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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
愛を知るのに指輪はいらない
57/71

ー5ー

愛を知るのに指輪はいらない

 

「してない」

「えー、なんだぁ、残念」

「オオムラ……、じゃない、セイブリは?」


 セイブリは、ブラッディ・テディのリーダーだ。ネシティだったときは、オオムラ・カズヒデという名前だった。彼はその名を、独立するときに捨てた。


「いまは遠征中だよ」ハナカルは剣を地面に突き刺した。空いた両手で熊の半顔フードを脱ぐと、色黒で目鼻立ちのくっきりした顔があらわになった。「近場の紙喰いをぶっ倒しに行った」

「ひとりで?」

「まさか」ハナカルは軽く笑って、「最近新人が増えたんでさ。そいつらの訓練も兼ねての討伐だよ。もちろん、白灰も目当てだけどね」


 ——ふと、ミカの吐息がすぐ顔のうしろあったことに気づいた。ハナカルが怖かったらしく、いつのまにかおれの背後に隠れていた。


「なーんだよ、びびらなくていいって」ハナカルは片手を小鳥の羽みたいに動かして、「うちらカルトでもないし。普通にここに住んでるだけだよ。ちょっと、原始人ちっくではあるかもだけど」


 自給自足。電力を使ったテクノロジーには一切頼らない。そう決めて、その通りの生活を送っているのがブラッディ・テディたち。一般的な街での生活や、純政府に管理された社会とはかけ離れた日々を送っている。中途半端に文明を追いかけるよりも、思い切って文明を退化させることによって、そこでしか得られない生活感を楽しむ——。連会から離れるときに、セイブリがそう言って理想を掲げていた。


「え、でも……、白灰を採るってことは、お金が必要なのでは……?」ミカがおそるおそる言った。

「ああ、それは加工用の素材にするんだよ。街の人には知られてないかもだけど、特別な技術で溶かしてから固めると、けっこう頑丈な素材になるんだよ。なんだっけ、セラミック? みたいなやつになる」

「ああ……、トイレとかに使われるやつですね」


 すこし気を許したのか、ミカは一歩横にずれた。おれのうしろに隠れるのをやめた。すると今度はハナカルが素早くおれの横にきた。やたらニヤニヤした顔とともに、片肘で小突いてきた。


「なんだよ……、痛い」

「やるじゃん、おまえ……」ハナカルは口角をゆるませて、小声で耳打つ。ミカには聞こえないようにしているようだ。「体つきもいいよ、もろもろでかいし顔もいい……。ちょっと見ないあいだに、おまえ、大人になりやがって……。連会で世話してやった小僧はどこ行ったのかねぇ……」


 なんだか全身が《《こそばゆく》》なった。おれは二歩ほど退がって、ハナカルから離れた。


「やめろ……、そういうのじゃない」

「へぇ……」ハナカルは、おれ越しにミカを見た。「で、したの?」

「な、なななななにをですか!?」ミカがきょどった。

「キス。と、それ以外」

「しし、してません!」一気に頬を赤くして、ミカが怒鳴った。「わたしたち、そんなんじゃありませんから! 勝手にくっつけないでください!」

「そっか……」


 なにを思ったか、ハナカルは急に顔を沈めた。意気消沈の雰囲気を全身から溢れさせる。


「おねぇちゃん、まじで期待したのに……」ぐず、と鼻まですすって、「だってさ、セトさ、ガキのころさ、いじめられてたんだよ。うちもまだ連会にいたからさ、たまにいじめっ子のとこに殴りこみに行ったんだよ。まぁ、たいがい学校のせんこーに止められて、うちが純政府の警らの世話になっちゃうんだけどさ。それくらい、セトが大事だったの。だって、うちの彼氏の友達の息子だよ? 自分のガキみたいなもんだよ……」


 消沈するハナカルの背後から音がした。茂みがさわがしくなり、ぬぅと熊の頭が見えて、ひとりの男が現れた。左手に弓を持って、右手の矢を軽くつがっている。服装の色味はちがうが、ハナカルとおなじ格好だ。炭のように濃い肌をした顔に、もみあげから顎までの髭が目立つ。


