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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
34/73

ー6ー

学者で、女で、剛腕で

 

 ハバネロトーストがよほどこたえたのか、セトは甘ったるいメロンパンを選んだ。それをほおばりながら、商店街を歩く——。ときおり、主婦らしき人たちがセトの足を見て、「あら」とか、「まぁ」とか声を漏らした。


「おれ、やっぱり変?」セトはキヅキに訊いた。

「なにがだ?」

「足」

「どこが?」

「わかってるくせに」

「ああ、わかってるぜ。でも変だなんてこれっぽっちも思わねぇ」

「みんな両足がある。おれ、片足だけだもん」

「じゃ、みんな、おまえに負けてるな」

「——はぁ? なんで?」

「今日から片足で生活しろ、といわれたら、どうだ?」

「別に……。普通だよ。いつもどおり」

「だろ? でも、そこらにいるやつらは、片足の生活なんかすぐにできない。義足の使い方だってわからない。どうしよう、どうなるんだろうって、まずそこからだ。躰を動かす前に、気持ちを前に向けなきゃいけない。おまえはそれを、何年も前に乗り越えたんだぜ? 自信もっていい」


 ——といわれても、幼いセトにはまだ腑に落ちない話だった。自分にとっての普通が、だれかにとっての異常だ、という認識をひしひしと実感させられている時期でもあったからだ。


 キヅキにとっても、いまの言葉がどれほどセトを励ませているのか、はっきりとした実感はなかった。おまえは異常なんかじゃない。特別なんだ——そう伝えたいだけなのに。うまく伝えられない、そのもどかしさが抜けない。


「ねぇ、キヅキ」

「ん?」

「おれ、学校行かなきゃだめ?」

「うーん……。絶対、じゃない。でも、行ったほうが後悔はないと思う」

「じゃ、行かない」

「そうか……」


 悩むキヅキの頭は、あまり強制してしまうのもどうか、という考えにいたる寸前だった。


「お、公園あんな。ちょっと休もうや」

「うん……」


 空いているベンチに座り、ふたりはぼんやりと公園内を眺める。五人ほどの子供が遊具に集まって、はしゃいでいる。その近くには三人の女性が立ち話をしている。きっと、子供たちの母親だろう。


「あ、わりぃ……」キヅキはお腹をおさえて、「腹が痛くなってきた」

「えぇ? なんで」

「ハバネロかな……。ちょっとトイレ行くわ。ここで待てるか?」

「うん。早く行ってよ、くさいから」

「まだくさくない。んじゃ、待ってろよ? 勝手に離れるなよ?」

「だいじょーぶ」


 青い顔のまま、キヅキは公衆トイレに駆けこむ。


 ひとり残されたセトは、遊ぶ子供たちをじっと見つめたままだ。その心に、さまざまな感情がめまぐるしく回転する。


 セトは視線を落とした。自分の片足はいま、木でつくられている。歩くすがたがマリオネットのようだ、といわれたこともある。


 けれど、連会の技工士——ロビンばぁは言っていた。


 《あんた、もうすこし経ってごらんな。その片足を翼にしてやる。これからさんざんばかにされて、見下されるだろうさ。だが、それも一時さね。いまに見てな。この腕をなめんじゃないよ! 今度はあんたがばかどもを見下してやんな。人をさげすむやつはね、獣以下の脳みそだよ! 獣は他人を見下したりしない。生まれ授かった全身をこき使って、毎日を必死に生きてるさ。己の毎日を、ね!》


 それでも、視線を投げた先にいる子供たちのなかに飛びこむ勇気は、いまのセトにはない。絶対に笑われる。からかわれる。もっといえば、それじゃ済まないかもしれない。


「おれ……、あいつらから、ばかにされんのかな」


 ぼそりと言って、セトは目をつむった。そうすれば木の片足を見なくて済む。——目頭には涙の熱が溜まった。奥歯に力を入れて、こらえようとした。けれど、涙は勝手に落ちて義足を濡らした。


