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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
36/72

ー8ー

学者で、女で、剛腕で

 

 ゴンドラのなかには真っ赤なロープが一本ぶら下がっている。それを引くと、外側に装着されている鐘が音を鳴らす。これで降車場にいる管理人たちに到着を知らせることができる。


 とはいえ、ゴンドラが動いていることくらいは知っているはずだし、外を見ればそれ自体が近づいてくるわけで。鐘を鳴らす意味はあまりないが、雰囲気ってもんがあるだろ、とリュウゾウが言っていた。


 いつもどおりロープに手をかけると、それを見たヒナがまた騒ぎだした。


「あ、それ、わたしに鳴らさせてください!」

「え?」おれは手を離して場所をゆずった。「ご自由に……」

「やった! それじゃ、鳴らしますよぉ! ひっぱったらいいんですよね!」


 せーのっ! とヒナはいきんで、思いきりロープを引いた。ばかでかい音で一発の鐘が鳴ってすぐ——ぶちっ、といやな音がした。


「……切れちゃいました」

「……あんた、やっぱり怪力なんじゃ?」

「……かもです」

「……それ、預かっておく」

「……すいません」


 ロープの切れ端を受け取り、断面を観察したが、経年による劣化は見られなかった。むしろ最近、新調したんじゃないかとすら思える。ヒナが巨大なリュックを背負って旅ができたその理由が、なんとなくわかった。


 降車場に着くと、見慣れた顔が迎えてくれた。ネシティを引退した老人ふたりだ。ふもとの管理人ほど親しいわけでもないから、おれは適当にあいさつをした。あの一発のでかい鐘はなんだ? とからかわれたのは、想定内のこと。


 それにしても、ヒナとおれの組み合わせは妙だったらしく、新しい彼女か? とも訊かれた。いままで彼女なんかつくったことない、と返したら老人ふたりは笑っていた。人は長く生きると、年下をからかいたくなるのだろうか。あまり理解ができない感覚だ。


「わぁ……」歩きながら、ヒナはあたりを見渡す。「すごいですね、連会って、なんだか月に建設された基地がたくさん、って感じですね……。わ、歩いてばっかだったせいか語彙力が劣化している、わたし」

「月? 月に人間なんかいないだろ」

「いまはもちろん、いません……」ヒナは空を見て、「けれど人類は月に足を下ろしていたんです。キルラが出現するよりも、ずっと前のことですが」


 まさかと思った。そんな話は聞いたことがない。夜になると見上げていたあの月に、おれとおなじ人間が到達していたなんて。


「まるで夢みたいな話だ。さすが楽園出身は知見が広い」

「あ、その……。ごめんなさい」


 歩きながらヒナは顔を沈めた。


「なんであやまる?」

「あ、えと……。楽園の人間は知識マウントをとってくる、と思われたらあれだな、って……」

「マウント?」

「あ——」


 そこから知らないのか、というヒナの顔だ。


「倒れている人に乗っかって、顔を殴りつづけるような光景を想像してみてください。過去の人間はそれを、知識だったり、学歴だったり、身につけるアクセサリーや車などで日常的に行っていたんです。いまでも、そういう風潮はどこかしらに散見していますが……」


 たしかにえらそうに見下してくる金持ちは、いるにはいるが。そういうやつに見下されたからといって、きょうの夕飯がなくなるわけでもない。気にもならない。


「二〇〇年前の人間って、人を見下さないと自分を保てなかったのか?」

「うーん……」ヒナはすこし考えて、「ある一定の人たちは、優越感という麻薬に取り憑かれていた、といえるでしょうか。優越感のためだったら、いくらでも金を払ったし、いくらでも物を揃えようとした……」


 いまでいう、生きるために金や物を揃える、のとはちがうのだろうか。すくなくとも命がかかっているわけでは、なさそう。


「ある程度の生活水準を満たした先は、《《どれだけいい暮らしをしているか競争》》に追われていたのかもしれません。そんなことをしていられるくらい、社会はある意味、平和だったんです。 みながみな王様になりえたし、なろうともしていた……」


 家庭という国があり。家という城がある。そのうえで他国《よその家》をうらやんだり嫉妬したり、卑下したりする……。ついこのあいだに会ったトモヤの元妻の顔がよぎった。彼女は裕福な国の女王になった、ということか。あれは現代ではかなり珍しいケースだ。


 しかし、そんなのがいちいち日常であり、だれにでも起こりゆる事態だったら……。比較戦争みたいなのが起きていてもおかしくないのか。なんだか、人間の汚さみたいなのを感じてしまう。胸がやける。


 片足がないおれは、その事実だけを見るならば、ほとんどの他人に負けているのかもしれない。ほぼすべての両足で歩いているやつらに対して、うらやましいと感じることも、できなくはない。それはただ単純に、持っているか、いないか、そのちがいだけの話をするならば。


 けれど、自分の生活が確立されて、不便も感じなくなってからは、これがおれの普通になった。だれかにとっての異常だとしても、普通に生活できているし、人の役に立てている。それで十分だ。


