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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
それは、神でもなんでもない
28/72

ー15ー

それは、神でもなんでもない


 震えながら語る男性の顔は、みるみる青ざめていく。


「だれかって、だれだ!」父は怒鳴る。

「それがわかるなら、こんな事態に陥っていないだろ!」


 たがいに怒鳴り、恐怖をぶつけ合ったとて、なにも解決しない。


「そんな頭で、よく参謀が務まるな!」

「これまで知恵を貸しただろ! あんたひとりじゃ、純政府の重役をリスト化することだって無理だったろうさ!」 

「んだと……!」父は男性をにらみつけた。「武器調達は、裏社会に明るいおれの顔があったからこそ、スムーズに進んだんだろうが! おまえに支部をまとめるカリスマ性があったとでもいうのか、あ!? ただの副支部長がよ!」

「あなた、落ちついて」母があいだに入る。「オロチがいるのよ……」

「くそっ」父は舌打ちをした。「部屋から出てろ、オロチを連れて——」

「行きましょ、大丈夫よ、ごめんね……」


 母に手を握られ、オロチは地下室をあとにする。鬼のような顔の父を横目に見ながら、冷たい階段をのぼった。母が両開きの扉を開ける。雨が降っていた。天に向かって開く扉だったから、見上げた顔に雨粒がまともにかかった。


「すごい雨ね……。すぐにお風呂に入ろうね」


 優しく言う母が先に地上に立った。

 やわらかい手に握られ、オロチも最後の一段をのぼろうとする。

 ——銃声が鳴った。

 母の手がとたんに力を失った。

 びちゃ、どさ、と湿った音がした。

 目を剥いたまま倒れる母の顔が、オロチの真横で逆さまになった。

 雨が長い髪を濡らし、赤黒い液体が母の顔の半分を染めた。


「か、母ちゃん、母ちゃん!?」


 ぴくりとも動かない母はだれかに蹴られて、横にくるりと転がった。


「ガキはどうします?」制服を着た若い男が言った。ライフルを持っている。

「ほっとけ。こいつには罪はない」もうひとりの男は髭が濃い。帽子に星のリボンがついている。

「了、ってか」

「ぼく、ちょっと、どいててくれるかい?」


 髭の軍人がオロチの首根っこを片手で掴んで、庭に放り投げた。さっき母が倒れたときとおなじような音が鳴った。


 躰がびしょびしょになって、泥だらけになって、最悪なのに、心は妙にすっきりしていた。おかしなもんだ。あまりにも信じられない事態に遭遇すると、考える気にもならず、思考そのものが麻痺してしまうのか。


