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学者で、女で、剛腕で
「そんじゃ、また連会で会おうや。夜にはぜーんぶ鍵かけて、上にあがるからよ」タツオはこちらに言った。
「ああ。おれ、二、三日は連会で休むつもりだ。酒でもおごるよ」
「かーっ! いつのまにそんな口叩けるようになったんだ、小僧め。成長がうれしいねえ」
「そんじゃ、歴史文明学者さまの相手、頼んだぜ」リュウゾウが言った。
「取材ってことなら、報酬をもらわないと」
冗談まじりで言うと、老人ふたりは笑った。
「大きなことを成すやつは、かならず抑圧を受ける。あの子は、《《成すやつ》》だ。だから、いまは純政府から抑圧されてんだろうよ。助けてやれ。おまえも、成すやつだろ?」
タツオは言った。いつになく真面目な雰囲気を感じた。
「さぁ……。まだ、なにも成した覚えはない」
「その足で歩いているだけで、十分成してるさ。ガキんころからおめぇは自分に勝っていた。足を失って、翼を手に入れたんだと、じじいは義足を見るたびに思うぜ」
握った拳をおれの胸に押しつけながら、タツオはけたけたと笑った。
老人ふたりが着ているツナギからただようタバコのにおいを背に、ゴンドラに足をかける。先客のヒナは、室内のひとつひとつにやたらと感動していた。さすがに、布製の座席に顔をうずめているのは、どうかと思ったが……。
——ゴンドラが動きだす音。ところどころが錆びて、蹴ったら抜けてしまうんじゃないかと、すこし不安になる金属の床。クッションのへたった座席から感じる人肌の名残り。車窓から見える老人ふたりに、まずは手を振る。
風が吹くたび、内臓がずれるかと思うくらいに、ゴンドラはゆれて不安定になる。ロープからゴンドラがまるごと落ちてしまうのでは……、と考えると肝が冷える。とても娯楽として楽しめる乗り物ではない。ヒナはよろこんでいるが。
それでも連会に帰れるこの安心感が、おれは好きだ。
雨にさらされて水垢だらけの窓から見渡す広大な景色は一〇数年、おれが知るかぎりは変わっていない。まるで人の歴史そのものが、止まってしまったかのように。
・…………………………・
【セトが六歳のころ】
商店街のどまんなかで、セトはキヅキの足にしがみついた。泣き喚くその声に、人々の視線も自然と集まってしまう。
「がっこーなんかやーだぁっ! れんかいにいたい!」
「この街には来たことがあるだろ? 連会からそこまで遠くないんだ、ちったぁ我慢しろぉ」
頭をかきながら、キヅキはなだめようとする。
「やーだ! 学校なんて行かなくていい! おれネシティになるんだもん!」
「まいったな……」
ネシティ連会からもっとも近い街——リカドナの小学校に、セトは入学することになった。が、本人はまったくもって拒絶している。しまいには鼻を垂らしながらキヅキの足に噛みついた。
「いてっ、噛むなよ……」
「だ〜ってぇぇ!」
「この世の終わりじゃねぇんだから、これくらいおまえなら平気だって」
「やあああああだぁぁぁ!」
「困った、ここまでとは……」
キヅキはとなりにいる女性に視線を流した。女性はしゃがんで、セトに目線を合わせた。強めのパーマが入ったボブの髪は、明るい日光に当たっても漆黒を守っている。
「セト、あのね。しょーがっこーに行かないと、ネシティにはなれないんだよ?」
これは明らかなうそだが、キヅキは思った。その手があったか、と。
「そ、そうだぞ、セト。しょーがっこーはネシティの最初の一歩だ。ここで逃げちまったら、一生ネシティになれねぇぞ」
「いっしょーって、なに」セトの涙目が、キヅキを見上げる。
「死んじゃうまで、ずーっとって意味だ」
「じゃ……。おれ、しょーがっこーに行かないとネシティになれないの?」
「そ、そうだ」
キヅキはしゃがんで、セトの肩をつかんだ。
「これくらい、ぱぱっと卒業しちまおうぜ。そしたらすぐネシティの仕事ができる」
「ぱぱっと、ってどれくらい?」
「うーん……。六年くらいだ」
「やあああああだぁあぁぁぁぁながいいいいいぃぃ! ぜったいうそだもん! しょーがっこーなんかネシティに関係ないじゃあああん!」
「まぁ、小学校に行かなくても一五歳を過ぎたらネシティにはなれる……」
「ほらああああああ! うそづいだああぁぁあぁぁ!」
ふたたび嵐が吹き荒れるように、セトの涙腺は大暴れした。
「もう、キヅキもばか正直なんだから……」
「やっぱりうそはよくねぇよ……」
「ごめんね、セト。でもね、小学校で覚えることくらい、覚えたほうがあとが楽だよ?」
「いかないほうが楽だもおおおおん! クルミが行けばいいんだよおおお!」
まるでどうしようもない号泣っぷりに、クルミは困りながらも優しく笑った。よしよし、と宥めながらセトを抱きかかえた。
