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愛を知るのに指輪はいらない
かっ、かっ、とハナカルは笑う。
「セト……、こうなるとBテディは収まらない……」サダが言った。「走ったほうがいいかもしれない」
「ああ、もう——!」このあとの展開を予想するとうんざりだ。「ミカ、行くぞ!」
「え、え、え!?」
「ハナカル、忘れないからな!」
売り文句を言ってやったが、当の本人はうれしそうに笑っている。
「達者でな! セト! 道中気をつけるんだよ!」
どの口が言うんだ、と思いながら、おれは動転するミカの手を握って森を走った。
最初の《《お祝い》》はすぐに飛んできた。ハナカルとおなじ衣装を着たやつが右の茂みから飛び出してきたかと思ったら、カゴいっぱいの果物をこちらに思いきりぶちまけてくる。すぐにミカをかばった。数個の果実を被弾してしまう。顔と服に、オレンジの果肉と果汁がべっとりと付いた。最悪だ。
「おめでとう!」顔も知らないBテディのメンバーが、大声で叫ぶ。
「ちがう!」おれはかまわず走る。
「きゃっ! なに!?」ミカが叫ぶ。
「祝わなくていい! やめてくれぇっ!」
自分の喉からここまでの大声が出たのはひさびさだった。森のなかを走れど、走れど、次から次に満面の笑みをしたBテディのメンバーが茂みや木の上から現れて、急襲上等といわんばかりに果物やら干し肉やら、花のリースやらを投げつけてくる。
おれはとにかく森を抜けようと必死に走った。ミカにとっても、かなり迷惑極まりないだろうと思っていた。しかし、祝い品の雨のなかを走ること三〇分——ミカはずっと楽しそうにはしゃいでいた。
まだ森を抜けたわけではないが、Bテディのメンバーがいない場所まで走り抜けることができた。適当な場所に腰をおろして、どうにかひと息をつく——そしてやたらとカラフルな互いの全身を見て、おれたちは思わず吹き出した。
「やっば! セトの顔、半分オレンジで服なんかぐっちょぐちょ!」
「ミカだって髪がトマトの汁で潰れてる。ジャージのズボンにキウイのゴマがついてるし、ウインドブレーカーのポケットに干し肉みたいなの刺さってる」
「あ——」ミカは干し肉に気づいて、それを手に取った。「ほんとだ、あ、でもおいしそうだよ、これ!」
気が興奮しているのか、ミカは手に持ったそれをそのまま口に運んでしまった。とっさに静止しようとしたが、その隙もなく——ぐい、とかじられちぎれた干し肉の一塊は、頬のなかですでに転がっている。
「んふ、んまひひょほれ」
「もぐもぐしながらしゃべるな……」
小動物みたいに小刻みの咀嚼をして、ミカは干し肉を喉に落とした。
「うまいよ! これ! パンに使うベーコンみたいな味!」
「味はともかく……、のんびりとしていると陽が暮れる。早く森を抜けるぞ」
おれが話している隙すらも逃さず、ミカは次の一口を進めた。
「んょう、ひへむふふ、はらへる?」
「……だから、飲みこんでからしゃべれ」
「——んぐ……。きょう、着てる服、洗える?」
「シェルターに洗濯乾燥機があれば、洗える」
「よかった、それなら安心。あー、やっぱり旅にいい服は着るもんじゃないね……。ジャージでよかった。あんなに賑やかなのも、たまにはいいもんだね」
ミカにとっては楽しい時間だったようだ。だが、おれは逆さまの森を道として選んだことを、ひどく後悔していた。
Bテディが結婚などの祝いごとに、《糧当ての儀》を行うことを知っていた。しかしまさか自分たちがその餌食になるとは思わなかった。結婚どころか、付き合ってすらいないというのに……。
ハナカル……、なにをどうしてその発想になったのか知らないが、恨むぞ……。
「でもさ、セト」ミカは立ち上がって、果汁でベタベタになった自分の全身を見た。両手をかかしみたいに肩の線まで持ち上げている。「こんなにたくさん、食料を無駄にしてよかったの? Bテディさんたちだって、食べ物は無駄にできないでしょう?」
「あなたたちを祝うためなら、貴重な食べ物すら惜しくないよ、という意味があるらしい」
「セトは、あの儀式を見たことあるの?」
「ない。今回がはじめて。知ってはいた」
「そっか……」ミカは人差し指を顎先に当てて、「じゃ、あんなに祝ってもっらんなら、裏切れないよね……」
「裏切る? なにをだ」
「結婚」
「は?」
「しないと」
さも普通に言うから、おれは言葉に詰まった。さっきまで大慌てで逃げ惑って、走りまくっていたのに、それを超えるほどに心臓が大きく脈打って、全身が一気に熱くなった。おでこなんか、とくに火を吹いているかと思うくらいに。
「ど、どいつもこいつも、あ、頭狂ってる!」
おれはすたすたと先を急いだ。ズボンのなかにすら果汁なのかなんなのかベタベタとした感覚があったが、その気持ちわるさなんかどうでもよかった。
