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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
愛を知るのに指輪はいらない
55/74

ー3ー

愛を知るのに指輪はいらない

 

 出発の朝は曇り空だった。リュックにジャージ姿が気に食わないのか、ミカは若干不服そうな顔だ。


「どうせなら、もうちょっとおしゃれしたい」軽く頬をふくらませて言う。

「だとよ? セト」見送りのユヅキがあいだに入る。

「だめだ。動きやすい格好。それ以外認めない」

「しかもこれ、きょう洗って、きょう干して、あしたも着るんだよね」

「ああ。もし洗濯乾燥機が置いてないシェルターだったら、洗うのはあした以降だ」


 おれが言うと、ピキッと眉間にシワをつくったミカが肩を叩いてきた。けっこうな力だった。遠慮のない一撃。


「いって」

「セトのばか」

「おれのせいじゃない。責任者に言ってくれ」

「責任者って、ユヅキさんのお兄さん?」

「まぁ、だいたいそうだな」ユヅキが他人ごとのように答える。「ここからアトラまでの道のりだったら、洗濯乾燥機を置いてないシェルターはひとつかふたつくらいだろ?」

「……ぶぅ」ミカはやはり不機嫌で、「ほんとに、大丈夫なんだよね? だれかが使ったタオルとかシーツとか、ゴミとか、散らかってないよね?」

「泊まるタイミングによっては、前の宿泊者が使ったままってこともある。その覚悟はしておいてくれ」

「……ぶぅ」一度ふくれた頬は、なかなかしぼんでくれない。

「旅なんて、そんなもんだぜ?」ユヅキが言った。「シェルターがいやなら、定期連送便を使うしかない」

「そっちのがよっぽどやだ」

「じゃぁ、文句を言うな……」


 おれが口をつくと、ミカはひどく落ちこんでしまった。


「わたし、この期におよんで気づいちゃった。このパン屋から、ほとんど外に出たことがない。お父さん、もしかしたら過保護だったかも。あれはだめ、これはだめ、ここにいなさい、余計なことをするな、って……。それは優しさだとずっと思ってたけど、ちょっと、優しさの範囲を超えていたのかも」


 俗にいう、箱入り娘、みたいなものだろうか。


「ご本人の喪中にいうのもどうかと思うが……」ユヅキは前置きをして、「——大事な娘だからこそ、旅に出てほしい、外の世界を学んでほしいって気持ちはあんたんじゃねぇか?」


 定期連送便を使うという条件つきだったとはいえ、アトラまでの旅を許してくれた父親だ。彼なりの葛藤があったはず。


「わたしが見た外の世界なんて、定期連送便で行ったアトラくらい。あとはずっと、このパン屋にいた。自分の足で、自分の目で、すべてを知って、体験したい」


 リュックを背負いなおして、まだ看板の残るパン屋をミカは見上げた。感慨深いその目はすこしゆれている。涙をこらえるように結ばれた口から、その感情が伝わってくる。


「行ってきます。お父さん」


 ショルダーストラップを握る両手に、ぐっと力を込めてミカは言った。


 これからの旅をかならず成功させる——その責任を肌がひりひりするくらい感じた瞬間だった。


 街周電気柵の門に来るときはいつもひとりだが、今回は見送りのユヅキをふくめての三人だ。ネシティだから、門番に免許証を見せるだけでまかり通った。


 しかしミカは一般人だ。手続きにすこし時間がかかった。約三〇分のあいだ、おれはユヅキとしゃべって時間を潰したが、ミカは検問所で質問を受けた。


 どこへ行くのか、なにが目的なのか、という質問からはじまり、身長や体重、前科の有無などの余計なことまで突かれて、もどってきたときは怒りをとおり越しての無表情だった。


「純政府ってなんなのマジで」と言った殺意あるちいさな声をしばらく忘れられそうにない。


 どうにか外出許可をもらったおりには、見送りにきてくれたユヅキも、今生の別れみたいな顔をしていた。


 そんな顔するな、と言ってはみたが、——うるせぇ、なんかうれしいやら心配やらでわけわかんねぇよ——となぜか怒っていた。


 大袈裟な金網の門を出て、振り返る。金属の網のむこうで手を振るユヅキの鼻から、光る水が垂れていたのが見えた。ご近所さんであるミカの父親が亡くなったことをふくめて、さまざまな感慨が深く入り混じっているのかな、と勝手に想像した。


 おれたちふたりはユヅキに手を振った。一面に見える砂とコンクリート、そして、奇形な植物とムラサキの水晶塔が彩を添える世界へと旅立った。




「あしがいたーい……」


 屍のように両肩をだらりと脱力させながらミカは言った。きょうは日差しが強い。この時期にしてはめずらしい天気だ。廃墟と化したコンクリートのジャングルも、太陽の熱にやられて軽く温度を上げている。目玉焼きが作れるほどではないが。


「まだカンドゥを出てから一〇キロくらいしか歩いてない」口元の砂避けスカーフを片手で下げて、おれは言った。「一〇キロでその調子だと、この先が思いやられる」

「まだ歩き慣れてないだけだってばぁ……」ミカはリュックを背負いなおして、「なーんにもない道をまっすぐ歩くだけだと思ってた。けっこう迂回ばっかりなんだね……。もう、どっちの方角からきたかも、忘れちゃった」

