ー7ー
学者で、女で、剛腕で
「えっと、なんだっけ?」
「そうですね……。まずは、ネシティの日常を——」
言いながら、ヒナはリュックを下ろす。その拍子に、ゴンドラががくんとゆれた。どんだけ重いリュックを背負っていたんだ。
「すごい重量だな……」
「あ、こんなの、かつぐときだけですよ、重いのは、へへへ」
「へへへ……」
「背負ってしまえば、あとはどうとでもなりま——」
ぐき、といやな音がした。
「あ——」ヒナはかがんだ姿勢のまま硬直してしまった。
「大丈夫か?」
「こ、こんなときに、ぎっくりが——」
「おい……」
やっぱり躰に負担かかってたんじゃないのか?
「あ、これはですね——ぐごごごっ!」
おかしな鳴き声とともに、ヒナは上体を勢いよく起こした。今度はごきっ、と鈍い音がした。
「あぅ——」彫刻みたいに固まっている。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。これはですね、ぎっくり腰なのですが、原因はリュックではなくて、度重なるデスクワークのせいでして……」
ふぅ、とヒナは息をついた。やっと正常にもどったようだ。
「むしろ、リュックを背負って歩いていると、ぎっくりは楽になっていたんです。たぶん、腹筋や背筋を酷使したせいでしょうね。最初こそ地獄の日々でしたが、筋肉が成長するにつれて、もろもろ改善していきまして——」
やはり、運動すると健康になるのは疑いない。
「で、あのですね」ヒナはふたたびリュックのなかを漁る。「ネシティの日常をおたずねしたいのですが……」
彼女が荷物から取り出したものに、こちらは目を奪われた。切り分けた竹を紐でつなぎ合わせた巻物——滅多にお目にかかれない代物がまさか、いまそこにある。
「あ——、それ——!」思わず声が出た。
「あ、え?」ヒナは手元を見て、「竹簡ですが……」
「そんな高価なもの、いったいどこで……?」
「あ——、えと——」
ヒナは気まずそうにしている。
「高かったんですけど……。アトラの高級物産で、どうにか手に入れました。さすがに紙を持っての長旅は、無理だと思ったので」
竹簡を最後に見たのはいつだったか。たしか子供のころ、ロビンばぁの秘伝工作技術を記したものを読んだことがある。それ以来か。
「それって、よほど大事な情報を残すつもりでもないと、使わないやつ……」
「竹簡なら紙喰いに狙われない。その利点はもちろんあります」ヒナはメガネをくい、と持ち上げた。「それ以上に、わたしが足で稼ぐ情報は、ぜったいに記録として残したい。そう思ったゆえの奮発でした……」
「そんな大事なものに、おれとの会話なんかメモしていいのか?」
「もちろんです! むしろ歓迎なのです!」
明るい声で言ってから、ヒナはさらにリュックを漁る。すると次から次に竹簡が現れた。リュックのなか、半分がそれだったのではないかという数だ。
「すごいな……」
「おかげさまで、貯金はすっからかんですけどもぉぉぉぉ」
絶望に沈む口調になったヒナは、その場で泣き崩れてしまう。
「大丈夫か?」
「あ、ずいまぜん、つい——」
服の袖で鼻水を拭いながら、立ち上がった。顔が忙しい、とはよくいうが、彼女の場合は全身が忙しい。
「でも、この旅を経て、本が書けたら、きっと儲かるはずなのです。出版できたら——の話なのですが……」
「やっぱり新書を買うのって、ほとんどがアトラの人間なんだろ? それも、楽園に住んでるやつらだ……」
「ええ。ご存じのとおり、本の物流などあったもんじゃありません。製本場があるのもアトラですし、販売されるのも、まずは楽園からですよ。どうかしてます……!」
ヒナの口調からは、怒りと悔しさを混ぜたような感情が見えた。
「本の在庫がほかの街に渡ったとしても、それだけで値段は三倍になります。ただでさえ、一般人の月給をはるかに超える額で、新書は売られているというのに……」
古本屋に売られてる大昔の新聞や、参考書なら一般人でもどうにか買える範囲だ。が、やはり新書が店に並んでいるのは稀にしか見たことがない。小説や漫画が、とても希少なものとして扱われているように。
