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愛を知るのに指輪はいらない
ミカを先に行かせるかたちで、おれたちはシェルターに入った。金属製の入り口を閉めると、急に視界の情報がなくなった。
「わ、まっくら」ミカが言った。
「そのまま階段を降りてくれ。すぐに電気が点く。手すりを離すなよ」
かん……、かん……、と金属の階段が靴音を鳴らす。この音を聞くと一日が終わるんだな、といつもは思う。だがきょうはミカと一緒だから、肩の力が抜ける感じがまるでしない。靴音もふたりぶんだ。妙に落ちつかない。
——うれしい? まさか。そんなこと思うわけない。おれはひとりでいる時間がなにより好きだ。
「ねぇセト」ミカが足を止めた。「電気って、いつ点くの?」
たしかに、ここまで階段を降りて点かないのはおかしい。もう一〇段は降りているはずだ。
「人感センサーが反応して、勝手に明るくなるはずなんだけど……」
「そうなの? じゃぁ、もうすこし降りてみる?」
「そうしてくれ」
「はーい……」
おそるおそる、一歩いっぽを慎重に定めながらミカは階段を降りていく。靴音が鳴る間隔も、ゆっくりになる。
「まだぁ……?」
「点かないな。——最後まで降りてみてくれるか?」
「わかった」
そのままミカは階段を降り切ったが、やはり電気は点かない。
「だめみたいだよ?」
「まいったな……」
だんだんと暗闇に目が慣れてはきたが、せいぜいどこに壁があるかくらいしかわからない。
「そのまま、そこにいてくれ。先にジェネレーターを起動させる」
「できる?」
「その場所さえわかれば、見えなくても動かせるはず」
「……ちょっと待って」
「なんだ?」
「あのさ……。ここまできてなんなんだけど。いったん上までもどって、入り口を開けてきたら、見えるんじゃない? その——陽の光で……」
盲点というか。なんというか。
身に染みついた慣習による、凡以下のミスだ。
まっくらな階段を降りれば勝手に明かりが点く、というのがおれのなかでの常識だった。それしか考えられていなかった。ミカの言うとおりだ。地面と平行に開く入り口を開けさえすれば、光はおのずと射しこんでくる。ジェネレーターの電源を入れる程度の明かりはじゅうぶんあるはずだし、入り口を閉めるのはそれからでも遅くない。
「そうだった……。その手があった」まっくらのなかで発せられた自分の声が、ひどくまぬけに感じられた。
「ま、まぁ、ほら、気づいたからいいじゃない」ミカの苦笑いが見えずとも、よくわかる。「セト、行ける?」
「ああ……」
腑の抜けた返事をして、おれは階段を登った。金属の入り口をスライドさせる。夕焼けのオレンジ色がシェルターのなかを照らした。自分に対して少々あきれ気味のため息が自然と漏れた。
「大丈夫?」階段を降りるおれを見上げながら、ミカが言った。
「なにが?」
「セト、疲れてるよ、すごく」
「そんなことない」
「機嫌わるいの?」
「いや……」
「やっぱり疲れてる。だって、目の下のくま、濃くなってる」
自分が疲れるかどうかなんて、考えたことがなかった。活動時間が長くなれば足も頭もだるくなるし、眠くもなる。それが普通だし、それを理由になにかを先延ばしにすることもいままでなかった。
自分がどれくらい活動すれば、どの程度躰がだるくなるのか。それは常にわかっているつもりだ。だから、疲れて動けなくなる前に、休息をとるようにしている。バッテリーが切れる前に充電する——それとおなじ。
もしかしたら、いつもよりバッテリーの消費が早いのかもしれない。きっと、ミカという守るべき存在がいるからだ、と推測する。
「きょうは早く寝よう」
おれはミカの顔を見ずに、まっすぐジェネレーターに向かった。ネシティの免許証をカードスロット差しこむ。給油キャップのつまみをオンにする。エンジンスイッチを「運転」に合わせ、チョークレバーを始動に入れ、始動クリップを引く。いつもの作業だ。
エンジン音が走り、シェルター内が通電。階段のある通路にも明かりが点いた。はっきりと見えるようになったミカの顔を見ると——なぜか頬がふくれていた。
「……どうした?」
「……別に」ミカは怒っている。
「なにか問題でも?」
「……なにも」
「そうか」
おれは答えて、入り口を閉じるために階段を上がった。日光が完全に遮られて、人工的な明かりだけになる。ふたたび階段を降りるとき、さっきとはちがって、ミカはこちらを見なかった。なにもない壁を怒った顔でじっと見ながら、腕組みをして、明らかな不機嫌を醸していた。
「どうしたんだよ……」
「別に」
おれはため息をついて、「なかに入るぞ」
「わかりました」
もう、なんなんだよ、めんどくさいな、と思ったのが正直なところ。
