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それは、神でもなんでもない
「盗み聞きの趣味あったとはな。見損なったぞ」
「やべ……」ユヅキが両手を広げて、こちらに顔を見せた。「わ、わりぃ。さっきセトが店に入ったのを見て、もしやと思ってさ……。だけど、雰囲気的に、入りずらくてよ……」
そしてユヅキは遺体を目の当たりにした。こっちの会話を盗んでいたのなら、想像はついただろう。それでも実際に見ると衝撃は強いはず。
「うそだろ、おやっさん……。このあいだ新聞買ってったばっかじゃねぇか……」
「ユヅキ、ミカを手伝えないか?」
「あ、ああ……。おれでいいなら……。嬢ちゃんは迷惑じゃねぇか?」
「そんな、迷惑だなんて」ミカは呼吸を整えつつ、「正直、ひとりじゃどうしようもできない気がしてて……。助けてくれるなら、ありがたいです」
「お、おう。こっちも商売している場合じゃなくなっちまったし……。それなら、あれだ。まずは純政府の鑑識を呼ばないとならねぇ。おれ、ちょっと外で適当に捕まえてくるわ」
人の遺体があれば、その状況を純政府に伝えなければならない。原因が精査され、他殺や自殺の可能性が評価され、正式に死亡届けが出される。まずは、それをしないことには葬儀まで進まない。死を隠せば、それだけで犯罪者の仲間入りだ。
時間は午後の二時おそらく三〇分になった。ユヅキの手際に助けられ、ミカの父親の死亡はすぐに受理された。純政府の警ら隊と、鑑識。そして医師が駆けつける事態となり、他殺や紙喰いの一件とも混ぜつつ、死因は探られた。
まず断言したのは医師だった。動脈硬化を起因とする心筋梗塞。さらに辿ると、その根源たる原因は肥満であろう、と。
死亡推定時刻を考えても、紙喰いの一件との関連性は極めて低い。ただ単にミカの父——カズマサさんが突発的に死亡した可能性がもっとも高い、というのが現場の満場一致だった。
おれとユヅキも、しばらくはミカやカズマサさんとの関係性を問われたが、その質問もすぐに終わった。ショルダーバッグの中に残っていた一個のパンが、警ら隊との会話を早く終わらせてくれた。
遺体はそのまま自宅に保管され、あすにでも葬儀を執り行う運びになった。ミカの負担を考慮して、なるべく早く火葬まで済ませたほうがいい、というユヅキの判断によるものだ。ミカも、なるべくなら父親の遺体を見ていたくないと言った。
夕刻にトモヤと会う約束があった。そのため、もうすぐパン屋を離れなければならない。だが、ミカがすこし話したいと言った。カズマサさんに関することもひとまずは落ち着いたので、休憩がてら公園に行くことにした。
街の人たちも何人かもどっていた。三人ほどの婦人が集まって立ち話をしていたり、軍人になにか相談している家族連れのすがたもある。
まず砂を払ってから、ひとり分の隙間を作りつつ、おれとミカはベンチに座った。
「さっきは……、ごめん」ミカが言った。
「おれこそごめん、怒鳴ったりして……。あと、突き倒したことも……」
「わたしが剣を持ったからだよ。でも、おかげで目が覚めた」
ミカは肩を震わせながら、深呼吸をした。
「……ほんとうにひとりになってしまった、と思ったの。お母さんはたしかに生きているけれど。自分が生きていくって意味では、ひとりでなにもかもやっていかないといけないんだ、って……」
いま、ミカが抱えている孤独感を、おれも感じたことがあるはずだ。たぶん、赤子のときに。
「セトは家族、いないの?」
「家族みたいなやつはいるけど。けっきょく他人だ。おまえはひとりで生きていくんだ、って、キヅキにはずっと言われていた」
「その、キヅキって人。赤ちゃんだったセトを助けてくれたの?」
「そうらしい。おれは覚えてないけど」
「そっか……。もし、そのキヅキさんが助けてくれなかったら、セトはいまここにもいなかったんだね」
「そうだな……。体中に毒がまわって死んでた。キヅキが処置してくれたから、足を一本失うだけで済んだ」
するとミカは、おれの左足をじっと見はじめた。
「その義足……。会ったときからなんかすごそうって思ってたけど……。どうなってるの?」
おれはマントをはぐって、義足を見せた。
「中に跳躍機構があって……。このトリガーがあるだろ? これを引くと、義足の中で爆発が起こって、ピストンが動く。足が、なんていうか、びょん、って伸びて、それで飛べるんだ。あ、それにも回数があって……」