「あ、待ってよ! セト!」ミカは笑いながら、うしろにつづく。「冗談だってば! そんなに顔赤くされると、逆にこっちが困るよ!」
なんなんだ、人間って、どうなっている。祝いごとだからってなにをやっても許されるとか、冗談だったらなにを言ってもいいとか思っているのか知らないが迷惑なだけだばかばかしい。
結婚なんかしなくたって生きていける。だれに祝われようがなんだろうが、時間は勝手に進むし、やるべきことから逃げられるわけじゃない。一時のどんちゃん騒ぎのあとに残るのはおかしな疲労感と、ずっしりとのしかかる物理的なあと片付けばかり。今回は森のなかだったからいいが、これが室内だったら壁も天井もテーブルも椅子も潰れた食べものと、その汁だらけだ。考えられたものじゃない。実際、おれたちの服は果汁にまみれて目も当てられない。洗うのはハナカルじゃないし。
でも——どうしてだろう。
森を抜けて、また砂漠とコンクリートの荒野が見えたときには、どうにも心が軽くて、自然と笑っている自分がいて。それも変だな、と思おうとしても思えなくて。なんか楽しかったな、と心が勝手にしゃべっていることが、不思議で、不思議でたまらなかった。
シェルターを囲む電気柵を前に、ミカはとても興味津々な目をしていた。なにもかもが新鮮に映っているのだろう。
「ねぇ……、地上からにょきって出てきてる、あの鉄のパイプみたいなのってなに?」
「あれは換気口だよ。メタルチンアナゴって呼んでる」
「……ほかのネーミングなかったの?」
「おれがつけたわけじゃない。ネシティのあいだではそう呼ばれてるってだけだ」
ふぅん……、と相槌を打ちながら、ミカは電気柵の周囲を歩く。シェルターのところどころを観察している。
「じゃ、この鉄板の下が、シェルターなの?」
「ああ」
「すごいね、こんなに大きいと思わなかった」
「なにが?」
「入り口」
「鉄扉自体は一五畳ほどだ。家具や備品を搬入するための開口スペースは、その三分の二くらいある。——ほら、まんなかの下あたりに縦が二メートル、横が一メートルの開口部があるの、わかるか?」
ミカはぴょんぴょんと軽く跳ねて、柵のむこう側にあるシェルターの入り口を見ようとした。
「あれかな? U字の取っ手みたいのがついてる」
「そこが人間用の入り口だ。普段、出入りしている」
「え、じゃあ家具とか入れるときはどうするの? 人間ひとりが入るので、せいぜいな感じあるよ?」
「特殊な工具でボルトの金留めを外すと、鉄扉全体の半分以上が開口するようになる。さっきも言ったけど、三分の二くらい——。すると備品貯蔵用のパントリーが上から丸見えになる。パントリーは人間用の入り口通路を挟んで、左右に設けられている。片方には小物とか缶詰とか積まれていて、壁はラックでいっぱい。もう片方には、基本、なにも置かない。そこにベッドとか、洗濯機とか、机とかいったん格納する。そのあとに各部屋に運ぶ。ベッドくらいの大型になると、だいたいはパーツに分けて格納して、組み立てるのは、実際にそれを使う部屋で、になる」
シェルター維持班だったせいもあってか、この手の話にはつい流暢になってしまう。わるいくせだ、すこし後悔。しゃべりすぎていいことなんてないのに。
「へぇ……、セトってなんでも知ってるね」
「ネシティのことしか知らない」
「それでも、すごいじゃん。なにかに詳しいって、すごいよ」
すこし離れた場所から車の音が聞こえた。純政府の軍用車が数台、純道(二〇〇年前の国道)を通ったようだ。
「セト、車……」ミカが不安そうに言った。「この近くって、純道があるの?」
「ああ。シェルターの近くにはかならずある。——いや、逆か。シェルターのほとんどが、純道の近くにつくられている」
「あぁ……。そっか、じゃないと家具とか運べないもんね。トラックとか、使うんでしょ?」
「軽トラ、ってやつは使う」
「セトは、乗ったことあるの?」
「もちろん」
答えると、ミカは突然にやにやと不敵に笑んだ。
「なんか、想像するとおもしろい」
「なにがだ」
「荷台に乗って、風にあおられて、もじゃもじゃ髪がめくれあがるのもおもしろいしぃ……。助手席でちょこん、と大人しくしてるのも想像しちゃう」
「そんなこと——」全力で否定しようと思ったが、実際に過去のおれは、ミカの言うとおりだった。「ない……」
「ふふ——」ミカは楽そうな顔で、「セトって、かわいいね」
恥ずかしいやら、気まずいやら、変な衝動が湧いてきた。最近、自分の顔が赤くなっているな、と気づく瞬間が多くて困る。ミカと過ごしていると、よくこうなってしまう。さらっと言われたセリフにどう答えたらいいのか、とたんにわからなくなる。
「な、なんでもいいからさっさとなかに入るぞ……!」
表情を隠すために、砂よけのスカーフを目の下まで上げた。この無風のときに、そんな必要もないのに。スカーフについていたオレンジ色の果汁のせいで、甘酸っぱいにおいが鼻の奥までぎゅっと沁みてきた。