 だが、そのすっきりも長くはつづかない。

 頭から血を流して倒れる母を見ていると心臓が大暴れしてくる。

 軍人が地下室に降りていった。

 銃声が二回鳴った。


「父ちゃん……?」オロチは顔を真っ青にする。


 首のこりを気にしながら、髭の軍人が階段をもどってきた。

 若いほうも、それにつづく。

 そしてふたりはこちらを見た。


「あーあ。ばかな親を持つと、子は苦労しますね」

「いたしかたない」

「いいんですか? あのガキ、放っておいて」

「かまわん。どうせなにもできん。親とおなじさ」

「ですね。あー、さっさと帰ってマンガでも読みてぇっすわ」


 去ろうとする軍人ふたりの背を、オロチは強くにらんだ。そして、頭に鳴る父の言葉——


《そうだ! それでいい! オロチは強くなるぞ!》


「そうだ……。それでいい。オロチは強くなる……」


 気づくと、躰が勝手に動いていた。

 駆け出して、若いほうの背中に蹴りを入れた。

 ごき、と鈍い音がして、そいつは膝をついた。


「いてぇっ……!」

「このガキ!」髭の軍人が銃を向ける。


 オロチはすぐに、若いほうのライフルを奪った。

 銃声が二発、おなじタイミングで鳴る。

 一発は、髭の軍人の額に当たった。

 もう一発は、オロチの頭をかすめて土に埋まった。


「——! うそだっ……!」


 大の字に倒れた髭の軍人を見て、若いほうが言った。

 オロチは銃でまだ生きているほうの頭を殴った。


「や、やめてく——」命乞いが聞こえたが、雨音のほうが大きい。


 オロチは殴った。

 何度も。

 何度も。

 頭は変形して、なにか、別の塊に変わっていった。

 それでも殴った。

 全身を濡らす返り血は、すぐさま雨に流されていく。

 髭のほうも殴っておかないと——オロチはそう思った。

 躰の向きを変えて、おなじ作業を繰り返す。

 どっちも完全に動かなくなった。


 茫然自失とし、オロチは母のそばに寄った。


「母ちゃん。お風呂、入らないと。雨、すごいよ。おれ、なんか、汚れちまった」


 母は動かない。

 たったいま動かなくした軍人ふたりと、おなじだ。

 オロチは地下室に降りた。

 父と、知らない男性が、頭から血を流して倒れていた。

 どっちも、額に赤い穴を開けている。


「父ちゃん。そんなとこで寝たら、母ちゃんに怒られるよ」


 まばたきを忘れたオロチの目は、すっかり乾いていた。それでも涙は流れない。一度、泣きだしたら、ずっと止まらない気がした。だから、オロチは舌を噛んで涙を殺した。


 翌朝になると純政府の人間が三人やって来た。


 ひとりが言った。「安物を雇うからこうなる」

 もうひとりが言った。「でも、我々の手は汚れずに済んだ」

 さらにひとりが言った。「この子供、軍で飼いますか?」

「やめておけ」最初のやつが言った。「大人ふたりを身ひとつで殺せたとしても、ラッキーゲームだった。どうせ、殺し屋のふたりが油断していたんだ。軍服を貸して家宅の侵入を容易にさせたが、けっきょく外で初弾を撃つばかどもだ。あれほど、屋内でシンプルに殺害しろと念を押したのに」


 会話をしながらオロチを見下す三人の視線に哀れみはない。

 野良の獣を見るのとおなじだ。


「身体能力だけを見れば逸材かもしれんが、危険因子だ。放っておけば、ストリートチルドレンになってどうせ死ぬ。かまうな」

「了」

「了」


 売り文句のひとつも言えないまま、ただ遺体が運ばれていくのを、少年オロチは体育座りで見ていた。


 親はもう、 ただの肉塊だと知っていた。動かない人形になったとわかっていた。だから泣くでも叫ぶでもなく、純政府の大人たちに親の躰が処理されていく様子を、ぼんやりと見ていた。庭の土からムカデが顔を出し、そいつがつま先から頬までのぼっても、まったく気にならない。それくらい心はからっぽで風が抜けるばかりだった。


 そして、少年オロチはひとりになった。



「だっくる……。だっくる」


 またひとりになった、とオロチは思っていた。

 暗闇はどこまで歩いても暗闇だ。


 廃墟の瓦礫なのか、岩の段差なのかわからないが、オロチはつまずいて倒れてしまう。躰じゅうが痛くて、起き上がるのも億劫だ。そのまま仰向けになり、空を見た。


「どうして、おれって、こうなっちまうんだろ」


 夜空の星は半分しか見えない。月もない。分厚くて広い雨雲が、きれいで深い碧空の半分を隠してしまっている。


「リンジ……。サキ……」


 半分の星空に、大事な友の顔が浮かぶ。


「母ちゃん……。父ちゃん……」


 半分の雨雲に、両親の笑顔が浮かぶ。

 からっぽの表情に涙がひとつ、筋をつくった。


 ——すると遠くから歌が聞こえた。


「あ……? なんだ?」


 オロチは上体を起こして、聞こえるほうへ顔を向ける。かなり遠いが、紫の光が見えた。


「キルラ……?」


 そうだ、この近くにはキルラがあった。見上げても見上げても天高くそびえる、水晶の塔。二〇〇年前、この世界の文明を丸ごと飲みこんだ、地球の病——その証。


 オロチは立ち上がり、歌のほうへ歩いた。

 なにかにすがるような心地だった。

 紫の光が次第に強くなる。

 夜が妖艶に照らされていく。


 ある程度近づくと、キルラの根元に影が見えた。

 巨大な影がいくつも集まり、うごめき、歌を奏でている。


「紙喰い……」


 何匹もの紙喰いが、キルラのもとに集まっていた。

 数は数えられたものじゃない。

 種類もさまざまだ。


 まるで祭りか、あるいは儀式でもしているかのように、紙喰いたちは各々の触手やら腕やら足やら翼やらを波のように踊らせてる。気味のわるい、山のような影がいくつもうごめいている。


