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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
それは、神でもなんでもない
14/41

ー1ー

それは、神でもなんでもない


 呼吸をすると、すぐに気道が粉まみれになった。咳きこみ、口の中に溜まった白灰を吐き出した。躰を起こす。服の中まで粉が入っている。全身が最悪だ。


「セト!」ユヅキが駆け寄ってくる。「おい、大丈夫か?」


 とてもじゃないが返事を返せる状態じゃない。もう一度咳きこんで、躰を起こそうとした。するとユヅキは手を差し伸べてくれた。それを握る。腕の力を借りて、その場に立った。肩から頭から、白い粉が落ちていく。いまの自分を鏡で見たら笑えるはずだ。


 実際、ユヅキはけらけらと笑っている。


「なんだそのざまは、顔までまっしろじゃねぇか。お笑い芸人じゃないんだぜ」

「こっちだって、笑わせるつもりじゃない」


 しばらく腹を抱え、笑いつづけるユヅキから察するに相当にひどい見た目になっているようだ。


「ああもう、最悪だ……」

「怪我はないのか?」

「背中が痛い。あと、腕に力が入らない」

「そうか」ユヅキはおれのまわりを一周して、全身を観察した。「血は出てねぇみたいだぜ。捻挫とか骨折の可能性もあるから、一度この街の医者に診てもらったほうがいい」


 たしかにそのとおりだが、夕刻に予定がある。間に合うだろうか。


「しっかし」ユヅキは両手を腰に当てて、山と積もる白灰をまじまじと見た。「——よくやったな、セト。さすがだぜ」

「それを最初に言ってくれ……」


 まずはここから離れないことには、なにもはじまらない。ユヅキの肩を借りる格好で、歩きだそうとする。


 しかし偉そうな軍人が近づいてきた。たしか、戦車から指示を出していた者だ。取り巻きみたいな隊員も数名、そのうしろで横列おうれつを作っている。


「まずは、討伐ご苦労。身を挺しての活躍を評価する」


 手をうしろに組んで、軍人は言った。顎ひげがもみあげまで繋がっている。


「おいおい」ユヅキは呆れた顔で、「なんだって上からものを言われなきゃならねぇ? セトがいなきゃ、紙喰いは倒せなかっただろうが」

「まだ第二小隊、第三小隊が到着していない。純政府の戦力をもってすれば、紙喰いの討伐などわけがない。今回、我々の部隊には適応する兵器がなかっただけである」

「へぇ、そうですか」


 ユヅキは食ってかかるつもりだ。おれを肩から離し、啖呵を切った。


「そんじゃ、第二小隊が来るまで何分かかる? こちらの連絡が届くまで数十分、到着までさらに数十分。第三小隊は何時間後だ? そのあいだに街はどれだけ壊れていく? 避難の範囲も拡大するだろうに。偉そうに言える口か? あ?」


 軍人は平気な顔で聞き流している。


「街などとるに足らん。世間はすべて純政府でまわっている。市民は、政府に納税するための家畜にすぎん。家畜が少々減ったとて、増えれば問題ない」

「あんた、それを本気で言ってんのか?」

「我々は常に本気だ」

「その本気をもってしても、紙喰いの一匹仕留められなかったろうが!」

「第一小隊など、将棋でいう歩兵。弱いからこそ役に立つ。そういうものだ」


 この顎ひげには、なにを言っても無駄だ——。この場の全員がそう思っただろう。純政府の隊員たちですら眉をひそめている。


「見苦しいですよ。軍曹」


 すがたは見えないが、女の声がした。とたん、ユヅキの顔が一気に鋭くなった。


「カナデ……」


 ユヅキは一歩退がった。軍曹も彼女を見るなり態度を一変させた。背筋を棒のように伸ばして敬礼をする。しかしほかの隊員は全員、だれが来たのか把握しきれていない様子だ。ぽかん、とし、なんならその妖艶な容姿に見惚れている。