「おい、なんなんだこいつは」男がおれを見て言った。「敵か? 侵入者か? それとも食料か?」


 その三点、どれもこちらにとっては最悪だ。

 ミカは顔を青くして、おれのうしろに隠れた。


「ちがうよ、セイブリの前世時代の知り合いの息子」ハナカルが言った。

「……ほんとうか?」男はその背丈に合わず、下からにらむ蛇のような目でおれを見た。

「ねぇ、前世時代ってなに?」背後でミカが耳打ちをする。

「ここのリーダーがネシティだった時代のこと」顔をすこしうしろに向けて、おれは答えた。

「で……」男は一歩こちらに近づいた。「セイブリの知り合いは、だれのことだ」

「キヅキ・ヒモト。いまも連会の長をしている」

「……即答。まっすぐこちらを見ているが、うそをついていない目。呼吸は一定。適度の緊張。守るものがある者が全身に宿す、軽微な殺気」


 男はつらつらと言って、番えていた矢を左手にやった。空いた右手をこちらに差し出してくる。


「……握手?」おれは怪訝な反応をした。

「ブラッディ・テディを正式に訪問した客人と認定する。握手しよう」

「断る」

「——っ! なぜだ……!」

「他人を上から目線で分析するような輩に尽くす礼はない」

「なっ……」男は片眉を下げて、「ぶ、無礼な!」

「無礼はどっちだよ、この脳鉄」


 ハナカルは男の頭を叩いた。衝撃は熊の毛皮に吸収されて、ぼふ、と音がした。


「の、脳鉄と呼ぶな!」


 そう呼ばれるのがよほど恥ずかしいのか、男は妙な必死さを醸している。


「他人を頭のてっぺんから鑑定する前に、自分の名前くらい名乗ったらどうなんだよ」ハナカルの言葉はもっともに聞こえる。

「ねぇセト……」ミカが耳打つ。「脳みそまで鉄、ってこと?」

「頭が硬いんだろ?」おれは答えた。

「ああ……。なるほどにゃす……」


 それから間も開けずに、ハナカルは大口を開けて笑いだした。 腰に片手を当てながら、もう片方の手は男の背中を連続で叩いている。その度に熊の毛皮がぼふぼふと音を立てる。


「わるいね、こいつ、これでも参謀なんだ。Bテディ(ブラッディ・テディの略称)のなかでは頭のキレるほうなんだよ。許してやって。ほら、名前——」


 うながされるようにして、男は自らをサダと名乗った。先ほどとはうって変わって、弱々しくちいさな声だった。ハナカルのとなりで気恥ずかしそうにしているところを見るに、心根はいいやつそうに思える。


「すまなかった……」サダは弓を持つ手から力を抜いて、「初対面で緊張すると、硬い対応しかできなくなってしまうんだ……」

「あと、複数人が集まる会議とかな」ハナカルがつなぐ。

「実は緊張しぃなんです?」ひょこ、とおれの背中から半身を出してミカが言った。

「まぁ、そんなとこ」かっ、かっ、とハナカルが大口で笑った。「でもこいつのおかげで、この森の南西にある山の上流河川から、うちらの里まで水を引くことができたし! 頭いいんだよ、かったいけどさ!」


 そしてまた、サダはぼふぼふと背中を叩かれる。


「やめてくれる?」とても真面目な口調でサダは言った。

「お、おう。やめる」ぴたっとハナカルの手が止まった。


 ふたりのやりとりにミカは表情を固めて、肩を震わせた。明らかに笑いを堪えている。場の空気がやわらいだ瞬間にも思えた。


「なぁ、セト」ハナカルは雰囲気を正して、「行くんだろ? この先に」

「わるい。里に寄ってるひまはないんだ。日暮れまでに次のシェルターに行かなきゃならない」

「あー、残念。最近は家畜も狩りも流れに乗っているから、いい肉を食わせてあげられると思ったのになぁ……」


 奇妙樹だらけのジャングルで立ち話をするよりも、里でゆっくりしたい気持ちはある。寝床なども用意してくれるだろう。けれど、ミカには早めにシェルターに慣れてほしい、という気持ちがどうしても先行する。


 まだカンドゥから距離の近いシェルターは設備が整っているが、遠くなればなるほど、シェルターの宿泊の質は確実に下がっていく。ミカのシェルター慣れは急務のようにさえ、思えている。


「……里で泊まるのもいいんだけど、きょうはシェルターに行くよ。その予定で、ここを通ったのもある」

「せめて、食料の分配くらいはしようか?」軽い上目づかいのサダが言った。

「大丈夫。そこも計算して、旅程を組んでいる」


 旅程、という言葉にハナカルの耳がぴくりと反応した。


「——ん? あんた、仕事中じゃないの?」

「ちがう。手紙は持ってきていない」

「……じゃ、やっぱり新婚旅行じゃん!」

「だから、ちがうって!」

「こりゃ祝いだよ!」ハナカルは暴走をはじめた。「Bテディ全員で、あんたらを祝福だ!」


 ハナカルは輪にした指を咥えて、笛を鳴らした。高く長い音と低く長い音を交互に繰り返す。最後に、これまででもっとも高い音を息がつづくまで鳴らした。それからは、森じゅうから祝福の指笛がいくつも鳴りひびき、指笛の大合唱に——。


「わ、すっごい!」ミカはきょろきょろとあたりを見渡す。「すがたは見えないけど、みんな、祝ってくれてるみたい!」

「お、おい、やめさせてくれ!」おれはあわててハナカルに言った。「そんな関係じゃないし、結婚なんてもってのほかだ!」

「いいじゃないの! 前祝いだよ!」


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