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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
35/74

ー7ー

学者で、女で、剛腕で

 

「えっと、なんだっけ?」

「そうですね……。まずは、ネシティの日常を——」


 言いながら、ヒナはリュックを下ろす。その拍子に、ゴンドラががくんとゆれた。どんだけ重いリュックを背負っていたんだ。


「すごい重量だな……」

「あ、こんなの、かつぐときだけですよ、重いのは、へへへ」

「へへへ……」

「背負ってしまえば、あとはどうとでもなりま——」


 ぐき、といやな音がした。


「あ——」ヒナはかがんだ姿勢のまま硬直してしまった。

「大丈夫か?」

「こ、こんなときに、ぎっくりが——」

「おい……」


 やっぱり躰に負担かかってたんじゃないのか?


「あ、これはですね——ぐごごごっ!」


 おかしな鳴き声とともに、ヒナは上体を勢いよく起こした。今度はごきっ、と鈍い音がした。


「あぅ——」彫刻みたいに固まっている。

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。これはですね、ぎっくり腰なのですが、原因はリュックではなくて、度重なるデスクワークのせいでして……」


 ふぅ、とヒナは息をついた。やっと正常にもどったようだ。


「むしろ、リュックを背負って歩いていると、ぎっくりは楽になっていたんです。たぶん、腹筋や背筋を酷使したせいでしょうね。最初こそ地獄の日々でしたが、筋肉が成長するにつれて、もろもろ改善していきまして——」


 やはり、運動すると健康になるのは疑いない。


「で、あのですね」ヒナはふたたびリュックのなかを漁る。「ネシティの日常をおたずねしたいのですが……」


 彼女が荷物から取り出したものに、こちらは目を奪われた。切り分けた竹を紐でつなぎ合わせた巻物——滅多にお目にかかれない代物がまさか、いまそこにある。


「あ——、それ——!」思わず声が出た。

「あ、え?」ヒナは手元を見て、「竹簡ちっかんですが……」

「そんな高価なもの、いったいどこで……?」

「あ——、えと——」


 ヒナは気まずそうにしている。


「高かったんですけど……。アトラの高級物産で、どうにか手に入れました。さすがに紙を持っての長旅は、無理だと思ったので」


 竹簡を最後に見たのはいつだったか。たしか子供のころ、ロビンばぁの秘伝工作技術を記したものを読んだことがある。それ以来か。


「それって、よほど大事な情報を残すつもりでもないと、使わないやつ……」

「竹簡なら紙喰いに狙われない。その利点はもちろんあります」ヒナはメガネをくい、と持ち上げた。「それ以上に、わたしが足で稼ぐ情報は、ぜったいに記録として残したい。そう思ったゆえの奮発でした……」

「そんな大事なものに、おれとの会話なんかメモしていいのか?」

「もちろんです! むしろ歓迎なのです!」


 明るい声で言ってから、ヒナはさらにリュックを漁る。すると次から次に竹簡が現れた。リュックのなか、半分がそれだったのではないかという数だ。


「すごいな……」

「おかげさまで、貯金はすっからかんですけどもぉぉぉぉ」


 絶望に沈む口調になったヒナは、その場で泣き崩れてしまう。


「大丈夫か?」

「あ、ずいまぜん、つい——」


 服の袖で鼻水を拭いながら、立ち上がった。顔が忙しい、とはよくいうが、彼女の場合は全身が忙しい。


「でも、この旅を経て、本が書けたら、きっと儲かるはずなのです。出版できたら——の話なのですが……」

「やっぱり新書を買うのって、ほとんどがアトラの人間なんだろ? それも、楽園に住んでるやつらだ……」

「ええ。ご存じのとおり、本の物流などあったもんじゃありません。製本場があるのもアトラですし、販売されるのも、まずは楽園からですよ。どうかしてます……!」


 ヒナの口調からは、怒りと悔しさを混ぜたような感情が見えた。


「本の在庫がほかの街に渡ったとしても、それだけで値段は三倍になります。ただでさえ、一般人の月給をはるかに超える額で、新書は売られているというのに……」


 古本屋に売られてる大昔の新聞や、参考書なら一般人でもどうにか買える範囲だ。が、やはり新書が店に並んでいるのは稀にしか見たことがない。小説や漫画が、とても希少なものとして扱われているように。


