ー13ー
パンを食べたいだけだった
「部隊のやつってだれです?」
「名前はわからない、おれがネシティだから、協力するように言われたんだ」
「えぇ……」メガネのぼんやり隊員はすこし悩んだ。「まぁ、いいですよぉ。このままってわけにもいかないでしょうし……」
「すまない、頼らせてもらう」
「それで、どうしたらいいんです?」
うまくいってくれ、成功してくれ、と内心に強くねがいながら隊員に作戦を説明をした。
「——あなたを撃てばいいんです?」
「そうだ。射出と放電は、合図まで待ってくれ」
「合図って?」
「左手を挙げる。それで撃ってくれ。右手を挙げたら放電。電槍の巻き取りは、おれがあいつから離れたらすぐにしてくれ。そこは合図に関係なく、やってほしい」
「左手で射出……。右手で放電……。あなたが紙喰いから離れたら、合図がなくとも巻き取り……。なんだかややこしいですが了解しましたぁ。ああ、ぼくは視力が弱いので、射撃は別の隊員にまかせます」
どう会話をしようと、この男から安心を得られることはなさそうだ。作戦がスムーズに進むことを祈るしかなかった。
ハッチは閉じられ、戦車は進む。おれはひとまず車体の上に乗ったまま、心拍の上昇を感じていた。
大通りに出て、左へ旋回。
紙喰いの背後。
距離は三〇メートルほど。
キャタピラが地面に跡をつくる。
じりじりと近づく。
搭載されている電槍の尖端は、魚を突くモリに似ている。逆三角形の刃をふたつ重ねたような形になっている。
射出された槍は有線(ホースリール式)で戦車に繋がっている。標的に刺さってから、車内でなんらかの操作をすると、高電圧をお見舞いできる仕掛け——のはずだ。車内を詳しく見たことがないから断言はできないが、紙喰いに対抗する兵器の大半は、刺してから電撃を浴びせるのが一般的だ。
メガネの隊員に放電の話をしたときも、会話の流れがスムーズだった。放電の機能はまちがいなくある。その電圧が、やつを絶命させられるものであってほしいが……。
機を見て、おれはハッチを叩いた。
「行くぞ! 頼む!」
「了」車内からこもった返事が聞こえた。
幸い、紙喰いは正面に展開する部隊に気を取られていた。こちらはキレイに背後をとったかたちになる。おれはまっすぐに相手を目指し、全力疾走をする。
でたらめな銃撃は止まない。流れ弾がこっちに当たらないか不安だ。しかし全部隊に指図している時間などなかった。純政府がおれの指図を受けつけるとも思えなかった。しかし——
「おい! むこうに民間人がいる! 撃つのをやめろ!」
ユヅキが叫んだ。気が利く。
銃撃の嵐がいったん止んだ。
相手に届く距離になり、ここぞとトリガーを引く。
義足から破裂音。
ふくらはぎの排気口が息をつく。
風の音。
鳥のように高く、速く。
そして落ちる。
紙喰いの頭に着地したが、その滑らかさにおどろいた。足が滑るほど平坦な金属質。当然だが、相手が生き物である以上は常に動いている。
「ほらよ! エサだ!」
おれはショルダーバッグから取り出した本を、紙喰いの前方に投げた。
ユヅキにもらったやつだ。
惜しいが、しかたない。
紙喰いは息を荒くして、目の前に落ちた、ちいさなちいさな、こいつの巨体からしたら豆つぶのようなエサに食らいついた。すこしうつむいた頭の上で、おれはバランスを保とうとする。大丈夫、落ちるほどの角度ではない。
気味のわるい口から、赤く長い舌を伸ばし、その舌からさらに細い舌が段階的に生えて、砂まみれの本にからみつき、まるでロープを電動で巻きもどすように舌は口のなかへと消えていく——
光悦の声が、気味のわるい声が本の内容を読み鳴らしていく。
文字数が多いせいか、読む声は幾重にも重なっていく。
早口の坊さんが何人もいて、別々の経を同時に読んでいるかのようだ。
紙喰いの全身が白く変わる。
無数の黒文字が躰じゅうを駆けめぐる。
この文字を本のまま、読みたかった——
雑念をすぐに消して、おれは左手を挙げた。
独特の射出音が遠くから鳴った。ケーブルを鞭のようにはためかせ、すさまじい風切り音を纏いながら、電槍は軽い放物線でこちらへ飛んでくる。
目を凝らす。
着弾点を読む。
瞬間を待って、身をかわす。
——重厚な金属音。
振動。
肋骨の圧迫感。
服が裂けるほどの摩擦。
腕がもげそうな衝撃。
耐えきれず、躰が倒れる。
しかしケーブルを掴むことはできた。直径四〇センチほどの太いケーブルを脇の下で抱えることができた。
動け。
立て。
衝撃に怯んでいる暇はない。
急げ。
こいつが本のすべてを読み切って、ふたたび動きだす前に。
両腕の腕力をすべて使って、ケーブルの尖端《電槍》を、紙喰いの目玉に刺す。黒水晶のようなやつの大目玉は思ったよりも柔らかかった。おれの腕力だけでも、槍の刃は半分ほど埋まった。さすがに、相手は無反応ではいられない。
