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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
愛を知るのに指輪はいらない
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ー7ー

愛を知るのに指輪はいらない

 ミカを先に行かせるかたちで、おれたちはシェルターに入った。金属製の入り口を閉めると、急に視界の情報がなくなった。


「わ、まっくら」ミカが言った。

「そのまま階段を降りてくれ。すぐに電気が点く。手すりを離すなよ」


 かん……、かん……、と金属の階段が靴音を鳴らす。この音を聞くと一日が終わるんだな、といつもは思う。だがきょうはミカと一緒だから、肩の力が抜ける感じがまるでしない。靴音もふたりぶんだ。妙に落ちつかない。


 ——うれしい? まさか。そんなこと思うわけない。おれはひとりでいる時間がなにより好きだ。


「ねぇセト」ミカが足を止めた。「電気って、いつ点くの?」


 たしかに、ここまで階段を降りて点かないのはおかしい。もう一〇段は降りているはずだ。


「人感センサーが反応して、勝手に明るくなるはずなんだけど……」

「そうなの? じゃぁ、もうすこし降りてみる?」

「そうしてくれ」

「はーい……」


 おそるおそる、一歩いっぽを慎重に定めながらミカは階段を降りていく。靴音が鳴る間隔も、ゆっくりになる。


「まだぁ……?」

「点かないな。——最後まで降りてみてくれるか?」

「わかった」


 そのままミカは階段を降り切ったが、やはり電気は点かない。


「だめみたいだよ?」

「まいったな……」


 だんだんと暗闇に目が慣れてはきたが、せいぜいどこに壁があるかくらいしかわからない。


「そのまま、そこにいてくれ。先にジェネレーターを起動させる」

「できる?」

「その場所さえわかれば、見えなくても動かせるはず」

「……ちょっと待って」

「なんだ?」

「あのさ……。ここまできてなんなんだけど。いったん上までもどって、入り口を開けてきたら、見えるんじゃない? その——陽の光で……」


 盲点というか。なんというか。

 身に染みついた慣習による、凡以下のミスだ。


 まっくらな階段を降りれば勝手に明かりが点く、というのがおれのなかでの常識だった。それしか考えられていなかった。ミカの言うとおりだ。地面と平行に開く入り口を開けさえすれば、光はおのずと射しこんでくる。ジェネレーターの電源を入れる程度の明かりはじゅうぶんあるはずだし、入り口を閉めるのはそれからでも遅くない。


「そうだった……。その手があった」まっくらのなかで発せられた自分の声が、ひどくまぬけに感じられた。

「ま、まぁ、ほら、気づいたからいいじゃない」ミカの苦笑いが見えずとも、よくわかる。「セト、行ける?」

「ああ……」


 腑の抜けた返事をして、おれは階段を登った。金属の入り口をスライドさせる。夕焼けのオレンジ色がシェルターのなかを照らした。自分に対して少々あきれ気味のため息が自然と漏れた。


「大丈夫?」階段を降りるおれを見上げながら、ミカが言った。

「なにが?」

「セト、疲れてるよ、すごく」

「そんなことない」

「機嫌わるいの?」

「いや……」

「やっぱり疲れてる。だって、目の下のくま、濃くなってる」


 自分が疲れるかどうかなんて、考えたことがなかった。活動時間が長くなれば足も頭もだるくなるし、眠くもなる。それが普通だし、それを理由になにかを先延ばしにすることもいままでなかった。


 自分がどれくらい活動すれば、どの程度躰がだるくなるのか。それは常にわかっているつもりだ。だから、疲れて動けなくなる前に、休息をとるようにしている。バッテリーが切れる前に充電する——それとおなじ。


 もしかしたら、いつもよりバッテリーの消費が早いのかもしれない。きっと、ミカという守るべき存在がいるからだ、と推測する。


「きょうは早く寝よう」


 おれはミカの顔を見ずに、まっすぐジェネレーターに向かった。ネシティの免許証をカードスロット差しこむ。給油キャップのつまみをオンにする。エンジンスイッチを「運転」に合わせ、チョークレバーを始動に入れ、始動クリップを引く。いつもの作業だ。


 エンジン音が走り、シェルター内が通電。階段のある通路にも明かりが点いた。はっきりと見えるようになったミカの顔を見ると——なぜか頬がふくれていた。


「……どうした?」

「……別に」ミカは怒っている。

「なにか問題でも?」

「……なにも」

「そうか」


 おれは答えて、入り口を閉じるために階段を上がった。日光が完全に遮られて、人工的な明かりだけになる。ふたたび階段を降りるとき、さっきとはちがって、ミカはこちらを見なかった。なにもない壁を怒った顔でじっと見ながら、腕組みをして、明らかな不機嫌を醸していた。