現代は政府しか本を作っていないのだから、内容もやつらのご都合に従ったものになっているはず。
だとすると、ヒナがやろうとしていることは前代未聞だ。巨大な権力に屈する気はない、と態度で示しているようなもの。反乱因子として見られても仕方ないのか……。考えるほどに、変な世の中だ。
「この国には、人を育てようって気なんかないんです。教育の基本は書物です。政府従心主義を助長するだけの教科書を撒き散らしたところで、たかが知れています。えらそうな純政府の人間と、それに従うチェスのポーンが増えるだけです。楽園の人間たちは、保身に走りすぎている……」
もしやと思い、疑問をぶつけることにした。
「あんた、楽園の出身?」
するとヒナは数秒固まった。
ぎっくりのときと似ている硬直具合だ。
「——内緒にしてもらえますか?」
どうか! なにとぞ……! とつけ加えてヒナは合掌をした。
「おい……。ちょっとつつかれたくらいで、すんなり白状していいのか? 今回は相手がおれだったからいいものの、もし楽園ぎらいのおっさんとかだったら、めんどうが起きるぞ?」
ああ……、と頭を抱えてうなだれた。いちいち動きがある。見ていて飽きない。
「うそがつけない性格なのです……。ポーカーフェイスってなにそれ、おいしいのって? あはははは——」
奇妙に笑うから、やはり楽園の人間は頭がおかしいのかと一瞬思った。が、たぶんヒナの場合は生まれもっての性格によるものだろう。ほんとうに狂っているのは、きっとオロチみたいなやつだ。自分が中心で、まわりを弱者だと思っている——あるいはそう思いたいやつが、その類だろう。
すくなくともヒナは他者への献身を忘れていない。それは肌で感じる。
「だいぶ上まで登ってきましたね」正気にもどると、ヒナは窓から外を見渡した。「むこうにある街、連会から近いですね。もしかして、ネシティさんにもなじみがある街です?」
「そうだな。そこの学校に通っていた。あと、街の入り口から数えて三軒目のパン屋はおすすめだ。とくに、ハバネロトーストとか」
「ハバネロ! まさか、そんな激辛を賞味できるのですか!?」
意外にも食いついてきた。うれしそうな反応をするとは思わなかった。
「パン屋の世代交代があったらしいけど。ハバネロトーストは伝統だからって、ずっと店に並んでる。このあたりは湿気がすくなくて、土がよく乾くから、ハバネロの栽培がしやすいんだとか」
「まさか、パン屋さんの自家製ハバネロですか?」
「だそうだ。ほかにも育てられる野菜があるだろうに、なぜかハバネロだ」
「ああぁ、ぜひ、ぜひ行きたいですぅ!」
窓に顔を押しつけてよだれを垂らしているヒナをよそに、おれは終点のほうを確認した。ゴンドラはもうすぐ到着する。
「なぁ……」
「どうしました?」ヒナは振り返った。
「もうすぐ着く」
「え、えええええ!?」
「始点から終点まで、せいぜい一〇分前後だ。ゆっくり話している暇、なかったな」
「あ、であれば、もしよかったら、連会のどこかでまたお時間をいただけませんか?」
どうするか……。せっかくならゆっくり休みたいと思っていた。それに、話すならキヅキとのほうがいい。
しかし、脳裏にひとつの言葉がよぎった。あの言葉の意味を、ヒナだったら教えてくれるのではないだろうか。
「あ、あの、取材料ならきちんとお支払いします。ので、ぜひぜひ、お話しを……」
「取材料はいい。代わりに、こっちもたずねたいことがある」
「あ、えと、なんでしょう……。スリーサイズなどの個人的な情報は、譲渡しかねますが……」
勝手に恥ずかしがっているが、おれはかまわず真面目なトーンで言った。
「ある廃墟で白骨の遺体を見つけたんだ。約二〇〇年前のものだ。そこに、そいつが書いたんだろう言葉が遺されていた」
《人の罪》
「この言葉の意味、あんただったらわかるか?」
さっきまでの喜怒哀楽がうそだったかのように、ヒナは真剣な面持ちになった。さわいだためにずれたメガネを正しい位置に直し、全身からなぞの覇気すら感じさせながら、彼女は答えた。
「心当たり。たくさんあります」




