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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
学者で、女で、剛腕で
33/72

ー5ー

学者で、女で、剛腕で



「そんじゃ、また連会で会おうや。夜にはぜーんぶ鍵かけて、上にあがるからよ」タツオはこちらに言った。

「ああ。おれ、二、三日は連会で休むつもりだ。酒でもおごるよ」

「かーっ! いつのまにそんな口叩けるようになったんだ、小僧め。成長がうれしいねえ」

「そんじゃ、歴史文明学者さまの相手、頼んだぜ」リュウゾウが言った。

「取材ってことなら、報酬をもらわないと」


 冗談まじりで言うと、老人ふたりは笑った。


「大きなことを成すやつは、かならず抑圧を受ける。あの子は、《《成すやつ》》だ。だから、いまは純政府から抑圧されてんだろうよ。助けてやれ。おまえも、成すやつだろ?」


 タツオは言った。いつになく真面目な雰囲気を感じた。


「さぁ……。まだ、なにも成した覚えはない」

「その足で歩いているだけで、十分成してるさ。ガキんころからおめぇは自分に勝っていた。足を失って、翼を手に入れたんだと、じじいは義足を見るたびに思うぜ」


 握った拳をおれの胸に押しつけながら、タツオはけたけたと笑った。


 老人ふたりが着ているツナギからただようタバコのにおいを背に、ゴンドラに足をかける。先客のヒナは、室内のひとつひとつにやたらと感動していた。さすがに、布製の座席に顔をうずめているのは、どうかと思ったが……。


 ——ゴンドラが動きだす音。ところどころが錆びて、蹴ったら抜けてしまうんじゃないかと、すこし不安になる金属の床。クッションのへたった座席から感じる人肌の名残り。車窓から見える老人ふたりに、まずは手を振る。


 風が吹くたび、内臓がずれるかと思うくらいに、ゴンドラはゆれて不安定になる。ロープからゴンドラがまるごと落ちてしまうのでは……、と考えると肝が冷える。とても娯楽として楽しめる乗り物ではない。ヒナはよろこんでいるが。


 それでも連会に帰れるこの安心感が、おれは好きだ。


 雨にさらされて水垢だらけの窓から見渡す広大な景色は一〇数年、おれが知るかぎりは変わっていない。まるで人の歴史そのものが、止まってしまったかのように。



 ・…………………………・


【セトが六歳のころ】



 商店街のどまんなかで、セトはキヅキの足にしがみついた。泣き喚くその声に、人々の視線も自然と集まってしまう。


「がっこーなんかやーだぁっ! れんかいにいたい!」

「この街には来たことがあるだろ? 連会からそこまで遠くないんだ、ちったぁ我慢しろぉ」


 頭をかきながら、キヅキはなだめようとする。


「やーだ! 学校なんて行かなくていい! おれネシティになるんだもん!」

「まいったな……」


 ネシティ連会からもっとも近い街——リカドナの小学校に、セトは入学することになった。が、本人はまったくもって拒絶している。しまいには鼻を垂らしながらキヅキの足に噛みついた。


