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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
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ー24ー

学者で、女で、剛腕で

 

 事実、オロチと紙喰いは人間が住むこの場所に上空から侵入している。これを防ぐには、街全体をドーム型の電気柵で包むくらいしかないだろう。それには相当の労力と資金と……、考えるだけで胸が焼ける。


「まぁ、聞いてくれ」キヅキが強めに言うと、群衆はすこし大人しくなった。「気になったこともいくつかある。紙喰いが飛んだことはたしかだが、これにはきっと条件がある。じゃなきゃ、いまのいままで紙喰いが飛べなかった理由が、むしろわからねぇ」


 はっ、と顔を上げたのはヒナだ。


「そう……、人間が紙喰いの肉体に侵食されていること自体が、初めての現象ですよね……」

「——おれの、所見だけどさ」リョウが言った。だれかが話すたびに、群衆の視線がそちらに移動している。「紙喰いは、そいつ単体では飛行能力を得るまでの進化はできない。でも成長の過程で、人間のなにかが体内に入った場合——。紙喰いの躰にも通常はありえない影響がおよぶんじゃないか、って、おも、うん……、だけど……」


 集中する視線に緊張を覚えたのか、言葉の最後が弱々しくなっていった。しかしリョウの主張は可能性としては十分だ。


「人間のなにかって、なんだ?」ネシティのひとりが言った。肩に無反動砲を装備したイカツイ顔のやつだったから、リョウはさらに萎縮してしまった。

「それは……、えっと……」

「血液だと思うぜ」


 代わってキヅキが言った。


「闘ってて思ったけどさ。ロビンばぁが撃った弾を食らって、飛び散った紙喰いの血。よく見るやつらの血とちがって、色が薄かった。反対に、オロチの血は、人間の血としては色が濃い……」

「ファぁ! 血がブレンドされたってぇのかい?」


 突然発せられたロビンばぁの声がでかくて、数人がびくりとむち打ちになった。そういえばロビンばぁは、度重なる爆破実験と老化とで、耳が遠くなっていた。


「幼少からの成長過程で、人間の血を飲んだ紙喰いは、空を飛べるようになる……?」


 あごに指を当てるヒナが、ひとりごとのように言った。


「——いずれにしても、様子を見るしかねぇな」キヅキが言った。「今回は、人間が紙喰い化するっていう、お初な状況も一緒だったわけだ。今後、人間と《《血液交換》》をする紙喰いが増えるかもしれないし、今回だけかもしれない。そもそも血液交換なんてものが起きたっていうはっきりとした証拠もねぇわけだけど……。まずは、そうだな……」


 ここまで言ってキヅキはロビンばぁに目配せをした。視線を受け取って、ロビンばぁは例の引き笑いをした。


「わぁってるよ! 坊主!」ロビンばぁにとってはキヅキも子供のようなものだ。「対空装備、だろ! ——ファッ!」

「開発のほう、頼むわ……」キヅキはがっかりしたように息をついた。「人類に安堵はねぇな……。あるとするならそれは、どんな状況にも勝てるという確信のなかにのみ、ってことだよなぁ……」


 キヅキは、そこにいるネシティたち、ひとりひとりに視線を置いていった。


「状況によって、最適の行動を。命の使い方は自由だが、無惨な死はおれが許さねぇ。頼んだぞ、おまえら」


 連会長の言葉を受け取ったネシティたちは各々にうなずいた。すぐにオロチの死骸を掃除しなければならないわけだが、その作業に取りかかる全員の顔は、妙にすっきりとしていた。


 なぜだろう、この状況で、ネシティたちはどうして気楽な心を持ち合わせていられるのだろうか。


 紙喰いが飛んだこと。人間の血を求めて、襲って、血を交換するかもしれない、新たな紙喰いが出現する可能性。それらを考えると気が重くなるはずだが……。


「セトさん……。なんだか、わたしだけがひどく落ちこんで、絶望しているみたいで、おかしな気分になります……。ネシティさんって、みんなこう、なんというか、楽観主義なのですか?」ヒナが涙目で言った。


 これはきっと、ただの楽観ではない。彼らのなかにあるものは、おれのなかにもある。いままではっきりと言語化したことがないだけだ。


 状況によって最適な行動——キヅキが口すっぱく言うこの言葉の芯には、一本のゆるがない想いがある。たったいま、おれもそれに気づいたところかもしれない。


「なにが起きても負けない、どんな状況も乗り越えてみせる——そんな感じ?」

「絶対的な自信があるからこそ生まれる、余裕のようなものでしょうか? 他者の力に依存するのではなく、自分に対する確信をもつ、という感覚ですかね……」

「ネシティのなかに、他人をあてにしているやつはひとりもいない。みんな、ひとりだ。ここは、ひとりですべてを乗り越えると決めたやつらの集まる場所だから」


 こちらの言葉を吟味するように、ヒナはうなずいた。


「烏合の衆、なんて言葉とは無縁ですね」

「いままでの常識が変わったとしても、自分が流されなければ、かならず乗り越えられる。この世の常識が変わったことなんて、これまで何回もあった。ネシティは、その点強いみたいだ」

