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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
愛を知るのに指輪はいらない
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ー2ー

愛を知るのに指輪はいらない

 

 出発の前日には、ミカの荷物をチェックすることで半日が過ぎた。シェルターで何泊もすることになるから、それを見越しての用意をしなければならない。


 最初に見たミカの荷物は、とにかく服が多かった。移動時のジャージ、シェルターで着る部屋着、風呂に入ったあとのパジャマ、寒いとき用のカーディガン、ダウンジャケット、そうでもない気温のときに着るパーカーが数種類。さらにズボン、スカート、下着類を足していくと、それだけで買ったばかりの大型のリュックがパンパンに膨れ上がった。


「だめだ」爆発しそうなリュックを半目でにらみつけながら、おれは言った。

「えー」ミカは頬をふくらませて、「最低限の服しか入れてないよ?」

「だめだ。多すぎる」

「最低限なのに?」

「シェルターで洗濯と乾燥ができるんだから、それを見越した数の服にしてくれって言っただろ?」

「それを見越しての、最低限だよ?」

「最最低限にしてくれ」

「なにそれー」不服極まりないが、それでも観念した様子で、「わかった。じゃぁ下着とか選びなおすから、どっか行ってて」


 言われたとおりに、おれはいったんパン屋を出た。外ではユヅキが待っていた。きのうのうちに出発時間を知らせてあった。


「お? もう終わったのか?」

「いや、まだだ。たったいま荷造りがはじまった、といってもいい」

「にしても、大丈夫なのか? 素人がアトラまで……。定期連送便を使わずに荒地を歩くなんて、ゾッとする話だ」

「ありえない話ではない」

「まぁ、よくあるといえば、あるけどよ」ユヅキは片足で適当に地面を蹴った。石畳がざらっと鳴った。「今回はプロと一緒だから、いいのか。いや、いいのか?」

「本人たっての希望だ、仕方ない。それに、ついこのあいだ、連会までその身ひとつで歩いてきた歴史文明学者の女性がいた」

「まじで……?」ユヅキは眉をしかめたまま、こわばった笑みを浮かべる。「なんだって、そんなことしたの?」

「本を書くための取材」

「本を出版できるなんて、楽園の人間かなんか?」


 すぐに察するところは、さすがユヅキだなと思う。おれはこくりとうなずいた。


「それと——楽園内のくだらない人間関係がいやになって、外の空気を吸いたかった。生きている実感を、感じたかったらしい。それとおなじことを、きのうのミカも言ってた」

「生きてる実感、ね……」


 ユヅキは遠い目をした。視線の先では一羽のハトが飛んでいた。紙喰いにならなかった鳥としては、有名な種だ。


「楽園なんて、せまくて息苦しいだけだろうさ。だからなおさら、本を読んだりしなきゃやってられないぜ。本を読めば、一気に世界旅行ができるからな」


 二〇〇年前の地球、宇宙。異世界、ファンタジーもなんでもありだろう。うらやましいことだ。そのうちの数十冊でも下界に無償配布してくれれば、どれだけありがたいか。図書館なってものが、そこらじゅうに建っていればいいのに。


「本のなかにいるときは、自分が主人公になったみたいで楽しいだろう。でも、その顔を紙面から数センチ上にずらしてみれば、いつもの現実がそこにある。ずん、と気が重くなる瞬間だよ」

「だけど、一冊で終わりじゃない。何冊もある。何回でも世界旅行ができる。それが楽園だろ?」


 ユヅキの気が重くなるのは、単純に読める本の数の問題じゃないか、と思った。何度も読んでストーリーの展開も文脈も知り尽くした本ならば、読後感よりも現実にもどったがっかり感のほうが勝ったりする。その感覚はわかる。


