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学者で、女で、剛腕で
「大きな声では言えないのですが……。書籍のなかに純政府という単語がひとつでもふくまれた時点で、反純政府の疑いが発生してしまうのです。まず、そこが入り口です……」
「はぁ? なんだそりゃ。内容うんぬんの話じゃねぇじゃねぇだろ。ばかなのか?」
リュウゾウの反応はもっともだ。
「そういや、あれだわ」タツオが言った。「一回アトラの本屋に行ったことあるけど、まぁつまらなかったぜ? 立ち読み用のサンプルを読んでみたことがあるがよ。純政府さまがどうのこうの——」
「そう、まさにそれなんです」ヒナが言った。「書籍のなかで純政府を書くときは、《《さま》》や《《殿》》をつけなければならない。そうしないと、反純政府の疑いが極限まで上昇してしまうのです……」
そんな忖度本が後世に残って、あいつらは恥ずかしくないのだろうか、と思った。ガキ大将が考えた、おれさまのルールと変わらない。
大きくかまえているように見えて、実は小心者の集まりだったりする。組織こそが正義だから、個々の人格よりも組織の威厳に頼ろうとする。革命的な書籍を読んだために民衆の意識が変わることを恐れている。
純政府なんかぶっつしちまえ、という考えが蔓延したら困るのだろう。あいつらの発刊する書籍なんか、いかに純政府が立派で崇拝にあたいするのか、ほんとうにそればかり。そもそも現代の新書なんか、値段が高くて買えたものじゃないが。
「なんだって組織を呼称すんのに、《《 さま》》だの《《殿》》だのつけなきゃならねぇんだよ。なぁ?」タツオはあきれて言った。
「まったくだ」リュウゾウは肩を持ち上げる。
「わたしは歴史文明学者なので……。ただ、事実を書いて後世に残したいだけなのです。おかしいでしょう? 歴史的な資料になりうるかもしれないのに、純政府さま、純政府殿、だなんて書けたものじゃないですよ」
そりゃ落胆したくもなる。
「あくまで一介の歴史文明学者として、完全に中立の立場から書かないと意味がない——。個人や組織に偏った意見として残るものは書けない……。だから組織への敬称は書けないと申したのです。すると返ってきたのは、一般書としての発刊はむずかしくなるかもしれない、という返答でした。理由は、前述のとおりです」
ヒナは拳を握った。その気持ちは量らずともわかる。
「でも——それでもいいんです。いま、一般書として発刊されずとも、あるいは何年かのち。わたしの本を広めようとしてくれる御人が現れるかもしれない。純政府の体制が変わって、《《さま》》や《《殿》》がばからしいと唱える政治家が生まれるかもしれません。淡い期待かもしれませんが、なにもしないよりはいい。一冊でも残るというなら、その一冊を、ダイヤの原石にするまでです」
一度空気がしずまってから、ぱちぱち、と軽い拍手が起こった。老人ふたりが胸打たれたらしい。
「すげぇ。あんたみたいなやつが、この腐った世界にまだいるとはな」タツオが言った。
「純政府——まっくろで大きな塊に見えるが、実際は烏合の衆か」リュウゾウがつづける。「なんだか、とんでもなく気のちいせぇ集団に思えてきたぜ。いかに自分の手を汚さず権威に浸ってられるか。そればっか考えてる潔癖小心やろうの集まりじゃねぇか。あいつらが権威にしがみつかずに、民草のためと唱えられたなら、世の中ちったぁすごしやすくなるだろうよ」
話していると、山のほうから鐘の音が近づいてきた。上からのゴンドラがまもなく到着する、その合図だ。
ようやくか、と老人ふたりは腰を上げた。そして管理人としての仕事にとりかかる。会話はここでいったん、おひらきになった。
到着したゴンドラからは、シェルター維持班の四人が降りてきた。そのうち、顔を知っているのは班長にあたるひとりだけだった。やはり新人が増えている。
「おう、セトじゃねぇか」