「でも……」ヒナはやはり顔を暗くした。「楽園は、どうでしょう……」


 空を飛ぶ紙喰いなら、楽園を直接訪問することができるだろう。そうなると……、悲惨なものだ。紙や本に恵まれている場所を、やつらが見逃すとは思えない。


「どうするんだ?」


 飛ぶ紙喰いの事実を楽園に伝えるのか、という意味でおれは問うた。


「どうしましょう……」


 緊張と不安を混ぜたヒナの口元に力が入る。


「わたしひとりが声をあげたところで、楽園のみなが信じるとは思えません。むしろ安穏をおびやかす狂人としてあつかわれる未来が見えてしまいます。おそらく、オオカミ少年になるのがオチじゃないかと……」

「オオカミ少年?」

「ああ、ええと……。物語のタイトルです。ひまを持て余した羊飼いの少年が、オオカミが来る、オオカミがくる、と村じゅうに言いふらしていたのです。しかしそれはまっかなうそ——」


 そうまでして楽しみを得ようとするなんて、よほど退屈だったのだろう。


「平凡でつまらない日常を面白くしようと考えた、少年のいたずらだった。最初のうちは村人たちが血相を変えて、オオカミはどこだ! と騒ぎます。しかしオオカミなどいない。そのうちに少年の言葉を信じる村人はいなくなりました。しかし——今度は、ほんとうにオオカミが近づくのを、少年は見てしまうのです」


 なんとなく結末が見えた。


「少年の言葉を信じなかった村人たちは、オオカミに殺された?」

「いえ、物語では、殺されたのは村の羊です。ともあれ、食材を供給してくれる大事な家畜でしょうから、結果的に人命に関わる大事件ですよ。これを楽園に置き換えると、紙喰いが本や資料の山をむさぼるために、そこに住む人間を殺していく——ということになるでしょうね……」


 オオカミ少年……、未来の楽園を表しているようで、なんとも皮肉な物語だ。


「少年の言葉を、もっと徹底的に無視すればよかった。まったくもって、意に介さないくらいに」

「ん? ……無視したからこそ、被害が出たのでは?」

「少年の言葉がどうあれ、オオカミが来るかもしれないっていう可能性はあったんだろ? なら、見張りを置くなり、柵を設置するなり、対策をとればよかった。少年はどうせうそを言っているけど、そんなの無視して、勝手にオオカミ対策をしようぜ、ってなれば、村は無事だったんじゃないか?」


 少年の言葉はうそだ、ということばかりに目を向けていたのが、村人の落ち度ではないだろうか。結果的にオオカミがこないだろうと思いこんでしまった。


「たしかに、襲われる可能性がゼロではないなら、少年は関係ないかもですね……」

「少年はむしろ、オオカミが来るかもしれない可能性を考えさせるきっかけだった。うそはよくないけど、可能性を無視した村人も、村人だ。だから、ヒナが飛ぶ紙喰いのことを楽園でいうのは、 わるいことじゃない。まして、うそをつくわけでもないし」


 こちらの言葉を受けて、ヒナはうーん、と深く悩んだ。


「……わたし、言ってみます」


 そうのほうがいい、とおれも思う。


「まずは、父に……。それから、なるべく偉い人に伝わるように努力します」


 それでなんの対策もとらず、ヒナの言葉を一脚するようなら、楽園はそれまでだ。


「もし、わたしが狂人あつかいされたら、セトさんに会いに行ってもいいですか?」

「もちろん、だけど、おれ、いつも連会にいるわけじゃない」


 大概、その辺をほっつき歩いている。


「セトさんだけは……、わたしをまともな人間として、見てくれるから……」


 そう言ってヒナは、こちらの服の袖を指で強くつまんだ。どうしたらいいかわからなかったけど、返す言葉だけは、用意できる気がした。


「ヒナは、ヒナだ。だれであっても、その事実を壊すことはできない」

「ありがとうございます……」


 明るく振る舞っている人間こそ、心のなかはひどく孤独で、いつも寂しさと恐怖を堪えているのかもしれない。


 おれみたいに、孤独ですがなにか? という態度で過ごしているやつは、まだ楽をしているのかもしれない。


 まわりに気をつかえるヒナやキヅキのほうが、もっともっと孤独だ。心が潰れそうなほどの責任や重圧を、たったひとりで抱えている。おれはそういう立派な人間にはなれそうにもない。だけど、なにかすこしでも、ふたりを助けられることがあるのなら。それはおれにとって、とても光栄なことだと思った。


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