義足の側面にあるスライドスイッチを操作して、ロックを外す。湾曲した一枚板の金属蓋が開いて、中から回転式弾倉が顔を見せた。リボルバー拳銃の弾倉と、まったくおなじ見た目をしている。
「全部で八発。だから八回飛べる。昨晩、ホテルで補充したけど、さっきの闘いで何発か使ったから……。ちょっと補充しとく……」
空の薬莢を排出して、ショルダーバッグのポケットに放りこんだ。いつもゴミを入れるだけのポケットだから、そこだけ真っ黒に汚れている。
すぐに代わりの弾薬をバッグから取り出し、弾倉に詰めていく。その様子を、ミカは真剣に見ていた。
「すごいね、セト。なんか、スーパーヒーローみたい」
「んなわけない」
「実際、紙喰いを倒しちゃったんでしょ? せっかくなら、その様子を見てたらよかったな……」
「危ないから、見なくていい」
「でも、見たかった」
「……なら、おれはミカがパンを焼くのを見たい」
「危ないから、見なくていい」
「危ない? 火傷か?」
答えるとミカは笑った。すこし嗚咽がひっかかったような、ぎこちない笑だったが、笑顔は笑顔だった。
「セトのまねしたの。パン作りの工程なんて見てても、危なくないよ」
「そう……、か」
「セトってほんとうに真面目なんだね。真面目すぎて心配になるくらい」
それはユヅキにも言われた。
「でもね。わたし、嬉しかった。一回は店を出たセトが、すぐにもどってきて。アトラに行く約束をしてくれた。あのときのセトは……、なんていうか、普通の男の子だった」
「それまでは?」
「うーん……。冷たい、ただのネシティ」
そう言われると、どうも申し訳ないというか。
妙に反論したくなる心地もある。
「おれにだって、心はある」
「知ってる。心のない人なんていないよ。隠しているか、汚れきっているか——。この人、心がないなぁと思っても、だいたいどっちかだよ」
「そのふたつなら、おれは……?」
「セトは、どっちでもない」
いま話しているのは、普段のおれが興味を持つような話題ではない。けれど、ミカが次に言う言葉が気になって心臓がすこし早くなった。自分自身が評価される瞬間だから、だろうか。
「セトは……、隠れているわけでも、汚れているわけでもない。いばらみたいなのがぐるぐる巻きついていて、だれも触れない。あなた自身ですら、触れることができずにいる。——そんな感じかな」
そう言われてしまうと、まるで図星を突かれたようだ。
「そう……、かもしれない」
「わたしの想像だよ? 気にしないでね」
「自分をごまかすつもりはない。でも、他人を受け入れるのが苦手だ……」
するとミカは空を見上げて、大きく呼吸をした。
「受け入れなきゃ、いけない?」
「え……?」
「セトは、他人を拒む自分に罪悪感がある?」
どう答えたものか。
沈黙してしまう。
「わたしは他人を拒んでいるわけじゃない。けれど、拒まれてしまった側なの。ちいさいときに病気がちで、学校をいつも休んでた。いつのまにか、わたしの病気が感染るって、変なうわさがたっちゃって。ただの低血圧と、喘息で倒れていただけなのに」
こちらにも似たような経験があった。
「おれも、片足のせいで散々いじめられた……。その度に、キヅキから言われた言葉がある」
「ん? どんな?」
「えと……。なんだったか、忘れた」
「そこは忘れないでよ」ツッコミが入った。
ほんとうはしっかりと覚えていた。
でも、いま口にするのは、どうも恥ずかしいと思ってしまった。
幼少期の思い出は悲惨なものだ。数人の男子に棒で叩かれ、両手で突き飛ばされ、罵られ、追いかけてこいと言われても、おれは追いつけない。義足のせいで歩き方がおかしく、ばかにされる。そんなおれに、キヅキは言った。
《——つらいと思うほど、悔しいと思うほど、自分を鍛えるしかねぇ。いまは恨みでいっぱいだろうが、絶対に他人をおとしめようとするな。あいつらとおなじ穴のムジナになっちまったおまえは見たくねぇ。
昨日の自分とだけ勝負しろ。
努力するやつは輝く。
輝けば、闇は勝手に晴れていく——》
これをいま、ミカに言ったところでどうなるのか、とも思った。彼女は彼女なりに、自分を支えながらきょうまで生きてきたはずだ。余計なお世話な気がして……。
ミカは足をぶらぶら動かしながら、話をつづける。
「病気を説明しても、理解されなかった。感染るものだって先入観が、子供たちには強烈だったみたい。それ以来、わたしも心が折れてしまって……」
「なんでも調べられるインターネットでもあれば、そいつらも賢く理解できたかもしれないのにな」
「かもね。一回でいいから使ってみたいな、インターネット」
ミカは薄く笑った。