維持班長のコウダはショルダーバッグを肩にかけなおして、こちらに言った。年齢は三〇代。やたら丸くてデカい目が特徴だ。苅ったばかりの芝生みたいな短髪も相変わらずだ。
「よう、コウダ」おれは片手を上げて挨拶した。
「なんだか久々だな! ——あれ? そんなにやつれてたか? 歩きすぎて痩せたんじゃねぇか?」
「そんなとこ」
「にしてもセト、おまえ連会でうわさになってるぜ。カンドゥで暴れたらしいじゃねぇか。ついに街をぶっこわすまでになったとはな! キヅキも成長に涙するぜぇ……」
それだとおれが怪物になってしまう。が、コウダはいつもこの手の冗談を言う。こういう場面は、適当に笑って返せばいい。それで足りる。
「お、そちらは彼女さん?」コウダはヒナを見て言った。
「あ、いえ、わたしはたまたまゴンドラが一緒になっただけでして……」
「あ、そうなの? ひとりで歩いてきたの?」
「ええ……。命からがら、ノドもからから、といった具合でしたけども」
「どっから来たの?」
「アトラです」
「街から街へ、歩いたの?」
コウダはにわかに怪訝な表情をする。
「いえそんな——」ヒナは両手を広げた。「一度だけ、シェルターを使わせていただきました」
「え? そうなの? そんじゃ、あんたもネシティ?」
「あ、えと……」ヒナはケープの内側に手を入れて、どこかしらのポケットを漁った。「わたくし、こういうものです」
差し出されたのは、金属製のカードだった。コウダはそれをのぞきこんだ。まんまるの目はさらにひん剥かれた。いまにもぽろりと落ちてしまいそうだ。
「純政府公認考古学教授……。へぇ、こんな肩書きがあんのね」
「この金属製のカードがあれば、シェルターを使える、とのお達しでしたので。ありがたく利用させてもらいました」
「ネシティ以外が使うこと、あんまないんだよ。なぜ、そこまでして危険な旅を?」
「あ、いえ——話すと長くなりますが、取材の旅なんです」
「ほう……。まぁ、なんでもいいや!」
でた、コウダのなんでもいいや、だ。自分から訊いておいて、急に興味をなくすという変な会話術を持っている。
「そんじゃ、シェルター掃除してくっから!」コウダは部下のほうを見て、「いくぞぉおまえらぁ! まずは五キロ先にある維持班用物資保管所だぁ! イエエエエエエェ!」
独特の叫びを天に轟かせ、コウダは拳を振り上げた。
「い、いえええぇ……」
維持班の新人メンバーは恥ずかしそうに復唱した。
コンクリートのホームから降りると、すぐに砂の道だ。ざっくざっくと各々の靴が道を踏みしめる。四人の背中を見ると、なつかしさが胸をよぎった。おれも最初はあんな感じだったな、と。
「なんだか、思っていたのと、ちがいますね」横でヒナが言った。その視線は、去る四人を見送っている。
「というと?」
「ネシティって、なんか、近寄りがたいイメージだったんです。高い報酬で手紙を配達する——どこか、人の足元を見るセコイ人たちなのかなって」
どう答えたものか、返す言葉に困った。
「でも、わたし、自分で歩いてみてわかりました。瓦礫の山、広がる荒野、砂の道。廃墟にからみつく、見たこともない植物。砂に残る、見たこともない動物の足跡。長い旅路のなかで、出会ったかもしれない紙喰い——」
この瞬間、ヒナは紙喰いと遭遇していないとわかった。
「そりゃ、配達料も高くなります。だって、配達するたびに、死ぬかもしれないんですもの」
「まぁ……。たしかに」
「それでも依頼人は、高い報酬を払ってネシティに手紙を託す——。その手紙は純政府の文面検査を逃れて、ただ一直線に、受取人の手元に届く——。お金に変えられないもの、ある気がします。わたしも、これから書くものが純政府じゃなくて民間の出版社が発売してくれるなら、お金を出したっていいですもの」
そう言ってヒナは肩を落とす。すると老人ふたりが寄ってきた。
「おう、どうすんだ?」タツオが言った。「乗るんだろ?」
「おふたりさま、ご案内するぜ」と、リュウゾウ。
「あ、ぜひぜひぜひー!」
子供のように跳ねながら、ヒナはゴンドラに乗った。




