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それは、神でもなんでもない
「……そんなこんなで、わたしいま、友達いないんだ」
「ひとりも?」
「うん。辛うじて友達と呼べてた子も、新しい友達と遊ぶようになった。学校行ってないと、自然とそうなっちゃうよね。セトみたいに、ネシティでもやってたらよかった」
「パン屋は……?」
「バイトみたいなもの。学校に行かないなら、店を手伝えって。お父さんが」
「そっか……」
時間が経ち、公園で遊ぶ子供がすこしずつ増えてきた。親が紙喰いの話ばかりしているから、飽きたのだろう。
「わたし、ほんとうにやりたいことって、ないんだ。パン屋も、やらないよりはいいからやってただけ。急に店主だっていわれても、実感なんかないよ……」
ミカが消沈するのと反比例するように、子供たちの遊び声は明るくなっていく。
「ないなら、見つければいい」
「見つかるかな。生きていくだけの仕事をしながら、自分のやりたいこと、探せるかな……」
簡単に言うべきではなかった、とすぐに後悔した。
「わるい……。軽く言ってしまった」
「いいんだよ。わたしの人生は、わたしの責任。セトはなにもわるくない」
今度の沈黙は、首がもたげそうなほど重かった。
どうにか次の言葉を探す——。
「まずは……、おれとアトラに行こう。もしかしたら、むこうでミカのやりたいことが見つかるかもしれない。だから——」
おれは左手の小指を、彼女の前に差し出した。
「生きて、また会おう。約束だ」
ミカは口を閉じたまま笑顔を作った。
眉毛がななめで、いまにも泣きだしそうだ。
「覚えたんだね、小指」
「それなりに、恥ずかしかったからな……」
「わたしこそ、友達いないのに、ばかにしてごめんね」
たがいの小指が絡み合った。昨日の指切りとは、まったくちがう感覚がした。とても重くて、温かくて、説明しずらい辛さがこみ上げてくる。
《離れたくない》
——まさか、おれがそんなことを考えるわけがない。
「こんなメンタルのわたしより、セトのほうがすぐ死んじゃいそう」
「まぁ、命をかけた仕事だからな……」
「死なないでね。それと、ありがとう」
「ああ。必ずもどってくる。ミカも、まずは自分のことを大事にしてくれ。ちゃんとご飯を食べて、よく寝て……。楽しいことを探して……。無茶をしないで、深く考えないように……」
「それ、そのままセトに言いたい」
さえぎるように言われた手前、返す言葉もなく、おれはただ顔を赤くした。
ここを発つ前にユヅキの店に行った。なにかあったら助けてくれるようにと、ユヅキに頼んだ。一緒に行ったミカも、自分だけじゃ不安だからと頭を下げた。
「あたりめぇだ、まかせろ、ご近所さんだから当然だろ、手伝えることがあったらなんでも言ってくれ、むこうの八百屋夫婦もきっと助けてくれる、といかセト、おまえちゃんと病院いったのか!?」と、ユヅキは矢継ぎ早に言った。案外、他人思いな性格なんだろうと思った。
ミカのことは、ひとまず安心だろう。
おれは自分の仕事をしなければ。
まずは役場に行って、これから発生する配達を申告した。いつもどおりに木札を受け取る。嫌味を言われる前に、そそくさと役場を離れる。
太陽がオレンジになる頃合いで、おれはトモヤの家に行った。やはりここは静かだ。街の中心から離れているだけある。玄関に立つと、家の脇からトモヤが顔を出した。ケガでもしたのか、包帯を巻いている指が二本ほど見えた。
「あ、きてくれたのか。ちょっと待っててくれ、いま取ってくる」
彼はすぐに家の中に消えた。もどってくると、三つ折りのA4が入るサイズの封筒を手にしていた。
「これが依頼物だ」
「わかった。料金は九ルキになる」
「ん? なんか安くないか?」
「……気にするな」
「といっても純政府に頼むよりは倍以上だよな。足元を見るよなぁ、ったく……」
毒づくのは想像していた。が、昨日ほどの勢いがなかった。目が死んでいるというか、なんか、妙にすっきりとしているような。
トモヤは作業着のポケットから金をわし掴んで、こちらに渡した。