「こ、こら、おまえら! 特務工作員さまだぞ……!」


 絞るような声で軍曹が言うと、隊員たちは慌てて道を作った。さながら人間による花道だ。ヒールをこつこつと鳴らし、お高そうな女性が、むさい男たちのあいだを歩いてくる。


 黒のコートに、赤いヒール。ガーリーハットの広いつばが薔薇の花みたいだ。帽子のおかげで目は見えない。艶めくくちびるの動きだけで、彼女の感情を読まなければならない。


「あなた、士官でもないのに、なにを偉そうにしているのでしょう?」


 カナデは軍曹の前で止まった。


「え、あ、は……」

「市民は家畜、と言いました?」

「そ、そのような失言は……」軍曹は緊張を隠せない。

「あら、空耳だったかしら」


 紅いくちびるの端が、ほんのすこし持ち上がる。


「ねぇあなた」近くにいた隊員のひとりにカナデは声をかけた。「この下士官は、市民を家畜と表現しましたか?」


 問われた隊員は首をひきつらせて、視線をすこし上げた。


「は……!」片足と片手を人形のようにぎこちなく動かし、敬礼をする。「たしかに軍曹どのは! 市民を家畜と申しました!」

「そうですか」カナデは横に歩きつつ、「では、あなたは聞きましたか?」


 別の隊員にもたずねる。


「はい! 右におなじく! 軍曹どのは市民を愚弄する言葉を放ちました!」

「おい、おまえら……!」軍曹は鬼の形相だ。こみ上げる怒りをどうにか噛み潰している。

「そうですか。わかりました」


 カナデは軍曹に近寄った。帽子のつばを持ち上げ、妙な笑顔を浮かべる。切長で、はっきりとした目は美人の部類だろう。


「これ、お借りしますね」カナデは軍曹の胸で輝くバッジを外した。

「あ、そ、それは……!」軍曹の顔が青くなった。

「さて、だれにしましょう」


 カナデは隊員たちの顔を一人ひとり、順に覗いていく。緊張している面持ちで、彼らは首筋をこわばらせる。


「そうですねぇ。あなたがよさそうです」


 並んでいる隊員の中で、もっとも体格がいい者を選んだ。カナデは先ほどのバッジをそいつの胸に噛ませた。星とリボンのマークが、きらりと光る。


「あなたはきょうから軍曹です。そして、バッジを持っていたおじさんは、きょうから二等兵です」

「は……!?」元軍曹は顔を真っ青にして、「そ、そんな冗談がまかりとおるわけがない! お、おいおまえ、すぐに、ば、バッジを返せ……! それがないと、おれは……!」


 焦り、よだれを垂らしながら、元軍曹はひどい姿勢と歩きざまで、バッジを乞うた。まるで墓から蘇った死体みたいに。


「見苦しい……」


 カナデはコートの懐に手を入れた。拳銃を取り出す。黒鉄の銃口を元軍曹の額に押しつける。


 銃声がひとつ。

 元軍曹は腰をぬかして、尻もちをついた。

 生きている。

 血は流れていない。


 軍帽には穴が空いている。これみよがしだった星のマークがまる焦げだ。風に運ばれたのは薬莢のにおいか。鼻の奥がつんとしみる。


「空砲?」ユヅキが言う。

「まずは警告をするために初弾を空砲にしているのです。死ななくてよかったですね、元軍曹」


 カナデは言った。


「は、は、ははは! それはすばらしい! おかげで即死を免れました!」


 元軍曹の笑顔は恐怖でいっぱい。

 ふう、と息をついて、カナデは銃をしまった。


「では、きょう軍曹になった方。この方を人民侮辱罪で立件してください。処置は、《《おまかせします》》」


 カナデは強調するように言った。

 ——その内訳はすぐに理解できた。


「あ、あんた、いままでおれたちを散々こき使いやがったよな……、ゴミムシみたいな扱いしてよ……! おいみんな! 好きにしていいぞ! こちら、元軍曹さまは人民侮辱罪の罰を受けなければならない!」


 堰を切ったようだった。隊員たちは元軍曹にむらがり、蹴る、唾を吐く、馬乗りで殴る、ライフルのストックで突く……。それはもう見ていられないものだった。


 おれは目をそらした。

 するとカナデが歩み寄ってきた。


「いまのあなたのすがたも、見るに耐えないものですね。全身粉だらけ。勝者のわりには、無様だと思いますけど」

「あいつほどじゃない……」

「ええ。それもそうですね」

「なにしに来た」ユヅキが言った。

「見に来ただけです」

「それだけか?」

「ええ。いまは」

「いまは?」

「はい。街周電気柵に繋がる地下常設大型ジェネレーターを停止させた犯人を探していたのですが。ずいぶん巧妙な犯行だったようです。種々の痕跡が最小限にとどまっていました。個人を特定するのは不可能と判断し、捜索を中断——。紙喰いと皆さまの闘いを観賞することにしました。暇になったので」


 つまり紙喰いの侵入は、だれかが画策したものなのか?


「ずいぶん、お気楽な捜査官だな」ユヅキが言う。

「お気楽のほうがいいですよ。ストレスは躰に毒です」

「電気柵は、だれかに止められたってことなのか?」おれは言った。

「でしょうね。ちょうど、この区画を守る電気柵が停止されていました。紙喰いは強い電気に、自ら近寄らない——。獣が火を避けるのと、おなじく。だからこそ街は、四層構造の電気柵に守られていたわけですが。この区画の電気柵だけが停止した。バームクーヘンをカットしたみたいに。地下道への入り口も、なにか工具のようなものでこじ開けられていた。ジェネレーターも、このケーブルを切ればいい、というピンポイントが切断されていた。犯行の時間を節約するのが上手な人みたいですね」


 抑揚のない口調でカナデは言う。そして——


「心当たりはありませんか?」

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