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学者で、女で、剛腕で
配達物を持たずに遠出をするのはいつ以来だろう。バッグのなかに《《仕事》》が入っていないというだけで、肩がここまで軽いとは。
道を進むほどに、砂と乾いた岩場だらけの景色が、だんだんと緑を帯びていく。あおあおとした植物に覆われた山岳が見えてくる——ネシティ連会が近づいた証拠だ。
連会は、ゴンドラリフトを乗って地上から六〇〇メートルほど山を登った場所にある。大自然に囲まれた、孤高の集落だ。
最近はネシティの人口も増えている。自分の故郷が騒がしくなるのは好まないが……、ネシティは出張民族だ。別の街に居をかまえる者も多い。
きのう泊まった街にも、ネシティらしい格好をしている者を何人か見た。どれも知らない顔だった。むこうもこちらを見て軽く会釈する程度。若くて、雷駆刀の鞘もつやめいていたから、たぶん新人だろう。
連会がでかくなっても、そのときどきの喧騒はあまり変わらない。ただ、年末の忘年会がどんな規模になるのかは、考えたくない。ぜったい人数が増えている。今年は参加しない、とキヅキにあらかじめ言っておこう。
ふもとのゴンドラリフト乗り場には、引退したネシティが常勤している。キヅキよりも先輩のネシティだ。
その世代は紙喰いを積極的に討伐していなかったらしい。——いや、していなかったといえば歴戦の先輩に怒られてしまう。したくても、できなかった。これが正解だ。
ゴンドラリフトの乗り場もやはり、例によって街周電気柵に守れられている。自分の背丈の二倍はあるこの柵を見ると、帰ってきたんだな、と思う。ネシティの工作物はどこかしらに遊びがあるから、見ていて飽きない。
この電気柵にしても、電線たちを中継する太い支柱にカラフルなペイントが塗られている。グラフィティ、というやつだったか。キヅキはこのスタイリッシュな文字が好きだ。ストリート系とかいうファッションも、あいつの好みだ。
サルエルパンツだか、穴あきジーンズだか、ビッグフードパーカーだか、ビッグシルエットシャツだか、ネシティにはその手の服を好むやつが多い。おれは地味な服で十分。麻のマントに鉄の足——と、同業にはよくいわれたものだ。
金網のドアを前に、近くに支柱に手を伸ばす。ご用の方はこちらを鳴らしてください、と書かれた木札とともにぶらさがっているのは、おもちゃのでんでん太鼓——。
「このシステム、なんとかならないのか……」
ぼそりとこぼしてフックから太鼓の紐を外した。音がデカくなるようにと、金属のプレートと金属の球を備えているから、用途は十分満たしてくれる。インターホンの代わりだ。
手首を何度かひねって太鼓を鳴らした。少々耳障りだが、はっきりとした金属音があたりにひびく——管理事務所から、老人がひとり顔を出した。
「おう、セトじゃねぇか」
こちらを見るなり、片手を振りながら近づいてきた。老人の名はタツオ。白髪の短髪で、土色の肌には深いしわが刻まれている。躰の線は細く、筋肉質だ。
「老眼でも、おめぇの片足はすぐにわかるぜ。よく帰ってきたな」
「ただいま」
「待ってろ、いま鍵を開けてやる」タツオは金網のドア越しに言った。
「柵の電気は通電してないみたいだな」
「おうよ、ジェネレーターだって油で動いてんだ。じじいふたりがいる昼間は電源を切ってんのよ。節約だ、節約」
タツオが開けてくれたドアをくぐって、電気柵のなかに入った。
あいつは元気か、刀の調子はどうだ、とたがいに適当な会話を交わしながら、敷地内をすこし歩く。ゴンドラのホームは相変わらずだった。大きな損傷も見当たらない。
ゴンドラリフト管理事務所と書かれた札をさげる建物に入ると、なつかしいにおいが鼻を突いた。タバコと砂、古い革靴のにおいを混ぜたような空気が充満している。
もうひとり、知っている顔がこちらを見てにかりと笑った。
「お、来たな、有名人」
カウンターから声を投げたリュウゾウはメガネの坊主頭。タツオよりは肉づきがいい。コーヒーに砂糖をたっぷりと入れるすがたを、何度か見たことがある。
「有名人? どういうこと?」
「きのう連会に帰ってきたやつが話してたんだよ。カンドゥの街で、でーっかい紙喰いを討伐したらしいじゃねぇか。なんでも街周電気柵をぶっこわして侵入してきた大物だったってうわさだが、ほんとうなのか?」
そう言ってリュウゾウはにやにや笑っている。孫の成長を喜ぶような顔だ。
「状況によって、最適の行動をとったまで」おれは言った。
「かーっ! やっぱり討伐世代はちがうねぇ!」
タツオはビールを飲んだような顔をつくりながら、給湯室に行った。
「ケガはなかったか?」リュウゾウが落ちついた声で言う。
「ああ、まぁ。大丈夫だ」
「さすが、幼少からキヅキにしごかれただけはある」
「おかげで、躰だけは丈夫になった」
「だがよ、セト。筋肉がすくねぇぞ? ちゃんと食ってるか? タンパク質」
「最近はパンと缶詰ばっかりだ」
「それじゃダメだなぁ、豆も食え」リュウゾウは笑った。