「どうしたんだよ……」

「別に」

 おれはため息をついて、「なかに入るぞ」

「わかりました」


 もう、なんなんだよ、めんどくさいな、と思ったのが正直なところ。


「セト、めんどくさい」


 おれが部屋のドアノブに手をかけたとたん、ミカが言った。


「は?」

「は? じゃないし。ばか」

「なんなんだよ……」

「疲れてるなら、そう言って。わたしがいるせいで、いつもより余計に疲れているって、そう言って」


 またこの感じだ、と思った。ミカのセリフにどう答えたらいいかわからなくなる瞬間が、またきた。どうしたらいい。


「……疲れてなんかいない」

「だとしてもセトはひとりが好きなんだよ。それくらいわかる。だれだってわかる」

「……そんな空気感は、いっつも出してると思う。自分でも」

「他人といるときはそれでいいよ。例えば、仕事のときとか。でも、いまはちがうでしょ? わたしとふたりで旅してる。もっと砕いちゃうと旅行してる。わたしと過ごすのも仕事も一環みたいな空気、やめてほしい」


 いまのセリフには、ありがとう、と返すべきなのだろう。

 もっと気をつかわずに、楽にしろ、と言われているのだろう。

 それくらいは、わかる。


「わからない」

「……ん?」ミカは横目でこちらを見た。腕は組んだまま。

「砕けるとか、笑うとか、はしゃぐとか、楽しむとか……。そうなっている自分が、わからない」


 そう言ってうつむいたおれの視界には、ドアノブに当てたっきり動かない左手が映った。金属のつま先も見えた。視界はそこで、しばらく止まったまま。


「気をわるくさせたなら、謝る」ドアノブに当てた手に、すこし力が入った。「おれ、血のつながった家族を知らない。友達とか、親友も知らない。だから——ごめん」


 ふたりのあいだに沈黙が漂い、まるで空気の読めないジェネレーターのエンジン音が耳をいたずらに叩いてくる。


「わたしは……、セトを知らない」


 ミカは腕組みをほどいて、リュックのベルトをやわりと握った。ほんのすこし躰を跳ねさせて、リュックを背負いなおした。


「だから——ごめん」


 なぜミカが謝るのだろう。

 きっと、わるいのはこっちなのに。


 ——すると、ジェネレーターがぷすぷすと音を立てて、しまいには停止してしまった。


「え……」ミカはおどろいた顔で、「止まっちゃった、けど……」

「ああ……」おれは、んん、と喉を整えた。「古いジェネレーターだと、たまに起こるんだ。しばらく使われてなかったのかもしれない」


 ドアノブから手を離して、もういちどジェネレーターに向かおうとする——そのとき、ぐぅ、とかなり大きな音がうしろのほうから聞こえた。

「おなかすいちゃったみたい……」

「……大丈夫か?」


 真剣に返すと、ミカは笑いだした。


「もう、ほんとに、セトって真面目」多少の呼吸困難をこらえながら、ミカはつづける。「わたしが笑われるほうだよ、いまの。真顔で《《大丈夫か?》》 なんて、ふつうはないよ、その反応」

「この暗闇で顔なんか見られないだろ」

「いっつもおなじ顔してるから、わかる。変化にとぼしい表情だもの」

「おれを石かなにかだと思ってるのか?」

「あ、でも眉毛はよく動くかも。そこを見れば、怒ってるのか、困ってるのかよくわかる」

「……なんでもいい」


 おれは会話から逃げるように、ジェネレーターに向かった。さっきよりもはっきりと唸るエンジン音が聞こえたときには、いろんなことがどうでもよくなった。そしてふと、自然と微笑んでいる自分におどろいた。



 どんなに最悪な一日でも、シャワーで体の汚れを流してしまえば、おおかたはどうでもよくなるものだ。この狭いシェルターの一室で、ひとりきりの夜を過ごすのなら、という条件つきだが……。


「パントリーから寝袋を出してくる。ミカは、ベッドで寝てくれ」


 無地で味っけのない色をした、貸し出し用のパジャマを着たミカに言った。声は届いているはずだが、なぜかぴくりとも反応しない。どこを見るでもなくぼんやりとしたままベッドに座っている。


「どうした?」


 缶詰だが、食事はしたし。

 洗濯機もいま動いている。


「お湯でも沸かそうか?」

「ううん。大丈夫」


 シェルター独特の湿ったにおいはしかたないし。

 シャワーのお湯のいきおいが弱めだったのが、気に障ったのか?

 いや——そんなことで不機嫌にならないだろう。


「歩き疲れたのか?」

「まぁ」そっけない返事だ。

「……まだ先は長い。早めに寝ておこう」


 おれは背を向けて、パントリーに行こうとした。


「……一緒に寝ないの?」


 ミカが言った。


「え? ……一緒に寝るしかないだろ、部屋はここしかない」


 なるほど、ベッドがひとつなのが不満だったのか。

 いや——ミカはベッドを使えるから、問題ないはずだ。


「おなじベッドで、寝ないの?」

「子供じゃないんだから」

「子供じゃないから、だよ」


 なにを言っているのかわからない。が、なぜか心臓がどんと大きくゆれた。本能的に、おれはなにかを察したらしい。


「……わたし、そんなに女らしくない?」


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