 ——また、ぼんやりと考えこんでしまった。心ここにあらずだな、とキヅキによく言われたものだが、このくせはなかなか抜けない。たぶん、生まれついての習性みたいなものだろう。


 気まずい空気になる前に話題を探して、ヒナに投げた。


「たとえばだけど。突然なぞの宗教団体に拉致されて、殺されかけるみたいなこと、あったのか?」

「二〇〇年前は……、まずなかったと思います。0パーセントといえるくらい、まったく存在しなかったわけではないとは思いますが、いまよりもはるかに治安が良かったはずです」

「街の外に出れば、命の有無は自己責任……。そんな、いまみたいな世の中では、なかったんだよな」

「そうですね。それは、まちがいなくそうだと思います。街の外だろうが、なかだろうが、命はかならず守られるべき。とういうものだったはずです」

「いい世の中だな」

「ですね……。うらやましいです。平和な世界で、ネットや電話、メールに浸る生活をしてみたいものです。うらやましい……」


 ヒナはそう言ったが、おれはそうは思わなかった。


 平和で、ネットやらで他人どうしの思考が常につながっていれば、それなりの心的摩擦が常に発生するに決まってる。ひとりで荒野を歩いているのに、バックのなかで音がして、端末を手に取って、だれかと会話をしなければならない。シェルターで寝る前になっても、他人の情報をちいさな画面でかき集めて、どうでもいい自慢話や悪口を目にして目が冴える……。ああ、いやだ、考えただけで寒気がする。


 どこにいてもキヅキと話せる、といわれれば、すこしはわくわくする部分もあるけど……。たまにしか会えないからこそ、そのときの会話を大切にしたいと思えたりする。


 それに、あいつだったらいちいち心配しそうだ。いまはどこにいる? なにをしている? 配達は無事に終わったか? 飯はちゃんと食ったか? ケガはしてないか、なんて、細かい連絡を投げてくるのが想像できてしまう。


「人間って、どうして自分がいちばんになりたいんですかね……。生きているだけで、いいじゃないですか。もっといえば、だれかのためになにかを成せているなら、大満足じゃないですか。他人の心に希望を灯すこと——それ以上の幸せがありますか……」


 そう言って、ヒナはあたりを見渡した。道の脇に立っている金属の柱から、金属の家々に向かって、まっくろな電線が走るのを目で追っているようだ。


「あれがもし電気じゃなくて、ネットの配線だったら、人類はどうなっていたんでしょうね……」

「どうだろ。いまよりめんどくさくなってたんじゃないか?」

「めんどくさい、ですか……。うーん、たしかに人間関係のわずらわしさは増えそうですね。しかし叡智の結晶というものは、常にめんどくさいものですからね……」


 叡智の結晶以上に、おれ自身がめんどくさいやつなのか? と一瞬思ったが、それをヒナにたずねる気にはならなかった。なにか、ぐさりと的確なひとことが返ってきそうで——


「あ、それにしても、連会の建物っておもしろいですね! 全体的に曲線を描いている外観……! 派手だけど、芸術性に満ちたグラフィティの装飾……! はやく建物のなかを拝見したい……!」

「なかは普通だ。内側は基本木造だし。外壁や屋根が金属製になっているだけだよ。あと、曲線が多いのは、設計者であるロビンばぁの趣味かな。角ばったものが、あんまり好きじゃないみたいでさ」

「へぇ……。ぜひ、お会いしたいです、ロビンばぁさん! あ——ばぁさま、のほうが無難でしょうか、へへへ」


 うすらと笑ってから、ヒナはおれの足を見た。


「その義足も、ロビンばぁさまが?」

「ああ」

「なんだか、複雑な機構をびりびりと感じます……。さぞ高性能なんだろうな、と思いながら拝見しておりました……」

「いまのいままで、さんざん乱暴にあつかったが、大きな故障は経験がないのはありがたいところだ」


 そう言ってヒナを見たが、彼女の興味はすでに義足から雷駆刀に移っていた。それからは鞘の機構から、刀の仕組みまで、あれやこれやと訊かれることになった。答えられる範囲で、答えておいた。



 話していると時間が過ぎるのは早いものだ。気づくと、ほかよりもふたまわりは大きい、三階建ての屋舎が目の前にきていた。連会の本部だ。たぶん、キヅキがここにいる。


 かまぼこ型の屋根をした金属製のそれには、カラフルなグラフィティがところ狭しと描かれている。向かって左脇の日陰にハシゴとペンキが置いてあるから、つい最近、絵を塗りなおしたのかもしれない。


 屋根のてっぺんには、雷と手紙を組み合わせた絵が描かれた旗が見える。ネシティを象徴するそれは、きょうも風にあおられ、勇々とはためいている。


 おれは上を見て、両手をメガホンみたいにして口に当てた。


「キヅキ!」


 ひと声を投げると、すぐに窓が開いた。

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