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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
それは、神でもなんでもない
20/72

ー7ー

それは、神でもなんでもない

 自信高らかにオロチは言う。どうあっても勝てると確信しているんだろう。こちらはあえて、無反応を決めこむ。


「いいか! 魔王は滅すべき存在じゃない。敬愛し、崇拝すべき存在だ。ほらみろ、そこのネシティを! 腰に剣をぶらさげてよぉ! まるで漫画で見た悪の勇者じゃねぇか! それにこいつは——」


 ついにこっちの肩を蹴ってきた。おれは横に倒れてしまう。そして顔の横をオロチの靴に踏まれた。口の中に砂が入った。


「見ろよ! この足! 勇者の一味にいた、片腕がロボットの技工士にそっくりだ! こいつは足だけどよ!」


 義足を指差して、大層楽しそうにしてやがる。


 本は人にとっていいものだと思っていた。こいつらが信仰している漫画がどんなものか知らないが、いい影響ではなかったようだ。


「オロチ」リンジが言った。「ぼくはプレギエラの最終巻——その内容を知っている」

「はぁ?」オロチはおれを踏んだまま、「一二巻が最終巻だろうが。世界は魔王という神のもとへ還ったんだよ。そこで終わりだ」

「いや、ちがう」


 リンジは立ち上がった。


「勇者が自らを生贄にしたのも、姫が従者王の妃になったのも。すべては罠だ。ほんとうの悪を暴きだすためのね」

「なに言ってやがる」オロチはリンジのそばに寄る。「一三巻なんか存在しねぇ。テメェの言葉は信じるに値しない」


 リンジは薄い笑いで、オロチの気迫を跳ね返す。


「実際、プレギエラはよくできた漫画だよ。一二巻までは勇者こそが真の悪であるように、段階的かつ違和感なく描かれている。勇者が悪だと信じたくないのに、ストーリーは望まぬ方向へと進んでいく。そして一二巻が最終巻だと明記されていることもあって、読者は騙された。——だがそれは話題性を呼ぶために出版社と作者が仕掛けたトリックだった。一種のジョークともとれる。ほんとうは一三巻まで存在する。物語は、そこでなにもかもひっくり返る。やっぱり、勇者は正義だった。魔王が支配する世界で終わるなんて、そりゃ冗談だよな、と……」


 いったんは静かになった。こいつ、なにを言っているんだ? という空気をオロチたち一味は醸している。


「本気か?」オロチが言う。

「一三巻にすべて書いてあるさ。疑うならぼくの部屋から持ってくるよ。この縄を解いてさえくれれば」

「……なぜ黙っていた」

「一三巻を持っていることをかい?」

「そうだ。テメェ、結末を知ってておれを心の中で嘲笑っていたわけか?」


 オロチは片手の爪を外した。拳をつくるためだ。いまにもリンジを殴ろうとしている。


「ぼくは、きみをちいさい頃から知っている。きみはプレギエラという心の支えを持ったことで、人生の目標を見つけた。家族を失い、生きる希望も失ったきみが、ゆいいつ信じられたもの——それがプレギエラだった」


 リンジは静かに語る。硬く握られたオロチの拳が、ほんのすこし緩んだ。


「もう七年も前のことで忘れているようだけど……。きみにプレギエラをあげたのは、だれだった?」


 まるでこっちは蚊帳の外だが、次第に話の流れが見えてきた。オロチとリンジは幼馴染だった。どういう理由か知らないが、オロチは家族を失って絶望していた。そこにリンジが漫画を渡した。せめて元気になってほしい、くらいの軽い気持ちだったのだろう。


 ところがオロチは漫画に共感する人間を集め、宗教を開いてしまった。リンジはそんな彼を近くで……、あるいは一歩引いたところで、見守っていた……。


「ぼくはきみに、おどろいてほしかった。だから一三巻の存在を隠していた。しかし、宗教を開くとは思っていなかった。一個の団体として自立するまでになるともね……」


 リンジの語調は次第に強くなっていく。


「あんなに絶望して、お風呂にも入らず、髪に集るハエも気にしないくらいに落ちこんでいたきみが元気になって、リーダーと呼ばれるまでになった。崇拝する対象はまちがっていると、ぼくはずっと思っていた……。けれど、一三巻の存在をきみに言ってしまえば、なにもかもを奪うような気がした。だから、言えなかった」


 ごめんよ、という言葉でくくり、リンジは顔を横に流した。


「ねぇ、どういうことなの?」群衆のひとりが言った。

「おい、オロチ、世界は魔王のものだっていう現実が正しいんじゃなかったのかよ?」またひとりが言う。

「おれたちはオロチについてきたのに、どうなってるんだよ! もっと力をつけて、最後には純政府の本部を乗っとるって言ったじゃないか!」


 説明しろ、

 一三巻とはなんだ、

 どうなっている、

 これからどうなっちまう、

 おれたちが信じてきたものはなんだった——

 群衆は口々に言葉を発する。

 オロチは耐えるようにうつむいたままだ。


 喧騒の中で、リンジはこちらにむいて口を動かした。


《走れるか》


 そう、動いたような……。


「テメェら黙ってろ!」ついにオロチが怒鳴った。「まだ一三巻があるって決まったわけじゃねぇ! この目で見るまで、信じねぇからな! ——おい!」


 オロチは群衆の中を適当に指差した。


「おまえと、おまえ! 喚いてねぇでリンジの部屋を漁ってこい! ドアを蹴破ってでもだ!」

「は、はいっ……!」


 ふたりの男が反射的な反応を示した。 すぐにアパートへと走っていく。それと同時に——


「オロチ、ごめん!」


 リンジは蹴った。つま先が当たったのはオロチの股間だ。しかも両手が自由になってやがる。縄抜けでも知っていたのか? いや——ナイフだ。ナイフを持っている。それで切ったんだ。


