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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
それは、神でもなんでもない
18/41

ー5ー

それは、神でもなんでもない


 部屋の中をあらかた片付けて、ジェネレーターの電源をオフにする。ゴミは仕分けしたし、ベッドメイキングもした。いちばんボロいタオルを見繕って、拭けるところは拭いた。十分キレイになっているはず。


 来たときよりも美しく、だ。

 シェルター維持班の経験が生きている。


 金属製の階段を登り、重たいステンレスドアをスライドする。

 砂が煙のように舞い、強い日光に目が眩んだ。


 あたりは背の高い建物がすくないが、景色のどこをみても肌色の砂が積もっていた。風に運ばれて、相当量の砂が飛んできたらしい。ひと晩で景色は様変わりしていた。


「朽ち果てた廃墟。乾ききった街。そのすべてを飲みこむ黄砂の海。王国は、かつての繁栄と栄光を失っていた——」


 などという小説の一説が口からこぼれる。読んだ本がすくないから、いちいち覚えているものだ。


 外へ出て、鎖帷子のショルダーバッグを肩にかける。この中に、トモヤから元妻に宛てた手紙が入っている。それを届けるのが、いまの仕事。


 朝日を全身に浴びながら、いつもどおり気合を入れて歩きだすタイミング、なのだが……。


 背中から腕から首から全部が痛い。呼吸をすると胸がつっぱる感じがする。昨日の戦闘がこたえているらしい。


 足が元気なのが、まだ救いだ。もし紙喰いを見かけたとしても、こちらから追いかけるようなことは、しないほうがいい。コンディションはよくない。


 砂の積もる道をしばらく歩く。ときおり、廃墟の中に入って足を休ませる。季節は冬の入り口。それでも日光を常に浴びていては、肌が焼けてしまう。


 人がいる街から離れるほどに、廃墟の中は悲惨さを増していく。ガラクタや、ガラスの破片だけならいい。たまに人骨が転がっていたり。謎の血痕が壁や床に、べっとりと残っていたり。


 正午くらいになり、携帯保存食を食べるために入ったきょうの場所は最悪だった。


 もとはコンビニという建物だったようだ。店内はいたって普通の荒れ具合——荒れている時点で普通とは言わないかもしれないが——で、道中によく見る廃墟といった感じだ。


 空っぽの陳列棚が倒れており、冷蔵庫のガラス片が散乱していて、死んだ蛍光灯がケーブルに吊られて、天井でぶらぶらと遊んでいる。レジのドロアーは乱暴に開いていて、何年か前にだれかが盗みを働いたのか、と想像できる状態。店内のどこを見ても、ずっと時間が止まっているんだな、と思える。


 問題は店の奥だった。


 おそらく店員しか入れなかったのであろう一室のドアを開けた瞬間、かなりの悪臭と粉ぼこりが溢れ出てきた。


 興味本位でその部屋に近づいたことをすぐに後悔した。咳こみながら、スカーフを口まで上げて、なにも見ずにそこから去ろうとした。


 ——けれど気になってしまって、その部屋を半身で覗く。なにがどうしたら、ここまでの悪臭が成立するのか興味が湧いてしまった。


 白骨化した遺体があった。

 壁を背に座ったまま絶命したようだ。

 同時に、床に転がる瓶が目に入った。

 赤白のカプセルも十数粒散乱している。

 おそらく薬物による自殺だろう。

 流血はなさそうだ。


 ともあれ全体の状態がひどい。白だか緑だかのカビが綿状になり、部屋の隅々まで覆い尽くしていた。飲み捨てられた缶やペットボトルもカビだらけで、原型を把握することすらむずかしい。


 壁には大掛かりなラックがあり、ファイリングされた書類が何冊も積まれていた。床にも、数冊の書類が落ちている。何年も前の資料だ、人によっては垂涎すいえんものだろう。


 食らいつくように読みたい、と考える人もいるはず。しかし、この不浄極まりない部屋を漁る勇気があれば、の話だ……。たとえラックにあるのが小説だとしても、手に取りたいとは思えない。それほどに部屋の環境は劣悪だ。


