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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
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ー2ー

パンを食べたいだけだった


「郵送なら純政府がやるのに、わざわざ徒歩で……、ご苦労なこと……」

「屋根のある職場で毎日おなじことをこなすのがどれだけ幸せか……」


 その先は聞きとれなかった。

 ようは、安定思考のご立派さを語っていた。


 それに対しての反論がないわけではない。ネシティにしかできない仕事があるし、それは常に、だれかに求められている。


 おれが生きていることが、ネシティが必要とされている証拠だ。この仕事がなければ野垂れ死んでいた。これしか能がないといっていい。ネシティである事実は変えられないし、変える気もない。あいつらの仕事を否定するつもりもないし、憧れもない。


 窓口に近づくと、担当者らしい男が引出しから書類を取り出した。まだなにも言っていないが、こちらのすがたを見ただけで次の仕事がわかったらしい。


「はい、換金ですね。ものはどちらです?」


 鎖帷子のショルダーバッグから巾着をひとつ取った。これがバッグから離れただけで、肩がすごく楽になった。


「では、そちらの計量機に載せてください」


 言われたとおり、カウンター脇の計量機に巾着を載せる。

 針は五キロとすこしのところで止まった。

 窓口の男は計量機の裏にまわった。両側に表示があるのだろう。

 ——にしてもこの機械、体重を測るものによく似ている。


「ええと……、五・二キログラムですね。たしかに計量いたしました。つづいて中身を確認しますので見せてください」


 巾着を計量機から離し、窓口のカウンターに置いた。おれが巾着の紐を解くと、窓口の男がなかを覗きこんだ。うなずいて、いったんその場から離れた。もどってきた男の手には、先端が緑色の棒が。


 それを袋のなかに挿して、数秒待つ——。

 水の温度を計るような動作で、彼が右手を持ち上げる。

 すると棒の先端は紫色に変化していた。


「はい、確認しました。紙喰いの死骸。白灰にちがいありませんね」

「なぁ……」おれはたずねる。「その棒、いつも見るが、どういう仕組みなんだ?」

「ああ、これですか?」男はめんどくさそうな顔で、「奇妙樹の葉を砕いて、すりつぶして、粉状にしたものを糊で固めているんです。奇妙樹のなかには紙喰いを遠ざけるものがあるのをご存知ですか? サンクラリスという種です」

「聞いたことはあるが……、どれがその樹なのかは知らない」

「ええ。でしょうね。西の地方に群生する種ですから、ここらへんには生えていません」冷たい口調だ。「ゆえに、あなたが知らないのは自然です。そもそも、ネシティは手紙を運んで、紙喰いを殺すだけですもんね」


 まるでそれ以外に能がないみたいにいう。

 ——まぁ、そのとおりなのだが。


「粉になるまで砕かれたサンクラリスの葉が、紙喰いの死骸に触れると変色するんです。それだけです。わかりました?」

「ああ……、よくわかった」


 ついでに、役場では余計な質問をしないほうが身のためだ、ということも。


 窓口の奥からメガネとストレートヘアの女性が現れた。彼女は見かねたような顔で、窓口の男の肩を叩いた。


「ちょっと。親切な対応ってもんがあるでしょう? その白灰からも、いくらか税金をもらってるんだから」

「あ、すいません……」


 様子を見るに、この女性は上司のようだ。


「わたしが引き継ぐから。あんた、街周電気柵の点検報告書類まとめといて」

「はい……」


 不服そうな男が奥に消える。窓口の相手が女性に替わった。いかにもインテリ、頭がよさそうな雰囲気を醸している。


「ごめんね、役場に来るといやな思いするでしょう?」


 カウンターに腕を置きながら、女性はちいさな声で話しかけてきた。


「まぁ、楽しくはないですけど……」

「全部、嫉妬なのよ。ネシティに対しての」

「……あすの命もわからない職に、どうして嫉妬する必要が?」

「まず賃金の差ねぇ。あなたたちの収入って、配達料だけじゃないのがほとんどでしょう?」  


 たしかに、たったいま副次的な収入を受け取ろうとしている。


「配達のついでに紙喰いを討つことができたら、その死骸——白灰を換金できる。それでもって、わたしたちの月給の三倍はもらってるのよ? 自覚ある?」


 自覚というか、役場の給料がそんなに安いのか、というおどろきが勝った。


「そっちの賃金のほうが、その……、思ってたよりも——」

「すくないでしょ?」女性は遮るように言った。

「気に障ったらすまない。だけど、純政府の管轄なのに、もっと待遇はよくならないのか?」

「軍人じゃないもの、わたしたちは」


 すくなくとも、重たい銃を持たされて筋肉をつけろと上官から怒鳴られることは、ないはずだ。もしも、役場か軍隊かどちらか選べといわれたら、おれは迷わず役場を選択する。——どっちも最悪だが。