「セト、めんどくさい」
おれが部屋のドアノブに手をかけたとたん、ミカが言った。
「は?」
「は? じゃないし。ばか」
「なんなんだよ……」
「疲れてるなら、そう言って。わたしがいるせいで、いつもより余計に疲れているって、そう言って」
またこの感じだ、と思った。ミカのセリフにどう答えたらいいかわからなくなる瞬間が、またきた。どうしたらいい。
「……疲れてなんかいない」
「だとしてもセトはひとりが好きなんだよ。それくらいわかる。だれだってわかる」
「……そんな空気感は、いっつも出してると思う。自分でも」
「他人といるときはそれでいいよ。例えば、仕事のときとか。でも、いまはちがうでしょ? わたしとふたりで旅してる。もっと砕いちゃうと旅行してる。わたしと過ごすのも仕事も一環みたいな空気、やめてほしい」
いまのセリフには、ありがとう、と返すべきなのだろう。
もっと気をつかわずに、楽にしろ、と言われているのだろう。
それくらいは、わかる。
「わからない」
「……ん?」ミカは横目でこちらを見た。腕は組んだまま。
「砕けるとか、笑うとか、はしゃぐとか、楽しむとか……。そうなっている自分が、わからない」
そう言ってうつむいたおれの視界には、ドアノブに当てたっきり動かない左手が映った。金属のつま先も見えた。視界はそこで、しばらく止まったまま。
「気をわるくさせたなら、謝る」ドアノブに当てた手に、すこし力が入った。「おれ、血のつながった家族を知らない。友達とか、親友も知らない。だから——ごめん」
ふたりのあいだに沈黙が漂い、まるで空気の読めないジェネレーターのエンジン音が耳をいたずらに叩いてくる。
「わたしは……、セトを知らない」
ミカは腕組みをほどいて、リュックのベルトをやわりと握った。ほんのすこし躰を跳ねさせて、リュックを背負いなおした。
「だから——ごめん」
なぜミカが謝るのだろう。
きっと、わるいのはこっちなのに。
——すると、ジェネレーターがぷすぷすと音を立てて、しまいには停止してしまった。
「え……」ミカはおどろいた顔で、「止まっちゃった、けど……」
「ああ……」おれは、んん、と喉を整えた。「古いジェネレーターだと、たまに起こるんだ。しばらく使われてなかったのかもしれない」
ドアノブから手を離して、もういちどジェネレーターに向かおうとする——そのとき、ぐぅ、とかなり大きな音がうしろのほうから聞こえた。
「おなかすいちゃったみたい……」
「……大丈夫か?」
真剣に返すと、ミカは笑いだした。
「もう、ほんとに、セトって真面目」多少の呼吸困難をこらえながら、ミカはつづける。「わたしが笑われるほうだよ、いまの。真顔で《《大丈夫か?》》 なんて、ふつうはないよ、その反応」
「この暗闇で顔なんか見られないだろ」
「いっつもおなじ顔してるから、わかる。変化にとぼしい表情だもの」
「おれを石かなにかだと思ってるのか?」
「あ、でも眉毛はよく動くかも。そこを見れば、怒ってるのか、困ってるのかよくわかる」
「……なんでもいい」
おれは会話から逃げるように、ジェネレーターに向かった。さっきよりもはっきりと唸るエンジン音が聞こえたときには、いろんなことがどうでもよくなった。そしてふと、自然と微笑んでいる自分におどろいた。
どんなに最悪な一日でも、シャワーで体の汚れを流してしまえば、おおかたはどうでもよくなるものだ。この狭いシェルターの一室で、ひとりきりの夜を過ごすのなら、という条件つきだが……。
「パントリーから寝袋を出してくる。ミカは、ベッドで寝てくれ」
無地で味っけのない色をした、貸し出し用のパジャマを着たミカに言った。声は届いているはずだが、なぜかぴくりとも反応しない。どこを見るでもなくぼんやりとしたままベッドに座っている。
「どうした?」
缶詰だが、食事はしたし。
洗濯機もいま動いている。
「お湯でも沸かそうか?」
「ううん。大丈夫」
シェルター独特の湿ったにおいはしかたないし。
シャワーのお湯のいきおいが弱めだったのが、気に障ったのか?
いや——そんなことで不機嫌にならないだろう。
「歩き疲れたのか?」
「まぁ」そっけない返事だ。
「……まだ先は長い。早めに寝ておこう」
おれは背を向けて、パントリーに行こうとした。
「……一緒に寝ないの?」
ミカが言った。
「え? ……一緒に寝るしかないだろ、部屋はここしかない」
なるほど、ベッドがひとつなのが不満だったのか。
いや——ミカはベッドを使えるから、問題ないはずだ。
「おなじベッドで、寝ないの?」
「子供じゃないんだから」
「子供じゃないから、だよ」
なにを言っているのかわからない。が、なぜか心臓がどんと大きくゆれた。本能的に、おれはなにかを察したらしい。
「……わたし、そんなに女らしくない?」