 カビに大侵食された紙の山でも、紙喰いは喜んで口に入れるのだろうか。このドアを開けっぱなしにすると、いつかあの化け物はここにくる。


 きっといままでは、密室状態とカビの悪臭のおかげでごまかされ、紙たちは無事だったのだろう。


 よく見ると遺体のそばに、黄色のペンキ缶が転がっていた。シンナーっぽいにおいが悪臭に混じっていると思ったが、原因はそれだ。


 ペンキ缶から視線を上にやると、灰色のデスクがあり、パソコンという昔の機械が置いてあり、その画面に黄色いペンキで書かれた言葉——


《ひとのつみ》


「人の罪……?」


 ダイイングメッセージなのだろうが、言葉の背景が見えてこない。故人はなにを考え、なにを感じて、あれを死に際に遺したのか——。


 立ち去ろうとしたが、ふと気になったことがあった。おれはもう一度デスクの上を見た。木製のブロックで作られたカレンダーがあった。サイコロのように転がして、日付を合わせるタイプだ。


 26 05 14 木


 ブロックの数字と曜日はそうなっていた。


 たしか二〇二六年は、物資争奪戦争が各地で頻発していた時代のはず。


《——即時連絡手段がなにもかも使えなくなってからの一年間。個々人がひとまずの生活を確保するため、世界は荒れに荒れていた。平和と秩序を維持するための小規模コミュニティが各地で誕生した一方。どうせバレやしない、という名目で重ねられた犯罪の数々は計りしれず。それらを整え、管理し、健常維持してきたのが、純政府である——》


 ——と、純政府が配った教科書で読んだのは、覚えている。

 当時一二歳のおれはまったく興味がなかった。


 純政府という犯罪抑止力が世間に認知され、実力を発揮していくのは二一三〇年くらいからだ。


 キルラが発生してからの約一〇〇年間を、あいつらの義務教育はいつも無視している。そのあいだの政治や治安はどうなっていたのかを、まず教えろよ、と思ってしまう。


 純政府の義務教育はいつも自分たちがいかに偉大で強大なのかを語るばかりで、つまらなかった。俯瞰で見ると穴だらけの教育だ。まるで意味がない。洗脳の類にすら思える。実際、感化されて純政府軍に志願する人間はあとを絶たない。


 キルラのせいで世の中がどう崩れ、どう変わっていったのか……。その真実をつぶさに記した本に、いつか出会えたらいいが。


 なにかを封印するような心地でドアを閉めた。閉めた衝撃によってか、室内から、からん、と骨が転がる音がした。ガイコツの頭蓋が首から外れて落ちた光景を想像した。



 それからの二、三日はいつもどおりに歩程を進めることができた。風も静かになっていたし、空は常に快晴。


 道中に、紫の巨岩棘をいくつか見た。パープルに輝くクリスタルの塔——といえば聞こえはいい。だがその正体は、電波や通信のすべてをぶっ潰した、人類文明の天敵だ。


 現代人にとっては、あるのが当たり前のもの。あー、また見かけたな……、と思いながら横目に通りすぎるだけの、景色の一部。


 それよりも、このあいだの廃墟で見た、《ひとのつみ》という言葉がいつまでも頭にあった。二〇〇年前の人間が遺した言葉、というだけでも、かなりのインパクトだ。


 人など、罪にまみれているじゃないか、と思う部分はある。自分が生きるために動物を殺しているし。草花も迷いなくで刈り取っている。それにとどまらず、気に入らない人間を殺す者もいる。


 まるで自分が神であるかのように振る舞うやつなど、ごまんといる。自分は偉いんだから、なにをしても許されると思っているやつなど、数えきれない。


 人類はいまだに他人と地球を傷つけている。

 心は権力に踏み潰され、

 道徳は理屈によって無視される。

 キルラがある現代いまですら、そうだ。


 通信という利便性があった時代。

 文句も感謝も一瞬で他人に届けられた時代。

 その時代の人々は、どうしていたのだろう。

 言葉足らずだと自分でも思うが、率直な疑問だ。

 《《どうしていたのか》》。



 移動は四日目。

 きょうは雨が降っている。


 風はないが、足元の砂が湿っていて歩き心地はよくない。低気圧のせいか、首すじと後頭部が重たい感じがする。雨の日はだいたいコンディションが優れない。ひどいと頭痛もするが、いまはそこまでじゃない。