 だんだんと、胸に満ちる感情があった。

 それは怒りに似たものだった。

 なんで自分だけ。

 なんでおればっかり。


 気づくとセトは両手に拳をつくっていた。それは、大人だったらすぐに悔しさだと気づくもの。あるいは、嫉妬に燃えているのだと。


「わりぃ、わりぃ」ハンカチで手を拭きながらキヅキがもどってきた。「なんとかセーフだったぜ。あ、アウトの意味は訊くなよ? プライバシーの問題があるからな」

 はっはっはぁ、とキヅキは笑った。が、あまりの温度差を察すると、横目を流してセトの顔色をうかがった。


「ん……、と。どうした?」

「おれ、あそこで遊んでるあいつらよりも、だめなやつ?」


 セトの質問——その重みを、キヅキはよくわかっていた。これからなにを答えるのか、それによっては心の行き先が変わる。血のつながりはないが、セトは息子同然だ。育ての親として、道を示す義務がある。


「だめなやつだと、どうして思う?」

「足のせい」

「片足がなかったら、だめなやつなのか?」

「そうだよ。だって、あいつらみたいにジャングルジムとか、シーソーとかで遊べない。もし義足が外れてしまったらって思ったら、やだもん」

「それはセトがわるいんじゃねぇ。義足がわるいんだ。勝手に外れちまうのがわるい」

「じゃ、ロビンばぁがつくってるすっげー義足だったら、外れない?」

「そりゃそうさ。雷駆刀をつくったばぁちゃんだぞ? その腕を信じるべきだな」

「でもいまは、走ってるだけで義足、外れちゃうもん。そう思ったら遊んでられない」

「そうだなぁ……」


 足を広げ、腕組みをして、キヅキはベンチの上で堂々と考えた。


「なぁセト」

「ん?」

「どう思う?」

「なにが?」

「あーやって、きゃっきゃと遊んでるガキを見て、どう思う?」

「ガキだなぁ、って思う」

「たぶん、おまえよりは二個くらい年上だぞ?」

「それでも、ガキだよ。ガキみたいに遊んでる」

「うらやましいか?」

「別に……」

「おれは、うらやましいな」


 いい大人がなにをいうのかと、セトは目を点にしてキヅキを見た。


「もう、もどれねぇんだよ。ガキになりたくてもなれねぇ。大人になったら自由になれるかと思ったけど、まったくだ。むしろ不自由な部分が増えた。お金の責任、仕事の責任、組織の幹部としての責任——あと、男としての責任もあっかな。考えれば考えるほど、躰じゅうに蔓がからまっているようでさ。まいったよ。奇妙樹に巻かれたビルとおなじだ」


 そう言ってキヅキは顔を崩し、笑った。


「笑ってんじゃん」セトが言う。

「そう。笑ってる。笑ってなきゃ、やってらんないんだ」


 いくら遠い目をして流れる雲を追っても、空を飛べるわけではない。それくらい、わかってる。


「大人ってさ、生きていること自体がわるいことなのかな、って思ったりする。そう思いたくないから必死に仕事したり、責任を全うしたりして、他人の評価という鎧を着ようとする。自分のほんとうを押し殺して、やりたくないことをやって。へこへこ頭さげて、まわりの顔色を整える。自分はこんなにがんばってますよ、って服やら家やら結婚指輪やらで、自慢なきゃやってられない。——つまらない生き物だよ。大人って」


 ちょっとむずかしいか、とキヅキは思った。

 セトは、むこうで遊ぶ子供たちをじっと見つめている。


「セトは、子供の自分がきらいか?」

「うん。早くネシティになりたい。子供はなれないから」

「おれは、子供になりたい」

「キヅキは子供《《だった》》でしょ」

「そうだな。もう終わっちまったな。だから、セトがうらやましいよ。これから、なんだってできる。なにを言われたって、なにをされたって、解決してくれる時間はたっぷりある」