「だめだこりゃ」
「何年か前のハリケーンより荒れてるな……」キヅキも苦笑い。
「まずはアパートにもどろっか。セトのために借りたんだし。ね、泣き虫さん」
「やあああだぁぁぁあ! はらへったあああああぁぁぁ!」
いつもは寛大なクルミだが、さすがに耳元で叫ばれると防衛反応が——
「いてっ」頭に軽い平手打ちを受け、セトは鎮まった。
「こら、耳の近くで叫ぶな」
「だあってぇ……」
鼻水も涙も止まらないセトのすすり泣きがつづく。
「はらへったなら行こうぜ、パン屋」キヅキが言った。
「パン!」セトは笑顔になった。「行く! パン屋行ったら、学校行かなくてもいい?」
「どういう理屈だよ」
微笑ましい三人のすがたは、はたから見ると親子そのものだ。クルミの腕から降りたセトの顔はすっかりご機嫌になった。
「あんた、ほんとにパンが好きなんだね」クルミはセトの手を握った。
「メロンパン、ある?」
「なんだってあるぜ」キヅキもセトの片手を握る。「おすすめはハバネロトーストだな」
「はばねろって、なぁに?」
「めっちゃ辛い野菜のことだ」
「それがいい! 甘いのもいいけど、それも食いたい!」
「よーし!」
キヅキはセトを軽々と持ち上げて、肩車をしてやった。視線がぐんと高くなり、子供心はきゃっきゃとよろこんだ。
「今日はハバネロまつりだ! いっぱい食うぞ!」
「やったぁ、はばねろまつりぃ!」
「死んでも知らないからね」目を半分にして、クルミが言った。
そして予想は的中してしまう。アパートでハバネロトーストにかじりついたセトは、あまりの辛さにふたたび号泣。キヅキに殴りかかるなどの暴挙にでた。
しばらくして、泣き疲れたセトは床に転がったまま寝てしまった。幼げな躰をベッドまで運んで、キヅキはようやく一息をついた。
「まったく、暴れんぼうで困るぜ……」
まだ家具はほとんど置いてない室内で、キヅキはあぐらをかいた。カーペットも敷いていない床の冷たさに、なつかしさを覚えた。
「おれも最初はぐずってたっけ。学校なんて行きたくねぇ、ふざけんな、ってさ」
ツナロールをかじりながら、クルミはくすりと笑った。その頬はリスのようにふくらんでいる。
「ふんごご、ふごごご、ふごーご、ご?」
「飲みこんでからしゃべれ」
「——キヅキの行きたくねぇ、と、セトのやああだぁ、はまったく別のものだと思うよ?」
たしかにそうだ、とキヅキは思った。
腕組みをして、悩ましい顔をつくった。
「おれの行きたくねぇ、は単純にさぼりたかっただけだ。めんどくさかったっていうか、勉強がきらい。その点、セトは勉強をきらったことがねぇ。むしろ、進んでかしこくなろうとするくらいだ。運動も……」
ここでキヅキは口ごもった。
「それだよ。セト、感じてるんだよ。あの子敏感だから。先見の明があるというか」
言葉に詰まったのか、クルミの手はパンを持ったまま固まってしまう。
「いじめられるって、わかっちまってんのかな」
ぼんやりとした目線を天井に投げて、キヅキは言った。
「義足で歩けてはいるけど、まだぎこちないのよね……」クルミもうつろな目をして言った。「ロビンばぁ、セトのために特別な義足を開発しているって言ってたけど……。実際に使えるまで、まだまだ先だろうなぁ……」
急な沈黙がふたりをおそった。アパートの外では子供の遊ぶ声がする。普段は気にもとめない声だが、いまはそれが不穏なものに感じられる。
クルミはどうにか次の言葉を探すも、なかなか見つからなくて、パンのそしゃくを再開した。となると、キヅキが口を開くしかない。
「これも訓練って、いえんのかな」
「うーん」クルミのそしゃくが止まった。「下手したら、虐待に近いかも」
「あー……、くそぉ、だめだぁ! どうしたらいいかわかんねぇ!」
ついに大の字になり、キヅキはいったん思考を放棄した。クルミの口からも、パンの香りに満ちたため息が漏れるばかり。
「なるようになれ、とは思えねぇ。ここで逃げたら、セトはいつか人間関係で苦しむようになる気がする。だからって、これからの六年で立ち直れねぇほどの深い傷、ついたらどうするよ、って……」
からっぽの天井で木製のシーリングファンが回る。天井の素材はパイン材で、木のぬくもりのある部屋だ。いま、セトが身につけている義足も木製だ。
ぼんやりと天井をながめて——キヅキはふと、思い立った。躰を起こして、ぼさぼさの頭を犬のように振るう。
「どうしたの?」クルミが言った。
「わかんねぇ。わかんねぇけど、散歩してくる。セトが起きたら」
「そう……。ま、いいんじゃない? あんた、そうやってふと思い立ったとき、わりといいほうに進んだりするし」
寝ぼけ眼のセトを連れて、キヅキはまずパン屋に行った。さっきのとは、別の店だ。そこで菓子パンを買うことを口実に、セトを連れ出した。