 きょう歩くのは建物のすくない地域だ。ヒビの入った道路と、たまに見かける錆びた車。ガソリンスタンドと呼ばれていた店の廃墟。ほかにもちらほらと建物はあるが、雨宿りはあまりできそうにない。


 天候に陰りがあると、ペンギンという鳥を空に見かけることがある。全長一メートル弱の鳥だ。黒と白の全身で、翼が胴体の二倍以上はある。


 かつては空を飛べず、主に海水の中を泳いでいたらしい。キルラの影響による遺伝子変化で、ペンギンは念願だった空を泳ぐことができるようになった。いつも雨の中を飛んでいるのは、やはり水は恋しいからか?


 ペンギンがもし紙喰いとしての進化を選んでいたなら、図体はデカくなり、容姿も奇怪で、体のどこかが刃物や鈍器の形に……。経験上、想像できてしまうから困ったものだ。


 もしかしたら、ペンギンの遺伝子はキルラに感謝をしているかもしれない。


《飛べる躰にしてくれて、ありがとう——》


 卵から生まれる生き物は例外なくキルラの影響を受けている。だが哺乳類はまったく変化がない。それもまた、不思議なものだ。


 人間にはこれ以上の進化は必要ない。

 そう、言われている気さえする。


 ——つまらない平坦な道を歩いているときでも、いまみたいに余計なことを考えていると、気が紛れる。


 アスレチックとして見れば楽しそうな廃墟があったら、迷わず立ち寄ったりもする。もちろん、厳守すべき時間に支障がない範囲で。


 歩くのが仕事だから、ほんとうに歩くだけだと、非常につまらない。だから、道中で自分なりの楽しみを見つける癖がついた。


 仕事を楽しもう、という言葉がある。

 だが、仕事それ自体が単体で楽しいわけがない。

 むしろ苦行である場合のほうが多いはずだ。


 仕事を楽しめるかどうかは、どんな状況でも遊び感覚を見出せるか、ではないだろうか。だから一見無駄と思える寄り道を、おれは楽しんでいる。


 廃墟の中を移動すれば、それだけで躰は余計に疲れる。が、平坦な道よりは面白みがあって、歩いたあとの気分がいい。立体駐車場だった場所なんかは、とくに面白い。いろんな車の上を跳ねて、飛んで……。まるでガキみたいだ。


 自分で考え、結論したところでだれの得にもならない脳内問答も、時間を忘れるには都合がいい。あーだろうか、こーだろうか、と考えるのは好きだ。


 体も遊んでいて、頭も遊んでいれば、時間が過ぎるのはあっというま。いい具合に、仕事をしている自覚が溶けていく。なんだか楽しいな、と感じていれば、足の疲れもさほど気にならなくなる。


 もとい人間は、遊ぶためにこの世に生まれた、と考えれば……、人生そのものが楽しくなるのかも。


 苦しむためだけに生まれる人間など、この世にはひとりもいないはず。大なり小なり、それぞれの幸せを感じるために生きている。そこは共通している。


 幸せを感じる権利はだれにでもある。

 幸せを奪う権利はだれにもない。

 他人の幸せを否定する権利もない。


 それでも、他者の幸せをつくる義務のようなものは、だれであれ背負っているような気がする。他人が苦手なおれですら、こうしてだれかのために手紙を運んでいる。身の危険を冒してまで、だ。


 ……そうこう考えながら歩いていると、時間はすぐに過ぎた。もう夕刻だ。きょう泊まるシェルターまで、あと五キロ。体力と時間には余裕がある。


 ひとりでいればいるほど元気になる、おかしな体質だ。このままだれにも会わずに、目的の街まで行ければ幸い。


 トモヤのいる街を出てから、まだ紙喰いを見ていない。それ自体はいいことだ。


 しかし妙な静けさに、ほんのりと不穏な空気を感じていた。



【翌日午前三時おそらく一〇分】


 最悪だ。昨日シェルターに着いたとき、こいつを殺しておけばよかった。いまおれのとなりで縄に縛られているこいつを。


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