の単行本だ。ある程度かまえていたにも関わらず胸がどん、とゆれる感覚がした。本能が《《読みたい》》と訴えてくる。


「小説ってだけで、よだれが出るだろう。おれもそうだった。これは純政府をひとり殺した、その見返りで手に入れた」


 店主は悪気もなく、つらつらと言う。こちらは急に寒さを覚えた。


「殺した? 冗談だろう?」

「冗談だと思うか?」

「どうやって殺した?」


 問うと、店主は本を開いて朗読をはじめた。


「犯人は一度、だれも泊まっていないはずの空室——いまみなさんがいる、この部屋へもどった。そして、クローゼットに隠された紐を引いた。紐はとなりの部屋——事件現場につながっていた。画鋲の痕と見紛うほどちいさな穴を通った紐は、ベッド下にあった手榴弾のリングに巻きついていました。時間は午前二時。爆発音がひびいた。宿舎にいた全員がその音を聞いたわけです。しかしそれは、その後の殺人を予告する号砲だったことはいうまでもありません」


 読んでいるのは推理小説だ。しかもクライマックスのようだが……。


「ふたり目の殺人においては刃物が。三人目の殺人においては鈍器が。四人目は銃殺。そして、いまわたしたちが辛うじて逃れた最後の殺人方法——毒ガスによる大量殺人。おおむね、ラン・ピエールの小説をなぞった殺人であることは周知のとおり。そして、この容器に入っているガスをわたしは知っています。これの特徴は、ある中和剤を服用していると、悪性の身体反応がまったく起きないことにあります。ガスを吸っても死なないのです。その薬は医療機関に常備されており、該当する病気の処方薬として使用できます。——もう、おわかりですね。孤島に訪れたときから、風邪っぽいといいながら、震える手で朝晩と薬を飲んでいた人物、それは……」

「や、やめてくれ!」


 つい、おれは叫んだ。

 店主はパタンと片手で本を閉じて、わざとらしい笑顔をこちらにむける。


「おっと、この本を読む予定があったか。そいつぁ、わるいことをした。ネタバレギリギリだったぜ。すまんすまん」

「あんた……」おれは肩を使って、ひと呼吸をした。「どういうつもりだ。純政府の人間をどうやって殺したのかとたずねたんだ」

「答えてやると、言ったか?」

「いや……」

「おれは読書にもどった。覚えがわるいから、朗読する必要があった。質問に答えるも答えないも、会話をつづけるもつづけないも、本を置くも置かないも、おれの自由だ」

「客をぞんざいにする店舗経営者か。ずいぶん景気がよさそうだ」

「おかげさんで、好きなもんに囲まれて、好きなことをしていられる。他人に見かぎられるのはいいもんだぜ。自由が一瞬で手に入る。まぁ、やりすぎて牢屋行きになんのは、別の話だが——」

「この地下室で動かずにいることが、自由なのか? 結果としてここに縛られているなら、牢屋と変わらない」


 おれが言うと店主は本をカウンター叩きつけて、大きく笑った。


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