「がっ」塩をかけられたナメクジみたいに、オロチは丸まってしまった。痛みのあまり声も出せないようだ。

「ネシティ! 走れ!」


 こちらに駆けつけたリンジは、おれの縄も切った。


「くっそ……、急すぎんだろ!」


 おれたちは逃げた。だれか追ってくるかと思ったが、群衆はおどおどするばかりで困惑していた。なにが正しいのか、そもそも自分の信仰が正しいのかという迷いが表面に出た結果だろう。


「電気柵がある!」走りながらリンジが言う。「剣で切って、出口を作るかい!?」


 ご丁寧に電気柵まで整備していたのか。

 さすが、一個の居住地を形成しているだけはある。


「悠長に切っている時間はない——、飛び越えるまでだ!」

「本気!?」

「おれの手を握れ! 義足を信じろ! 肩、外れても文句言うなよ!」

「わ、わかった……!」


 火花を散らす有刺鉄線が近づいてきた。

 等間隔で四本の針金が並び、柵を成している。

 純政府のに比べたら高さはそこまでじゃない。

 これなら義足の跳躍で飛び越えられる。

 問題は、リンジの体重でジャンプの高さがどこまで落ちるのかだ。


 走りながら、リンジの手を握る。

 自分が描く放物線をイメージする。

 普段よりも垂直気味に飛んだほうがいいだろう。

 飛ぶタイミング。

 足のタイミング。

 トリガーを……、引け——!


 リンジに忠告しておきながら、悲鳴をあげたのはこっちの肩だった。男ひとりの体重がまともに肩を壊しにきた。片腕がすっぽり引き抜かれる感覚。街で紙喰いと闘ってから、まだ腕は全快とはいえない。


 有刺鉄線になにか当たった。リンジが唸った。たぶん、足が引っかかったのだろう。


 どうにか飛び越えたが、着地はまともじゃなかった。ふたりして土に塗れてしまった。


「ケガしたか?」おれは訊いた。

「大丈夫。靴のつま先が当たっただけ。打ちつけた背中のほうが痛い……」


 リンジは苦笑しながらグッドサインを作った。


 おれたちが立ち上がったところで、ようやく数人が声をあげて追ってきた。一歩遅れて、オロチの指示が飛んだのだろう。


 すぐにそこから離れた。うまく闇に紛れられたから、すがたは見られていない。そのまま、廃墟から廃墟を縫うように移動した。これを探すのは、犬の嗅覚でもないと無理だろう。


「まいたかな……」息を切らしながら、リンジが言った。


 おれは刀を抜いた。迷わずリンジの首筋にきっ先を近づける。こいつに騙されてからこっち、余計な災難で配達にも支障が出ている。最悪な状況を作った原因が、いま目の前にいる。


「ここでおまえを殺ちゃいけない理由——あると思うか?」

「そうだね……。殺されも仕方ないと思うよ。でも……、わかってほしい。すべては自分のためじゃないんだ」


 こいつが言っているのは、サキという女のことだろう。


「そんなの知ったこっちゃない。こっちは仕事を邪魔された。同業者もおまえに殺された。自分の命すらも危うかった。腐ったカルトの根城で油を売っている暇など、ただの一秒もなかった」


 おれは遠慮なく言葉をぶつけた。

 リンジは顔を伏せたまま、否定も肯定もしない。


「……おねがいだ。きみは強い。雰囲気でわかる。ただものじゃないって……。サキを助けたい一心なんだ。あの子はいまも薬で眠らされて、ろくに栄養も摂れていない。もう一週間、保つかどうか怪しい。あの子をああいう状態にしてしまった責任は、ぼくにある。でも……、悪化した事態を収拾させる力はない……」


 だからって、自分が殺そうとした人間の手まで借りたいってか。


「紙喰いの手でも借りたらどうだ?」おれは納刀して去ろうとする。

「待ってくれ! おねがいだ! なんの罪もない子を、殺したくない!」


 リンジの声が背中にぶつかってくる。——瞬間、ミカの顔が浮かんだ。頭痛がする。しばらくの沈黙。かなり遠くのほうで鳥がコケコーと鳴いた。赤いトサカで、羽毛が白いやつだろう。


「……聞かせろ」

「え?」

「おまえにとって、 サキはなんだ」


 これが最後の質問だといわんばかりに、おれは問うた。リンジは数秒の間を置いて——


「大切な人だ。きみを殺してでも。自分の命を投げてでも助けたい。そういう人だ」


 真剣な言葉を聞いてすぐ、口からため息が漏れた。それはお人好しの自分が顔を出した証拠だった。


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