「整備されたまっすぐな道は、純政府軍にからまれる。もれなく、だ」

「なんでからむのよ。アトラに行きたくて歩いてるだけでしょう?」

「——ひまなんだろ?」


 答えながら、おれは植物とサビにまみれた廃車の上にひょいと乗った。すこし遠くを見るためだ。


「下手すると、なにもわるいことをしてないのに犯罪者あつかいされたりする。そこを歩いているだけでだ。やつら、架空の大義名分を作るのが得意だから」

「道を歩いてる罪?」

「そんなとこ」


 遠くのほうに目をこらすと、微妙に動きのある黒い塊を見つけた。進行方向ではないが、いちおう警戒したほうがいい。


「あれ、見えるか?」おれは指差した。

「え?」ミカは車の脇から視線を投げた。「んー、なに? 青い看板?」

「ちがう。その下——すこし右」

「あの植物の近く? ——っていうか奇妙樹じゃないよね、あの木」

「街路樹っていう、人工的に植えられたやつだ」


 その木陰で動く黒い塊がある。せいぜい寝息をたてているくらいの動きにしか見えないが、数百メートルは離れているこの距離から見ても、豆粒よりはっきりとした大きさがある。近づけば、見上げる背丈にはなるだろう。


「え、もう?」ミカは顔を白くした。

「紙喰いだ」

「もうすこし先で見るかと思った」

「紙は持っていないな?」


 出かける前にさんざん確認はしたが、いまいちど念の為。


「なにもないよ。そこは大丈夫」

「よし……」おれは廃車の上から降りて、「すこし進行方向を変える。遠回りにはなるけど、あいつを避けて通る」

「……ねぇ」ミカは不安そうに、「紙喰いって、どこにでもいるの?」

「どこにでもいる。でも、一匹を見れば、それ以外が近くにいることはすくない。あいつらが危険であることはまちがいないけど、行動や習性は読みやすい」


 とにかく紙を追いかける。

 なぜか紙を喰いたがる。

 紙を運ぶ人間、あるいは近くにいる人間を邪魔者として排除する。

 でかい。

 どんなにちいさな個体でも、成体は人よりでかい。


「なんメートルもの巨体で、たった数センチの紙を欲するのが最大の謎なんだけど」

「紙を食べたら……、どうなるの?」ミカが言った。

「その紙に書いてある言葉が紙喰いのノドから漏れてひびく……。それから全身がまっしろになって、紙に書いてあった文字が躰じゅうに流れる」

「もしラブレターを食べたら……、紙喰い自体がラブレターになっちゃうの?」

「その発想はなかったな」


 なにげに言ったいまのセリフに、ミカはすこし笑った。


「なにそれ、ネットスラングみたい」

「なんだそれ……?」

「知らない? ネットスラング。わたし、現代版ネットスラング集って本持ってるの。子供のころからよく読んでた。現代版っていっても、二〇〇年前のだけど」

「そっか」


 小説ではないのなら、興味はない。


「あー、いかにも興味なさそう」


 頬をふくらませるのは、ミカのおはこだな、と思った。


「そうだな。別に……」おれは歩をすすめた。「ほら、早く行くぞ。ルート変更があったときは、次のシェルターを早めに探したほうがいい」

「止まるんじゃねぇぞ……」


 ミカはわざと声を低くして言ったが、もとのネタがわからなかった。反応する気にもなれなかったから、おれは黙って足を進めた。そのうしろにミカの足音がつづく。


「ここから先は奇妙樹の群生地帯だ。そこを抜けたらシェルターがあるから、そこに泊まる」

「だ、大丈夫なの? その群生地帯……。聞いたことないんだけど……」

「ただのジャングルだ。いまおれたちが歩いている、砂とコンクリートがメインの荒野よりは虫が多い」


 するとミカはこの世の終わりみたいな悲鳴をあげた。


「む、虫ぃ……!?」

「おい、まだ紙喰いから完全に離れたわけじゃないんだから、大声を出すな……」

「あ——」ミカは両手で口を覆って、「ごめん……」それから小声になった。「虫だらけなのはやだぁ……。ゴキブリとかいる?」

「ああ、紙喰いにならなかった、ちっちゃいやつか」


 その個体は見たことがないが、飲食店のそばにはよく出る種類らしい。


「いるんじゃないか? 一匹くらい」

「やだぁ……」ミカは足を止めた。

「じゃ、帰るか? カンドゥに」

「やだ。ほかの道はないの?」

「あるにはあるが、シェルターが遠くなる」


 おれが言うと、どこかあきらめたようなため息をミカはついた。


「プロにおまかせしまぁす」

「うらむなら、さっき見た紙喰いをうらめ」

「はぁ……」ミカは頭をがっくりと垂れて、「紙喰いを生んだキルラをうらむ……」


 もし、おれひとりだったら、あの程度の紙喰いのためにルートを変更したりしない。今回はミカがいるから、なるべく安全なルートを随時選択していくしかない。旅慣れていない者と長距離を移動するのは、おれにとってはじめての経験だから。




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