 現代いまは政府しか本を作っていないのだから、内容もやつらのご都合に従ったものになっているはず。


 だとすると、ヒナがやろうとしていることは前代未聞だ。巨大な権力に屈する気はない、と態度で示しているようなもの。反乱因子として見られても仕方ないのか……。考えるほどに、変な世の中だ。


「この国には、人を育てようって気なんかないんです。教育の基本は書物です。政府従心主義を助長するだけの教科書を撒き散らしたところで、たかが知れています。えらそうな純政府の人間と、それに従うチェスのポーンが増えるだけです。楽園の人間たちは、保身に走りすぎている……」


 もしやと思い、疑問をぶつけることにした。


「あんた、楽園の出身?」


 するとヒナは数秒固まった。

 ぎっくりのときと似ている硬直具合だ。


「——内緒にしてもらえますか?」


 どうか! なにとぞ……! とつけ加えてヒナは合掌をした。


「おい……。ちょっとつつかれたくらいで、すんなり白状していいのか? 今回は相手がおれだったからいいものの、もし楽園ぎらいのおっさんとかだったら、めんどうが起きるぞ?」


 ああ……、と頭を抱えてうなだれた。いちいち動きがある。見ていて飽きない。


「うそがつけない性格なのです……。ポーカーフェイスってなにそれ、おいしいのって? あはははは——」


 奇妙に笑うから、やはり楽園の人間は頭がおかしいのかと一瞬思った。が、たぶんヒナの場合は生まれもっての性格によるものだろう。ほんとうに狂っているのは、きっとオロチみたいなやつだ。自分が中心で、まわりを弱者だと思っている——あるいはそう思いたいやつが、その類だろう。


 すくなくともヒナは他者への献身を忘れていない。それは肌で感じる。


「だいぶ上まで登ってきましたね」正気にもどると、ヒナは窓から外を見渡した。「むこうにある街、連会から近いですね。もしかして、ネシティさんにもなじみがある街です?」

「そうだな。そこの学校に通っていた。あと、街の入り口から数えて三軒目のパン屋はおすすめだ。とくに、ハバネロトーストとか」

「ハバネロ! まさか、そんな激辛を賞味できるのですか!?」


 意外にも食いついてきた。うれしそうな反応をするとは思わなかった。


「パン屋の世代交代があったらしいけど。ハバネロトーストは伝統だからって、ずっと店に並んでる。このあたりは湿気がすくなくて、土がよく乾くから、ハバネロの栽培がしやすいんだとか」

「まさか、パン屋さんの自家製ハバネロですか?」

「だそうだ。ほかにも育てられる野菜があるだろうに、なぜかハバネロだ」

「ああぁ、ぜひ、ぜひ行きたいですぅ!」


 窓に顔を押しつけてよだれを垂らしているヒナをよそに、おれは終点のほうを確認した。ゴンドラはもうすぐ到着する。


「なぁ……」

「どうしました?」ヒナは振り返った。

「もうすぐ着く」

「え、えええええ!?」

「始点から終点まで、せいぜい一〇分前後だ。ゆっくり話している暇、なかったな」

「あ、であれば、もしよかったら、連会のどこかでまたお時間をいただけませんか?」


 どうするか……。せっかくならゆっくり休みたいと思っていた。それに、話すならキヅキとのほうがいい。


 しかし、脳裏にひとつの言葉がよぎった。あの言葉の意味を、ヒナだったら教えてくれるのではないだろうか。


「あ、あの、取材料ならきちんとお支払いします。ので、ぜひぜひ、お話しを……」

「取材料はいい。代わりに、こっちもたずねたいことがある」

「あ、えと、なんでしょう……。スリーサイズなどの個人的な情報は、譲渡しかねますが……」


 勝手に恥ずかしがっているが、おれはかまわず真面目なトーンで言った。


「ある廃墟で白骨の遺体を見つけたんだ。約二〇〇年前のものだ。そこに、そいつが書いたんだろう言葉が遺されていた」


 《人の罪》


「この言葉の意味、あんただったらわかるか?」


 さっきまでの喜怒哀楽がうそだったかのように、ヒナは真剣な面持ちになった。さわいだためにずれたメガネを正しい位置に直し、全身からなぞの覇気すら感じさせながら、彼女は答えた。


「心当たり。たくさんあります」


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