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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
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ー3ー

パンを食べたいだけだった

 街中は店が多かったから、ゆっくり歩くことは苦にならなかった。宿のチェックインも済ませたので、たまには買い物もわるくないかと思った。


 ちょうど小腹が空いたから、ベーカリーに入った。茶色の木製ドアに、楕円形擦りガラスで作られた小窓がある。かわいらしい見た目だ。開けると、からん、と鐘の音がした。


「いらっしゃい」


 黄ばんだ新聞を読みながら声を投げたのは、中年男性の店主。いかにもパン屋らしい白い頭巾と、白いエプロンを着ている。ふくよかな体型のためか、服が風船みたいに張っている。——きのう倒したカラスが頭をよぎった。


「もう閉店近いから、全品半額でいいよ。パンも冷めているから」


 パンよりも店主が持っている新聞が気になった。


「その新聞、いつのだ?」

「え?」店主は視線を上に流して、「二〇一九年、一月七日だね」

「どこで手に入れたんだ?」

「ああ、三軒となりに古本屋があるんだよ。そこで品の入れ替えがあってね。ちょうどおなじ日付の新聞が六部もダブっていてさ。格安で買えたんだ」

「いくらだった?」

「半額で、二ルキ。二〇一九年当時はニマンエンとか呼ばれていた額だね。あんたもこういうのに興味がある口かい? 読みたいなら、すこし金をもらわないとむずかしいなぁ。自分以外の手汗は避けたいところだね」


 こちらとしても、他人の唾がついた新聞に触りたいとは思わない。


「新聞には興味がない。その古本屋は小説を扱っているか?」

「まさか」店主は鼻で笑った。「すくなくとも、あの店には一冊もない」


 またこの流れか……、と肩が落ちる思いがした。


「あんた、小説を探しているのか?」店主は新聞を畳んだ。「読んだことは?」

「一九年生きてきたなかで五冊だけ」

「ほう……。多いな。おれなんかもうすぐ四五になるが、やっと七冊読めたくらいだよ。純政府もおかしなことをしたよな、まったく……。知的財産を集めるだけ集めて、《《余計なもの》》は焼くだけ焼いて……。まぁ、それも仕方ない。紙喰いなんていう魔物がいるうちは、妥当な政策だぁね」


 話していると、店のドアが開いた。

 店主は客の顔を確認して、おかえり、と言った。


「あ、いらっしゃい」


 若い女の声がおれに投げられる。察するに、入ってきたのは店主の娘だ。


「あ! お父さん! またこんなところで新聞読んで! 貴重なんだから部屋で読んでっていっつも言ってるじゃん! 新聞にパンのにおいが染みついたって、あとからグチるくせに!」


 娘は急にきゃんきゃんと怒りだした。見た目からしても子犬みたいだな、と反射的に思った。


「おう、すまんすまん。知的好奇心には逆らえなくてねぇ」


 店主は新聞を丁寧に畳み、そばに置いてあった木箱のなかに優しく収納した。


「見苦しいところをごめんなさいね」


 娘はすたすたと歩き、腰の高さのスイングドアを通って、カウンターのむこう側へ移動した。


「好きなパン、持ってきて。五個で三ルー(日本円の三〇〇円)にしてあげるから」

「おい、それじゃ半額以下だろう」

「いいの!」娘は強く出る。「お父さんのせい! 帰宅ラッシュの時間なのに客引きのひとつもしないから、こんなに売れ残ってるの! ばか!」

「そいつぁわるいねぇ。そんじゃ優秀な看板娘さんに、あとの片付け頼むわぁ。おれ疲れたし、寝る」


 店主が立ち上がると、座っていた木製の椅子がびきっときしむ音を鳴らした。重量から解放された反動で鳴ったのだろう。


「はぁ!? 全部わたしがやるの!? 洗い物も品さげも札おろしも全部!?」

「おまえがパンを安くしすぎたから、からだで払ってちょうだい」

「なにそれ! マフィアみたい! くそおやじ!」


 こちらからは怒る娘の背中しか見えず、さぞ険しい顔になっていると想像したが、振り返ると満面の笑みだった。


「ご、ごぉめんなさぁい」すこし引きつった笑みではある。「ささ、パン、好きなの選んで」

「そうする……」


 並んでいるパンは、たしかに表面の潤いが抜けているように見える。けれどふっくらとして、形には問題がない。すこし火で炙れば最高の噛み心地を提供してくれるはず。


 スタンダードなロールパンに、エッグサラダがサンド——それだけ真っ白なロールパンだったからすぐに目についた。ひとつ目はそれにした。形を崩さないように木製のトングで掴み、木製のトレイに乗せる。