 その光景にオロチは見惚れた。

 吸いこまれるように近づいていく。

 もしかしたら、孤独を埋めてくれるかもしれない。

 胸に空いたこの大穴を埋めてくれるのではないか。


「おれも……、おれもまぜてくれよ、なぁ……、なぁ」


 堰を切ったように涙が溢れる。

 狂っているとわかっている。

 殺されるかもしれない。

 それでもオロチはその足を進ませた。


 キルラが一層の光を放つ。

 空の雨雲が紫の半輪を描く。

 地の底から、重たい地鳴りが聞こえる。

 近づくほどに肌がひりひりする。

 脳からの信号が阻害されはじめたのか、指先にしびれを覚えた。


《キルラに近づきすぎると、手足が動かなくなるとか、そういわれているよね》


 リンジがそんなことを言っていた。


「どうでもいい。寂しいんだよ」


 紙喰いたちが踊る。

 遠吠えを何重にも重ねたような歌声に、心がさらわれていく。

 怪物たちの輪にオロチは入ろうとした。

 どれかの巨体に潰されて、肉の板になったとしても、それでもいいと思った。


 しかし足元で、なにかが割れた。

 つま先でなにかを蹴ってしまったようだ。


「あ?」


 見ると、そこには卵があった。


 ちょうど、両親を失ったときの自分とおなじくらいの大きさに思えた。体育座りで、くそみたいな大人たちをぼうっと眺めていたころのおれと、おなじくらいの大きさだ——そう思った。


 紫の光に照らされながら卵は孵っていく。

 ひびが入り、くちばしの先端が顔をのぞかせる。

 さらに割れて、大きな殻が剥がれていく。

 足が四本、翼が二枚の雛が産まれた。

 その幼い命は、最初にオロチの顔を見た。


「よ、よう……」


 ぴぃ、ぴぃ、とかわいらしく鳴く。

 オロチの腕にすり寄って、抱いてくれとせがんだ。


「お、おおう、なんだおまえ、元気だな」


 ぴぃ、ぴぃ。

 雛は、オロチの目をまっすぐに見た。

 くちばしを開ける。

 ひだのような歯が細い口のなかでぎっしりとU字の列だ。

 喉の奥から、まっ赤な舌が勢いよく飛び出した。

 舌の先は針だった。さそりの尾みたいな針。

 その針はオロチの頬を突き刺した。


「いって!」


 たまらずオロチは雛を投げた。


「なんなんだよ、くそ……!」


 頬を触れた手に血がついた。穴はそこまで大きくないが、かなりの痛みだ。


「毒か!? おまえ……」


 こんな死に方か、とオロチは思った。

 しかし雛はかわいらしく鳴きながら、躰を寄せてくる。


「おれを親だと思ってんなら刺すなよ……」


 左手が痺れてきた。感覚が消えていく。

 左目もなんだかぼやけている。

 左足はむずむずと熱を帯びていく。


「やっぱ、ばけもんは、ばけもんか」


 紙喰いたちの踊りをながめながら。

 その歌声を聴きながら。

 紫の光に照らされ、毒で死んでいく。

 それがオロチの最後——。


 ではなかった。


 左手の感覚が蘇った。視界もはっきりとした。夜の闇が気にならないほど、遠くまで明るく見通せるようになった。キルラの明かりではない。自分の片目が闇そのものに打ち勝っている。


「どうなって——」


 立ち上がると、躰が異常に軽かった。

 左半身はとくに、生まれ変わったような心地がする。


「あ? ああ……!?」


 紫の光で、はっきりとした色はわからないが、左腕の肌が変色していた。元から地黒だが、それよりもはるかに濃い色になっている。さらには左手の爪がみるみる伸びていくのが見てとれた。五本の爪は、それ自体が刃物と呼べるかたちと堅さに変化していく。


「どうなってんだよ、おい、おい……!」


 左足はありえないほど太くなり、ついにはズボンを引き裂いてしまう。


「すげぇ、おれの躰、おれのカラダ——!」


 左半身の違和感はすぐに快感となった。

 体調はどこまでもよくなっていく。

 頭も最高にすっきりしている。


「あ、あは、はははっ、ハハハハ……!」


 どこまでも歩けそうだ。

 どこまでも走れそうだ。

 なんだってできそうだ。

 なんだって許せそうだ。

 なんだって殺せそうだ。


「——あぁ、紙が、紙がくいてぇ、コトバがホシイ」


 ・…………………………・


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