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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
51/70

ー23ー

学者で、女で、剛腕で

 

「ア——? ジュン、せいふ……?」


 怪物のオロチは首をかしげた。


「おまえとケンカしたことがあるぜ」

「ア——、アア、あア! ネシ、テイ、ね——シティイっ!」


 苛立ちをぶつけるように爪を地面に何度か叩きつけ、オロチは重たい躰をもろともせず駆けた。その速度はおれがトリガーで迫るよりすこし遅いくらいだが、人間離れしていることはちがいない。


「本来なら客は歓迎なんだが——。ちょいと行儀がわるすぎるぜ、オロチ。まずそこ、連会の本部。屋根をめちゃくちゃにしてくれたな。修繕には三週間はかかる。あと、《《もうひとつ》》——」

「ウルサイ、う、カミ、カミ、カミヲクワセロ、紙をクワ——セロ——!」


 喚き、躰をうねらせながら急接近したオロチ最初の一撃が振り下ろされる。ごあいさつとばかりにキヅキは刀で爪を受けた。おれは簡単にぶっ飛ばされたオロチの怪力を、キヅキは片手と体幹で受け止めた。むしろ、にやついてさえいる。


「相変わらず力だけはあるな!」

「う——、アア! バカ、じゃナ、スルナ——!」


 大きな金属音とともに、オロチは体制を崩してよろめいた。キヅキが弧を描くように刀を振ったために、押さえつけていた爪が弾かれた。——この瞬間、勝負はついた。


 キヅキはマントに隠れていた左手を下から袈裟に薙いだ。前方に蒼色の粉塵が舞う。それと似たような星の群れが、夏の夜空にはある。


 特殊な戦闘用粉塵を散布するスプレーガン。銃身が長く、グリップは人間工学に基づいて設計された特注。本来はマガジンタンクを装着するグリップの底面からは細いケーブルが伸びる。それは粉塵を収容するタンクと繋がっている。タンクはキヅキの腰で、ベルトによる固定。


 雷駆刀が粉塵を追うように空を切る。

 きっ先が星の群れをかすめる刹那、

 アクセルレバーが反秒ほど握られる。

 一瞬だけ刃を駆ける電撃は、粉塵に引火。

 連鎖の爆発。


 刹那、キヅキはくるりと手品師のように身を丸めて、マントのなかに隠れた。マントは耐衝撃、耐火炎の性能を有している特注品だ。黒い生地の端っこには、made in ROABIN の刺繍が施されている。


「でたな——」構えを解いて、ただの見物人と化したネシティのひとりが言った。「キヅキだけが使える、神業だ」

「んでもって——」もうひとりのネシティがいう。「爆発のあとに残った骸を宇宙そらの残骸とは、よくいったものだな……」


 粉塵をまともに浴びていたオロチは、爆発もまともに浴びた。とっさに左腕で防御をとったようだが、その甲斐あったのか、なかったのか——やつは後方にふっ飛んで、そこに横たわる紙喰いに躰をぶつけて止まったが、焦げた鮮血が宙で弧を描いて、重たく硬い音がしたときには、胴から離れた左腕が人形のパーツみたいに地面に転がっていた。



 あまりの痛みなのか、オロチは悲鳴と断末魔を混ぜたような最悪な声を撒き散らしている。右手で左腕の断部をおさえているが、だらだらと血が滝のように流れるばかり。


「わるいな。今回はケンカじゃない。殺し合いだ」キヅキが歩を進めながら言う。「おまえ——、ほんとうはいいやつなんだろ? だけど、あんまりにムカつくことばっかりで、グレちまったんだよな」


 息を荒くして、呼吸に呼吸を重ねて、肺を破裂させそうになりながら、オロチはキヅキを怯えた目でにらんでいる。


「わからなくもねぇ。純政府はクソだ。同意する。だがな、どんなにクソなやつが相手でも、こっちまでクソになったらしまいだ。大事なのは力でも権力でもねぇ。ここだよ——」


 キヅキは片手で胸を二回叩いた。


「どうしてこうなっちまったのか、しらねぇけどさ。うまくいかねぇことばっかで、紙喰いにならなきゃやってらんなかったんだろうけどさ。悪魔に身も心も売ったやつは、その時点で負けだ。人間のすがたをしていようが、紙喰いのすがたをしていようが、な」


 あと二歩も進めば、刃が届こうかという距離までキヅキが近づくと、オロチはまだ人間らしさの残る右手を伸ばした。そして、ちいさな声で言った。


「たすけ、テ……」


 キヅキは目を伏せた。その良心を、おれは知っている。


「さっきも言ったが、ケンカじゃねぇんだ。おまえがそうなっちまった以上、もう、逃すって選択肢はとれねぇ。それと、《《もうひとつ》》……。おれの大事な仲間の墓を踏みにじった罪は、ここで償ってもらう」


 雷駆刀のきっ先が、オロチのみぞおちに埋まった。赤黒い血が刃を伝う。キヅキは一回だけ握力を使った。必要にして、最低限の唸りをあげて、雷駆刀はオロチの心臓を焼いた。まるで、その死を見届けるように鳥の紙喰いはちいさく鳴いて、すぐにまっしろな灰となった。


 そこに積もった相棒の、やわらかい白灰のベッドに身をあずけて。紙喰い化がより進んでいた左の半身だけを、追うように白灰にして。太陽を、光を乞うように右手を空に伸ばし、人の面影が残る右目をゆっくりと閉じて——。オロチは息をひきとった。


 どこかの角度から見れば、オロチの死は悲劇かもしれず、はたまた自業自得かもしれないし、儚い最期だとも、白に染まった美しい終わりだとも、なんとでもいえるのかもしれない。


 ただ、あいつは最期にとんでもない事実ものを運んできたことだけは、たしかで——


「どうしましょう、セトさん! セトさぁぁあん!」


 ヒナは泣いて喚きながら、がしりと掴んだおれの片腕をなんどもゆすった。それでもおれは棒のように突っ立って、視線は、オロチの死骸から目を離せない。呼吸だけが忙しなくなっていく。


 風が吹いて、まだ原型が残っていた一枚の羽毛がふわりと飛んだ。しかし数秒も経たずに、それも白い灰となって舞う。


「紙喰いが、紙喰いが……! 空を、飛んだ……。わたしに……、わたしにこの事実をどうあつかえっていうの……」


 ヒナの腕からは次第に力が抜けていく。手はおれに触れたままだが、足ががくりと崩れて、膝は地面に落ちた。ともすれば無神経な所作にもなろうかというキヅキへの拍手が方々でちらつくなか。おれの肌身には、ヒナの絶望にむせるすすり泣きが、ただただ重苦しげに伝わるばかりだった。



 キヅキは片手を上げて、拍手を止めた。マントのフードを脱ぐ。汗ひとつないが、苦みのある顔で振り返った。雷駆刀を鞘に納めると、気まずそうな空気を醸しながら、片手で後頭部をかいた。


「あー……。なんつうか、おまえら、わかってる?」


 群衆の反応はそれぞれだが、どちらかというとこの場の勝利に安堵している者が多いようだ。


「紙喰いが……。空を飛んだ」青い顔で言ったリョウに、群衆の視線が一気に集まった。

「そ、そうですよ——っ!」ヒナは地面に顔を向けながら叫んだ。「なにをのんきに拍手をしているんですか!? これは……、この事実は、今後の我々の生活を大きく変えてしまう……!」


 ついに事態を飲みこめたのか、群衆はざわざわと不安げな声を重ねはじめる。


「飛ぶ紙喰いは、街周電気柵バームクーヘンなんかじゃ防げない」リョウが言った。


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