「あ、それねぇ、うずらのタマゴを使ってるの。ニワトリのタマゴなんて高級すぎて買えないよね、えへへ」


 カウンター越しに娘が話しかけてくる。

 おれは適当にうなずきながら次の品を選ぶ。


「あ! いま見たやつ! 切り株みたいでしょ! プレーンもいいけど、フレンチトーストにしたやつもあるから、わたしはそれがオススメかなぁ」


 それならば、と切り株パンのフレンチトーストを選ぶ。あまり甘いのは好きではないが。


「あ、それ! その……、右にあるやつ、そう、それ! それはうちの人気商品でさぁ。なんの変哲もない、ただの丸いパンって感じでしょ? ちがうのよぉ。かじったらびっくり。なかからとろーりカスタードクリームがこんにちわぁよぉ……」


 光悦の表情で娘は語る。


「あ、いまは夕方だからこんばんわぁ、か……」


 そこはどうでもいい。


「あまり甘いのは好きじゃない……」

「え、そうなの? 珍しいね」きょとんした目が、やはり子犬だ。

「ベーコンが入っているのとか、ないか?」

「あ、あるよ、そこの——」娘は背伸びをして、「あ……、ごめん売り切れてた。それじゃあ……。その左の上にあるやつ、それはツナを挟んでるから甘くないよ?」

「わかった。これにする」


 さらに、娘がオススメだというクルミパンと羊のチーズパンを選んだ。レジに運んで会計を済ませる。これだけのサイズのパンが、たったの三ルーで買えるのはお得だ。申し訳ないくらいに。


「ねぇ、あなた……」レジの引き出しを押しこみながら、娘は静かにいう。「ネシティ、だよね? ちがってたらごめん」


 娘の視線が腰の雷駆刀に当たっていたのは気づいていた。刀の鞘に装着されている金属ボトルも目立つ特徴だ。納刀すると、このボトルから刀の鍔元に備えられた超小型エンジンへ、燃料が自動充填される。鎖帷子に覆われたショルダーバッグを肩にかけている物好きもネシティくらいだろうし。立っているだけで職業を公表しているようなものだ。


「そうだけど……?」


 こちらが答えると、娘は神妙な顔をした。

 なにか、言いにくそうな話があるような顔だ。


「あのね……。届けてほしいものがあるの。ある人に……」

「すまない」ここはきっぱりという。「次の予約が入っている」


 正確には予約の予約が入っている、というだけだが。


「そっかぁ……」娘は残念そうに、「またこの街、もどる?」

「そうだな……」おれは、この先の行程をすこし考えた。「ここは東側に行くための中継地点でもあるし、次に行く街は海沿いだから行き止まりみたいなものだ。どっちみちもどってくると思う」

「いつになる?」

「それは、わからない」

「うーん……」

「別のネシティに頼んだほうが早いんじゃないか?」

「そうなんだけど……」


 おれじゃなきゃいけない理由はないはず。


「あなたがいい」

「は?」

「似てるの。顔が」

「顔?」

「うん。お兄ちゃんに」

「それと、ネシティの仕事になんの関係が?」

「届けてほしいの。その顔を」


 娘はひと呼吸置いた。大人の女性たちの賑やかな話し声が店の軒先をとおり過ぎていく。それとは対象的に店の中は静まり返った。


「ここから東。一九〇キロ先の街。わたしのお母さんがいるの」

「一九〇キロ先……」


 まっさきに浮かんだのは、ここら一帯で最も栄えている大都市・アトラだ。純政府の取り締まりも強い、厳重法治地帯——。


 身分が弱い人間にとっては、あまり住み心地はよくない。しかし病院などの施設が充実している部分はある。


「定期護送列車で会いに行けばいいんじゃないのか? その……、兄貴と一緒に」

「お兄ちゃんはいない。死んでるって、お母さんが言ってた……」



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