慣れた調子で話していると、タツオが給湯室からもどってきた。その手にはキンキンに冷えた麦茶が。
「ほらよ、酒だ」タツオはカウンターに置いた
「麦茶だろ?」
おれは汗をかいたグラスを持った。
氷を持ったような冷たさが、手に心地いい。
「で、どうだったんだよ、カンドゥ」タツオが言う。
「え? あ、まぁ……」
思い返しながら麦茶をひと口飲む——ほてった喉が冷えて、頭がすこし冴えた。
「見たことのない、とにかく硬いやつだった。躰の半分が金属質で——ロビンばぁがつくったんじゃないかって」
「そんなやつがでたのか。世も末だねぇ……。まぁ、ロビンばぁなら紙喰いの一匹くらい、どかん、とこさえちまいそうだがな」
タツオがにやにやして言った。老人ふたりはそろって笑いだした。
「それで、純政府の軍隊とまぁ……。協力というか、そんな感じになったけど」
「あいつら、紙喰い倒せるのか?」
「立派な戦車を並べてたけど——なんか、そのわりには、って感じ」
「こっちに伝わったのはおまえの活躍だけだぜ? その時点で、純政府がへっぽこだったって察しがつくぜ、なぁリュウゾウ?」
タツオに同意を求められ、リュウゾウは柔らかい顔で笑った。
「へっぽこってほどではないけど……」いちおう擁護する。「まぁ、へっぽこな部分もあった」
「だぁもんよ! 頼りねぇよなぁ、政府ってのはよ。けっきょく有事だろうが自分の保身と出世が最優先なんだろう? ばからしいぜ、なぁリュウゾウ?」
タツオに同意を求められ、リュウゾウは眉をひそめてうなずく。
「いてて……」
急に肩が痛みだした。コップを持っていただけなのに。
「お、大丈夫か、セト?」リュウゾウが言った。
「カンドゥ以外にも、ひと悶着あってさ……」
「診せてみろ。コップは置いとけよ」
席を立ち、タツオはおれの肩を触ってきた。ぐり、ぐり、と肩の関節を回されていく——。
「あ、っててて」
「おう、ここか、こっちに動いたときだろ?」
「そうらしい……」
「めっちゃ軽い脱臼だ——ちょいと、歯食いしばれ!」
ごりっ——
鈍い音が耳の奥で鳴った。
するどい痛みが指先まで走る。
しかし——とても楽になった。
肩に埋まっていた石がまるごと取れたような心地だ。
「さ、さんきゅ……」とはいえ、荒療治ではあった。
「おまえはどうしてか、片手で刀を振るくせがある。右肩を痛めやすいから、気をつけろよ」
「ああ……。そうする」
「どうせ着地のことを考えねぇで、派手に跳びまわってたんだろう? 肩から着地するすがたが目に浮かぶぜ、バッタ小僧」
かっかと笑いながらタツオは背中を叩いてきた。
「うるさい。ネズミじじい」
「おう! こいつぁ一本取られた!」タツオは手のひらを額に当てた。「紙喰いを倒せなくて逃げまわってたおれたちがネズミだとよ! ぐうの音もでねぇな! なぁリュウゾウ!」
リュウゾウはゆっくりとうなずきながら、肩を震わせて笑っている。
「あんたらの世代が研究を重ねてくれたから、雷駆刀が生まれた。感謝している」
おれが言うと、急に葬式のような空気が流れた。
「——だよなぁ」タツオは声のトーンを落とした。「おれたちだって、逃げたくて逃げていたわけじゃねぇ。倒せる道具があったなら、倒したさ。思い返すと、わけぇときは、いろいろ試したよなぁ。なぁリュウゾウ」
リュウゾウは腕組みをして、ゆっくりとうなずいた。
苦い経験を噛みしめる顔で、タツオがつづける。
「電撃グレネード、電撃ハンドガン。電撃ライフルは重すぎて配達に支障がでたしよぉ。マガジンをリュックいっぱいに詰めこんで、やっとこ紙喰い一匹倒せるかどうかって次元だったよなぁ」
「あれはもはやギャグだった」リュウゾウが言った。
「携帯式の電槍バリスタなんかよ、一度も日の目を見ずにお蔵入りになったよなぁ。なんでだっけか?」
「武器のテスター全員が、発射時の反動で、肩や肘の脱臼を起こした——。うち、ひとりが骨折」
「だもんでよぉ。けっきょく銃器じゃ倒せねぇだろって方向になってよぉ。——なにつくったっけ?」
「ああ、あれだ、あれ——」
ふたりして、しばらくの沈黙。
写真みたいにぴたりと止まった。
「あ、そうだ、折りたたみ式の槍だわ」
先に思い出したのはリュウゾウだ。手をぱん、と叩いてから人差し指を立てる。
「中国の三節棍だかがモデルだったよな?」タツオが言う。
「そうだよ思い出した。なつかしいなぁ。いちいち折りたたむから、ケーブルの断線を起こしやすかった。石突にエンジン機構ひっつけたもんだから、重量バランスがわるくて、扱いずれぇったらねぇの」
「あったあった。まるで実践向きじゃなかったよな。支給されたはいいが使う機会がまぁなくて。しまいにゃ畑の支柱になったわ」
「そいつぁ笑える」タツオは猿みたいに手を叩いた。「紙喰いぶっ倒すより、ミニトマト栽培したほうがいいってオチよ、なぁ」
ふたりの会話は盛り上がる一方だ。
「あのさ……。盛り上がってるところ、わるいんだけど」
「おう?」タツオがこちらを見た。
「次のゴンドラ、いつ来る?」
たずねると、リュウゾウは腕時計を見た。