「お給料が生活費でまるごと全部なくなる——なんてことは、ないけど。ひと桁多く貯金できたらラッキーよねぇ」


 しらっと言ってから女性はため息をつく。


「だからみんなね、すこしずつ貯金しながら、たまの贅沢を味わうの。いいもの食べたり、高いアクセサリーを買ったり。いずれ家がほしくなったら純政府のローンを組んだり」

「ローン?」

「あら、知らないの?」

「聞いたことがない」

「まぁ、ネシティには無縁か……。簡単にいうと、生涯をかけて払っていく借金よ」

「生涯? それなら命がけだ。ネシティと変わらない」


 おれがいうと、女性は顔を伏せて笑った。肩がぷるぷると震えている。

 大声で笑いたいのを我慢しているようだ。


「たしかにそうだわ、生涯ローンはある意味命をかけているかも」


 しかし笑いが収まると、女性は真剣な面持ちになった。


「一生、おなじ仕事をして、規則正しく健康でいて、白髪になっても働いて、ローン返済のために生きつづけなさい——。それができますか? と問われて、イエスと返せばローン生活が始まる。安定した人生のために、おのがほぼ一生を捧げる——。命をかけるってそういう意味ね」

「それでも、家が手に入る」

「まぁねぇ……。だけど、ふと玄関の前で考えたりするのよ。自分の人生、この家に全部吸い取られて終わるのかって。なんか、ちがうことしたいな、新しいことしたいな、って考えてもローンがあるから踏み出せない。守る家族ができたら、なおさらよ。新たな挑戦なんか、こわくてできない」


 だから、あちこちを放浪するネシティが自由に見えて仕方ない、しかも自分より給料がいいとくれば……。嫌悪を受けるのも無理はないのか。


「でも安定職は文字どおり安定している。おれは次の依頼で、ひと月以内にも死ぬかもしれない。でもあんたらは、むこう何年かは死ぬ心配がない」

「だといいけどね」


 女性は目を閉じて首をひねった。

 なにかに呆れているような仕草だ。


「人類に安定なんかない。最初から、ないのよ」


 遠い目には深い意味がこめられている気がしたが——ふと、窓口でこんなに話しこんでいいのか気になった。


「仕事中だろ? こんなに話して怒られないのか?」

「あら、いいのよ、ありがと」女性は軽く笑いながら、「わたしきょうでこの職場、辞めるから。みんなそれを知っているから、なんにも言わないの」

「そう……、なのか?」

「ええ。ローン大好き、ギャンブル大好き、借金大好きの夫と離婚して、新しい人生をはじめるの。楽しみで仕方ないわ」

「……結婚する前にわからなかったのか?」

「豹変ってやつ。男はね、女が躰を許すまで本性を隠すものよ。……許してもなお、か……。見抜けなかったわたしが、いちばんわるいんだけどね」


 セリフのわりには、すっきりした口調に聞こえた。夫との関係が終わるから、気分はわるくないのかもしれない。


 ——女性はカウンター下の引出しから地図を取り出した。


「じゃ、ここからは役場のお姉さんね。紙喰いの討伐地点を教えて」


 窓口に備えてあったペンを使って、地図に点を打った。


「はい……」女性は地図を確認して、「X座標三五六二——Y座標九八五——。タイプは?」

「鳥。大型だ。飛行能力はもちろんないが、足の爪がコンクリートを抉るほど硬い。あと咆哮がうるさい。下手をしたら鼓膜がやられる。動きは遅いから、討伐はむずかしくない。皮下脂肪が厚かったのか、刀身だけでは絶命できそうになかった。倒せたのは電撃のおかげだ」

 女性は別紙にペンを走らせる。「鳥……、大型……、咆哮大……、動き遅い……、電撃必須……」


 その後もなにか、長めの文章を書き終えると、ひと仕事終えた顔で女性は地図と書類を片付けた。とても慣れた手つきだ。


「じゃ、今回の換金ね。ちょっと待って」


 女性は近くの足元に置いてある金庫に近づいて、ダイヤルをひねった。厳重な金属箱のなかから、金の入った巾着を取り出す。じゃらじゃら、と小気味のいい音が耳に触れる。この音を聞くと、仕事を終えた感覚が胸に満ちる。


「おつかれさまでした。今後も、どうぞ命を大事に」


 そう言って女性は頭をさげた。ちょうど役場のチャイムが鳴った。終業の合図だろう。このタイミングも計算に入れていたのだろうか。


「あんたも……、おつかれさま」

「あら、退職を祝ってくれるの?」

「気持ちだけだが……」

「嬉しい。ありがと」


 すると、女性の背後に職員たちが集まり始めた。


「ナガノさん、一二年間、お疲れさまでした!」


 一〇数名の職員が一斉に声をあげる、と同時にクラッカーの音が連続で鳴った。場が拍手に包まれる。ケーキらしきものを持っている人もいる。


 不意のことで、ナガノはとてもおどろいていた。口を手で押さえ、涙を流す彼女を横目に見ながら、おれは役場をあとにした。


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