 そういわれてもセトは不安だった。学校という場で、たくさんの子供と出会い、たくさんの誹謗と中傷を受ける自分を想像せずにいられなかった。その未来を避けるには、学校に行かないことを決めるしかない。


「無理に行け、とはいわない。おまえが決めるんだ。学校じゃなくたって勉強はできる。連会に家庭教師でも呼べばいい。この街にだって、ひとりくらいいるだろう」

「やだ」


 セトは答えた。


「お、家庭教師はいやか?」

「ちがう。やだ」

「なにがやだ?」

「学校に行かないの、やだ」


 どういう風が吹いたのか、とキヅキは思った。横目で見たセトは拳を強く握っていた。肩が震えるほどに力がこもっているのがわかった。


 それはまちがいなく、ひとりの人間が固い決意をした証拠だった。


「おれ、あいつらに負けたくない。あいつらは、足が二本あって、学校に行く。なんにも心配しないで、あたりまえの顔で、行くんだよね?」

「……まぁ、そりゃ人それぞれ悩みはあるぞ? ほら、あそこでちょっと偉そうにしてる太っちょがいるだろ? あいつ、ジャングルジムでは王様みたいに威張ってるけどよ。もしかしたら親父が飲んだくれかもしれねぇ。夜になればいっつも親父に八つ当たりされちまう。だから、いまは公園の王様になって気分を発散している——とかな?」


 はたしてほんとうにそうか、といわれれば、まったくもってキヅキの想像にほかならない。が、セトはその意図を察したようだ。


「悩みは人それぞれ?」

「そういうこと。よくわかったな」

「うーん。おれが言いたいの、そうじゃない」

「お、なんだ? 言ってみ?」

「おれ、あいつらに勝ちたい。いちばんになりたい。足があって、学校に行くのなんて簡単だ。でも、足がなくて、学校に行くのは簡単じゃない。だって、たくさんばかにされるもん」

「かもしれねぇな……。それは実際、あると思ったほうがいいな……」


 自分が思っている以上に、セトはその身に起こりうる事態を想定している、とキヅキは感じた。子供であるセトを、心のどこかでなめていたのではないか、とすら——。


「ばかにされても、歩きつづけたって。おれ、いつかそう思いたい」

 セトが言うと、キヅキはその背筋に雷が走ったような心地がした。


「……すげぇな、おまえ」

「え?」

「何歳だっけ?」

「知ってるよ? キヅキだもん」

「ああ、知ってる」

「——何歳だっけ?」

「おい、知らねぇのか、自分の歳」


 おどろいた顔でキヅキが言う。セトは指を折って、自分の年齢を数えはじめた。


「いち、に、さん——だぶん、五歳」

「精神年齢はロビンばぁより上だな」

「あ、それ今度言う! ロビンばぁに!」

「や、やめろ! また新型兵器をぶっぱなされて気絶する羽目になる——!」

「びりびりぃ! びりびりぃぃぃ!」


 セトはうれしそうにはしゃぎ、キヅキの脇腹をくすぐった。その攻撃にはめっぽう弱いキヅキは痙攣を起こしながら大笑いを決めこんだ。ベンチがガタガタとゆれ、目には涙が溜まる一方だ。


 あまりに騒いでいるものだから、ジャングルジムで遊ぶ子供たちの視線がふたりに集中した。息子にくすぐられる父親がげらげら笑って、降参だ、降参——といって泣いている。そうとしか見えない。


「いい大人が泣いてる。——ほら、くすぐられなくなっても、まだ泣いてる。ばっかみてぇ」


 ジャングルジムのてっぺんに座る子供が、ぶきっちょに言った。


 ・…………………………・



「あのぉ……」


 ゴンドラの車窓から遠くの街をぼんやりと眺めていると、ヒナの顔がいきなり視界を占領した。


「わっ……」

「あ、おどろかせてしまってごめんなさい」

「いや、大丈夫だ」

「せっかくこうして、ふたりきりになれたので……。連会に着くまで、よかったらすこしお話をうかがえないかと、思いまして……」


 ああ、そうだった、と我に返った。


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