 それでも一時的な現実逃避にはなるかもしれない。が、読んで知ったる本は、何度もおなじ茶葉で淹れた紅茶みたいに味が薄くなることもあるだろう。


「あーあ」ユヅキはしらけた声で、「うちの陳列棚もキョーカショやサンコーショだの古新聞だのばっかじゃなくて、小説と漫画で埋め尽くしてみてぇわ」


 だれしもが、どんな本でも自由に手にとれる時代がいつか来るのだろうか。もし紙喰いが絶滅すれば、そんな未来もあるかもしれない。


「嫉妬って、めんどくせぇな」ユヅキが吐き捨てる。「本屋を開いてんのに、読みたい本がなくて楽園にジェラシーを感じてる。変なはなしだぜ」


 ユヅキには、キヅキと再開した話はした。

 しかし飛ぶ紙喰いの存在は、まだ話していない。

 もちろん、飛ぶ紙喰いがふたたび現れる保証はない。

 だが可能性なら、ある。


 おれや、ヒナのように、楽園が絶対に安泰ではないかも、と考えている人はまだすくない。ユヅキが飛ぶ紙喰いの存在を知ったら、どう思うのだろうか。あまり楽園が好きではなさそうだから、ざまみろ、くらいには思ってしまうだろうか。


「もし、楽園に行けたら、ユヅキはなにを読みたい?」

「そうだな……。シリーズものの漫画だろうな。全巻そろってるやつがいい。おれらの住んでる下界じゃ、どこかで漫画の一冊を手に入れたって、第一巻だったらまだいいほう。つづきが気になっちまう麻薬針で刺されたような気分にはなるけどさ。四巻とか、一三巻とかを単品で読んだってなんにもおもしろくねぇ。最終巻なんか、もってのほかだ。結末から読む物語なんて、考えたくもねぇ」


 その点、小説なら一巻で完結しているものがほとんどだ。シリーズものがあったとしても漫画ほどの巻数はない。だからおれは小説のほうが好きだ。


「——くしっ!」ユヅキはくしゃみをした。寒そうに両腕をさする。「冷えてきたな……。おまえら気をつけろよ? 雪が降ったら、歩くのはたいへんだぜ?」

「もうしばらくは降らないよ。例年よりは暖かい」

「こんなときにネットでもあればな。明日の天気もぱぱっと調べられて、便利なんだろうに。いまじゃ、最新のニュースといえば週に一回だけ更新される大型の掲示板だけだし。つまんねぇったら、ねぇよ。世界の時間が止まってるみたいだ」


 黒板にチョークで書かれたものが、街のみなが閲覧する最新のニュースだ。それが月曜日に更新される。だれが、どんな犯罪をして純政府に拘留されたとか、どこそこで紙喰いが出たとか、あそこに店がオープンしたとか、クローズしたとか。書いてあってもそんなものだ。

 黒板は鍵付きのガラスケースのなかに入っているから、チョークで書かれた記事がいたずらされることはない。いたずらしたいと思うほどの場所でもない。自己顕示欲を公共の黒板で満たすがために、純政府からの極刑に怯える日々を得るなんて、不釣合いにもほどがある。


「掲示板よりも、主婦のうわさ話のほうが早い」

「ちがいねぇ」ユヅキは軽く笑った。「毎朝、紙の新聞なんてものを配れるような街は、よほど防衛力のある大都市くらいだしな」


 話しているとパン屋のドアが開いた音がした。


「お、済んだか?」


 ユヅキが振り返って言うと、ミカは会釈をしてからこちらを見た。その目はなんだか、怨みを抱えているようで。


「終わりました」抑揚のない声でミカが言った。

「ああ」返事をした。

「減らしました」

「それじゃ、確認する」


 にやにやとうすら笑うユヅキを背中に感じながら、おれは店のなかにもどった。

 おおよそ半分近くまで容量が減ったリュックと、そのぶん不機嫌になって頬がふくらんだミカを確認した。


「これなら大丈夫だ。シャンプーとか、ボディソープとか、部屋着とかはシェルターにあるもので我慢してくれ。歯ブラシも用意されているけど、自分のお気に入りがあれば、それでもかまわない。小物なら、かさばらないから」

「服よりは、ね」ミカが言った。

「ああ。服は、多すぎていいことはない。最低限の防寒ができれば、それでいい」


 黙ったまま、ミカはリュックに近づいて、なかを漁りだした。持ち上げたその手には、黄色のドレスが。


「……これだけ、持っていきたい」


 理由は——訊かずとも察しがつく。


「お母さんに?」

「うん。着てくれるまでは、期待してないけど。せめて、昔を思い出してくれればいいなって」


 ミカの母は、精神の病を患っているはずだ。それがどこまで深刻なのかは、わからないが。過去の楽しい思い出は、時として人を癒すこともあるだろう。


「持っていこう」

「うん……。ありがと、わかってくれて」




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