「たしかに……」おれは金を財布にしまった。「なにもなければ、いまから一週間以内で届く。届けられた旨は純政府に伝わる。届いたことが証明される書状が、一ヶ月後ほどで郵送されるはずだ。それまで待っていてくれ」
「相変わらず、のんびりとしたスケジュールだな」
「それは純政府に言ってくれ。おれは——ネシティは最短と最善を尽くす」
「はぁ……」トモヤは急にため息をついた。「なんでもいい、さっさと行ってくれ」
小バエみたいに払われたのなら、さっさと仕事にとりかかるのみだ。
街の出口まで歩き、門番にネシティの免許証を見せる。背の高い鉄の門が開く。門は街周電気柵と繋がっているから、全部で四箇所ある。免許証を見せるのも四回だ。
二〇〇年前、この門があった場所は国道と呼ばれる道路だった。車を持っている人間なら、だれでもこの道路を使えたらしい。が、いまでは純政府の軍用車両が独占する道だ。純道という、ふざけた名がついている。そこを歩くには、ばかみたいに高い通行料を払わねばならない。いっかいの配達料を超えるかもしれない通行料を支払う理由はない。わざわざ整地された道を選ぶ理由も、おれには存在しない。
門を出てから道を逸れて、なるべくだれもいないほうへ歩く。建ち並ぶ廃墟に囲まれながら歩を進める。
視界に入るのは、砂と植物。ヒビの入ったビルの群れ。
太陽は強く光っている。快晴だ。
風が暴れる日だった。砂が舞うから、首に巻いているスカーフをマスクのようにして、バッグからゴーグルを出した。これがあるとないとでは、道中の快適さがまったくちがう。
きょうは早めにシェルターに入ることにした。夕刻の出発ということもあったからだ。あまり遠くまで行ってしまうと、深夜の暗闇でシェルターを探す羽目になってしまう。
簡単な天気柵に囲まれた、地下への入り口。スライド式のステンレスドアには、traveler shelter と黄色のペンキで字が塗られている。
入り口の近くには何本かの金属パイプが地下から顔を出している。あれは換気のためのものだ。キヅキはよく「メタルチンアナゴ」とか言っていた。その魚は、まだ見たことがない。
白い箱みたいなものは空調の室外機だ。砂が舞う時期と、気温の高い時期は、あれがよく壊れる。
でかいホチキス針みたいな取手を掴んで、ステンレスドアをスライドさせる。息を止めて、力を入れないと動いてくれなかった。ドアが劣化しているのか、こちらの腕力が足りないのか……。ともあれ中に入って、蓋を閉める。とたんになにも見えなくなった。
ステンレスの階段を手探りで降りる。暗闇の中へ沈んでいく。足音に反応するバッテリー式LEDライトが点灯した。光は発電用ジェネレーターの場所を教えてくれた。
このジェネレーターは特殊なものだ。カードスロットにネシティの免許証か、それに準ずるカードを挿しこまないと電源を入れることすらできない。これのおかげで、シェルターの利用者が限定される。
ネシティの免許証が金属製なのも、これを起動させるためらしい。機械内部の細かい仕組みは、よくわからないが……。
いつもどおりカードを挿しこむ。給油キャップのつまみをオンにする。エンジンスイッチを「運転」に合わせる。チョークレバーを始動に入れる。始動クリップを、エンジン音が走るまで引く。
こいつのメンテナンスは行き届いていたのか、エンジンはすぐにかかった。蹴ってやらないと始動しないジェネレーターも、たまにはある。
電気が点いて、四方がレンガ壁に囲まれた室内が露わになった。約八畳の一室、脱衣所つきのバスルーム。
トイレと風呂はおなじ場所にあった。ちょっと、がっかりした。
空調のスイッチを暖房に設定して、すぐにシャワーを浴びた。躰にまだ白灰が残っている。その気持ち悪さが洗われただけでも十分ありがたい。
熱めのシャワーをかぶって、脱衣所にもどった。天井と床にぴたりと張りつくつっぱりラックには、ごわごわのタオルが置いてあった。それで躰を拭くと、生乾きのにおい……。いつものことだ。
洗濯乾燥機はどこのシェルターにも常備されている。せめて服だけは洗って乾かせるように、ネシティ連会が置いてくれたものだ。が、なんの面白味もない地下空間において、その画期的なマシンはかなり浮いている。