「いてっ、噛むなよ……」

「だ〜ってぇぇ!」

「この世の終わりじゃねぇんだから、これくらいおまえなら平気だって」

「やあああああだぁぁぁ!」

「困った、ここまでとは……」


 キヅキはとなりにいる女性に視線を流した。女性はしゃがんで、セトに目線を合わせた。強めのパーマが入ったボブの髪は、明るい日光に当たっても漆黒を守っている。


「セト、あのね。しょーがっこーに行かないと、ネシティにはなれないんだよ?」


 これは明らかなうそだが、キヅキは思った。その手があったか、と。


「そ、そうだぞ、セト。しょーがっこーはネシティの最初の一歩だ。ここで逃げちまったら、一生ネシティになれねぇぞ」

「いっしょーって、なに」セトの涙目が、キヅキを見上げる。

「死んじゃうまで、ずーっとって意味だ」

「じゃ……。おれ、しょーがっこーに行かないとネシティになれないの?」

「そ、そうだ」


 キヅキはしゃがんで、セトの肩をつかんだ。


「これくらい、ぱぱっと卒業しちまおうぜ。そしたらすぐネシティの仕事ができる」

「ぱぱっと、ってどれくらい?」

「うーん……。六年くらいだ」

「やあああああだぁあぁぁぁぁながいいいいいぃぃ! ぜったいうそだもん! しょーがっこーなんかネシティに関係ないじゃあああん!」

「まぁ、小学校に行かなくても一五歳を過ぎたらネシティにはなれる……」

「ほらああああああ! うそづいだああぁぁあぁぁ!」


 ふたたび嵐が吹き荒れるように、セトの涙腺は大暴れした。


「もう、キヅキもばか正直なんだから……」

「やっぱりうそはよくねぇよ……」

「ごめんね、セト。でもね、小学校で覚えることくらい、覚えたほうがあとが楽だよ?」

「いかないほうが楽だもおおおおん! クルミが行けばいいんだよおおお!」


 まるでどうしようもない号泣っぷりに、クルミは困りながらも優しく笑った。よしよし、と宥めながらセトを抱きかかえた。


「だめだこりゃ」

「何年か前のハリケーンより荒れてるな……」キヅキも苦笑い。

「まずはアパートにもどろっか。セトのために借りたんだし。ね、泣き虫さん」

「やあああだぁぁぁあ! はらへったあああああぁぁぁ!」


 いつもは寛大なクルミだが、さすがに耳元で叫ばれると防衛反応が——


「いてっ」頭に軽い平手打ちを受け、セトは鎮まった。

「こら、耳の近くで叫ぶな」

「だあってぇ……」


 鼻水も涙も止まらないセトのすすり泣きがつづく。


「はらへったなら行こうぜ、パン屋」キヅキが言った。

「パン!」セトは笑顔になった。「行く! パン屋行ったら、学校行かなくてもいい?」

「どういう理屈だよ」


 微笑ましい三人のすがたは、はたから見ると親子そのものだ。クルミの腕から降りたセトの顔はすっかりご機嫌になった。


「あんた、ほんとにパンが好きなんだね」クルミはセトの手を握った。

「メロンパン、ある?」

「なんだってあるぜ」キヅキもセトの片手を握る。「おすすめはハバネロトーストだな」

「はばねろって、なぁに?」

「めっちゃ辛い野菜のことだ」

「それがいい! 甘いのもいいけど、それも食いたい!」

「よーし!」


 キヅキはセトを軽々と持ち上げて、肩車をしてやった。視線がぐんと高くなり、子供心はきゃっきゃとよろこんだ。


「今日はハバネロまつりだ! いっぱい食うぞ!」

「やったぁ、はばねろまつりぃ!」

「死んでも知らないからね」目を半分にして、クルミが言った。


 そして予想は的中してしまう。アパートでハバネロトーストにかじりついたセトは、あまりの辛さにふたたび号泣。キヅキに殴りかかるなどの暴挙にでた。


 しばらくして、泣き疲れたセトは床に転がったまま寝てしまった。幼げな躰をベッドまで運んで、キヅキはようやく一息をついた。


「まったく、暴れんぼうで困るぜ……」


 まだ家具はほとんど置いてない室内で、キヅキはあぐらをかいた。カーペットも敷いていない床の冷たさに、なつかしさを覚えた。


「おれも最初はぐずってたっけ。学校なんて行きたくねぇ、ふざけんな、ってさ」


 ツナロールをかじりながら、クルミはくすりと笑った。その頬はリスのようにふくらんでいる。


「ふんごご、ふごごご、ふごーご、ご?」

「飲みこんでからしゃべれ」

「——キヅキの行きたくねぇ、と、セトのやああだぁ、はまったく別のものだと思うよ?」


 たしかにそうだ、とキヅキは思った。

 腕組みをして、悩ましい顔をつくった。


「おれの行きたくねぇ、は単純にさぼりたかっただけだ。めんどくさかったっていうか、勉強がきらい。その点、セトは勉強をきらったことがねぇ。むしろ、進んでかしこくなろうとするくらいだ。運動も……」


 ここでキヅキは口ごもった。


「それだよ。セト、感じてるんだよ。あの子敏感だから。先見の明があるというか」


 言葉に詰まったのか、クルミの手はパンを持ったまま固まってしまう。


「いじめられるって、わかっちまってんのかな」


 ぼんやりとした目線を天井に投げて、キヅキは言った。


「義足で歩けてはいるけど、まだぎこちないのよね……」クルミもうつろな目をして言った。「ロビンばぁ、セトのために特別な義足を開発しているって言ってたけど……。実際に使えるまで、まだまだ先だろうなぁ……」


 急な沈黙がふたりをおそった。アパートの外では子供の遊ぶ声がする。普段は気にもとめない声だが、いまはそれが不穏なものに感じられる。


 クルミはどうにか次の言葉を探すも、なかなか見つからなくて、パンのそしゃくを再開した。となると、キヅキが口を開くしかない。


「これも訓練って、いえんのかな」

「うーん」クルミのそしゃくが止まった。「下手したら、虐待に近いかも」

「あー……、くそぉ、だめだぁ! どうしたらいいかわかんねぇ!」


 ついに大の字になり、キヅキはいったん思考を放棄した。クルミの口からも、パンの香りに満ちたため息が漏れるばかり。


「なるようになれ、とは思えねぇ。ここで逃げたら、セトはいつか人間関係で苦しむようになる気がする。だからって、これからの六年で立ち直れねぇほどの深い傷、ついたらどうするよ、って……」


 からっぽの天井で木製のシーリングファンが回る。天井の素材はパイン材で、木のぬくもりのある部屋だ。いま、セトが身につけている義足も木製だ。


 ぼんやりと天井をながめて——キヅキはふと、思い立った。躰を起こして、ぼさぼさの頭を犬のように振るう。


「どうしたの?」クルミが言った。

「わかんねぇ。わかんねぇけど、散歩してくる。セトが起きたら」

「そう……。ま、いいんじゃない? あんた、そうやってふと思い立ったとき、わりといいほうに進んだりするし」



 寝ぼけまなこのセトを連れて、キヅキはまずパン屋に行った。さっきのとは、別の店だ。そこで菓子パンを買うことを口実に、セトを連れ出した。


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