ドラム式というらしいそれのドアは半透明で、巨大な目玉みたいだ。しゃがんでドアを開け、使ったタオルを投げこみ、着ていた服と一緒に洗っておく。三年くらい着ている避電インナーが古くなってきたから、そろそろ替えどきか。
部屋にもどると、いつもの光景。
薄いマットレスのパイプベッド。
空っぽのデスク、固そうな木製の椅子。
そこだけ見ると刑務所みたいだ。
視線をずらせば、木製の四段ラックがある。
簡単な部屋着と、替えの毛布が用意されている。
使い捨ての歯ブラシやボディスポンジ。個包装のボディソープやシャンプー。缶詰や干し肉などの保存食も、ラックにはある。二週間は住んでいられそうな備品には、いつも感謝している。
月に一度、ここの管理費として、ネシティたちはそれなりの金を連会に落としている。それに見合っただけのサービスは、たしかにある。
ただ、掃除される頻度によっては、人が使ったあとだったりもする。その場合は、他人のゴミが山と積まれていて、気分がわるい。
ゴミ箱いっぱいのビニールごみや、山と積まれた空き缶。バスルームの排水溝に貯まった毛——考えるだけで最悪だ。ホテルならまずありえない。が、シェルターだから文句は言えない。
幸い今回の宿泊は、前回の宿泊からあいだが空いていたようだ。使用感はない。掃除されてから使用するのは、おれが最初だろう。
ネシティ連会に所属するシェルター維持班は、配達業を引退したOBとこれから仕事を覚える新人の組み合わせで行動する。多くの場合は、三人一組でシェルターをまわり、掃除と設備の点検をする。
おれも新人のころは配達の道を覚える意味も兼ねて、維持班を経験した。ネシティのだれしもが通る道だが、二度ともどりたくないのが本音だ。
純政府軍しか使わない純道をぼろぼろの軽トラックで移動し、停まった場所からベッドの部品やらなんやらをリヤカーで運ぶ……。
純政府に提出した交通使用許可が受理されるまで三日もかかった、とグチる運転手に適当なあいずちを打ちながらの旅が、いまとなっては懐かしい。
(おれにとっては、だれかと何日も行動をともにするのがすでに最悪の状況だったが……)
純政府が管理する道路を使うには、それだけでとんでもない使用料が飛ぶ。無許可で歩くことすらままならない。過去には高速道路という有料の道があったらしいが、それよりもはるかに高額だろう。
しかも、どういうわけか車を使っての手紙の大量輸送は法律で禁止されている。それが許されてしまうと、定期連送便による手紙の配達は、まず使われなくなる。やつらがそれを危惧している、というのはネシティ界隈のみならず、一般大衆にとっても有名だ。
配達に自由を——と書かれたプラカードを掲げるデモ集団を街で見たことは何度もある。
法律は、えてして庶民のためではなく、一部の上流階級のために存在する。そんな、人間の汚さを自ずと感じてしまう。これだから政府なんてものは信用できない。
——くだらない思考を、天井に吐いたため息に混ぜて、あとは考えないようにした。いまは休むとき。
きょうもベッドの硬さは変わらない。
肩がかゆくなる部屋着の着心地も、いつもどおり。
躰はひどく疲れていた。
目を閉じれば三秒で眠れそうだ。
木製の天井には複数のフィルターつき換気口が設けられていて、そのどれかがぱたん、ぱたん、と音を鳴らしていた。外の風がメタルチンアナゴにちょっかいを出しているのだろう。あしたもこの風なら、少々困るが。
「約束……」
小指を立てた片手を天井に伸ばす。
ミカの顔がよぎる。
心臓が早くなる。
変な感覚。
「あいつ、大丈夫かな……」
つぶやいて、片手をすとん、とベッドに落とした。
ただ心配しているだけのようで、それともちがう。
考えると苦しいのは、彼女に起こった悲劇のせいで。
心臓が早くなるのは、紙喰いとの闘いを思い出すからで。
胸の前にある空っぽの空間を埋めたい感覚がするのは——説明ができない。
彼女がまた笑顔になって、もう大丈夫になって、二度と会わなくてもよくななれば、この違和感は拭えるはずだ。
「……寝るか」
いまは躰を休めることにした。