凄まじい足場のゆれ。
耳が壊れそうな咆哮。
まだだ。
刺した槍の刃元を義足で強く踏む。
左手でトリガーを引く。
破裂音。
排気のにおい。
血の味。くちびるを噛んでしまった。よほど焦っている自分に気づく。
それでも人力を超えた脚力で蹴られた槍は、眼球のさらに深くまで沈んでくれた。刃の部分が丸ごと眼の中に入った。そこからケーブルが伸びているようにすら見える。
激痛に悶える紙喰いは頭を左右に振り——
「セト、危ねぇ!」
ユヅキの声が聞こえた。
同時に察する危険。
紙喰いの下半身が大きく反り返った。ぐわりと持ち上げられたハンマー型の尻尾は、あろうことかそいつ自身の頭部に向かって振り下ろされた。それくらいに、頭の上にいるおれが気に食わなかったらしい。
すぐにトリガーを引いた。横に飛んで、大ぶりのハンマーを避ける。
きょういちばんの金属音が鳴った。
うちわ型の頭部に大きな亀裂が入った。
砕け散るまでは、いかない。
ケーブルは——無事だ。いまの一撃でちぎれていたら、と肝が冷えた。むしろ槍がさらに奥深くまで刺さった感すらある。やつの尻尾が斧じゃなくてよかった。
おれが地上に降りて三秒後。
戦車はぎゅるぎゅると機関を鳴らし、
ケーブルを力強く巻き取っていく。
釣り糸の要領でひっぱられ、紙喰いの全身はみるみるうしろに反った。鱗がひとつもない腹が丸見えになった。八本の足がうねうねと波打つようにうごめいている。大袈裟な腹芸を見ている気分だ。こいつの全身はまだ白くて、まだ文字が流れている。
本の内容を読む紙喰いの《《どす低い声》》がずっと、みぞおちをゆらしてくる。重なる声、重なる声、重なる声——気が狂いそうになる!
遠くを見ると、純政府の隊員たちは銃を置いて耳をふさいでいた。うずくまって胃液を落としている者も見えた。
おれは右手を挙げた。電槍は放電を開始。バリ! と聞いたこともないような音がした。高電圧を受けた紙喰いは全身を痙攣させる。だが、それだけで倒れる保証はない。ここで終わってくれたら、とねがう自分がいる……。
そのうちに戦車のほうがオーバーヒートを起こした。ハッチからメガネの男がすがたを見せて、両腕で大きなバツを作っている。ダメだ、これ以上は——そう言っているのがわかる。
ケーブルから伝わる電撃はみるみる弱まっていく。
やつは生きている。
まだ足りない——
なら、どうする。
状況によって最適の行動。
先に動いたのはユヅキだった。
「ここでやらないわけに、いかねぇだろ!」
槍投げとおなじ方法でユヅキは剣を投げる。
紙喰いの胸の中心に、剣は深々と刺さった。
地上から六メートルはあろう高さに突き刺さったそれは、おれにとっては絶好のホールド(ウォールクライムなどで掴む突起物の名称)だった。
ダメ押しでユヅキは腰の電極グレネードを投げつける。
紙喰いの腹に当たり、破裂し、高電圧が皮膚を貫く。
動きだそうとしていた紙喰いの動きが、いま一度にぶくなった。
「セト!」
「わかってる!」
右手で剣を抜く。
すかさず紙喰いの正面に移動。
駆けながら左手のトリガーを引く。
飛ぶ。
なにもせずに落ちたら、大怪我は避けられない高さ。
ユヅキの剣、高級そうな柄を掴む、横向きで刺さっていた、まずは片手でぶらさがる。
次に、逆手に持った自分の剣を突き立てる。
腕力だけで躰を持ち上げ、足裏を相手に当てて体勢を決める。
そして祈った。
この部分が、
この場所が、
ユヅキが狙って刺したここが、こいつの弱点であれと。
思わず声が漏れるほど、両腕が激痛を訴えた。腕の筋組織がちぎれる感じがする。さっき電槍のケーブルを持ち上げるのに、かなり力を使ってしまったらしい。自分の筋力のなさを恨んだ。
しかし、キヅキにもっと食えと言われつづけた体重の軽さに、どうにか救われそうだ。あと一〇キロ重かったら、おれはここで落ちていただろう。
剣、二本分のアクセルレバーをたしかに握った。
健に力をこめる。
柄に備えられた超小型エンジンが唸る。
手首に排気熱が伝わる。
おかしな握り方をしているから、火傷しても言い訳はできない。
ほとばしる電撃の音。二刀流だから、音も倍だ。
漂うガソリンのにおい。
連続して鳴る、湿った破裂音。
血が溢れる。
肉の焦げたにおい。
銃声はひとつも聞こえない。
ほぼ全員の視線が、おれに集中しているんだろう。
重なる声が止んだ。一本の流れ星みたいな咆哮には、ゴボゴボと、粘ったらしい水が泡立つ音が混じっている。おれもなにか叫んでいた。
「セト! 尻尾が白灰になっている! もういい降りろ!」
ユヅキの声がはっきりと聞こえた。とっさに着地用エアバッグを地面に放った。重力に落とされる感覚がして、ぼふっ、という音に全身が包まれたあと——視界は真っ白になった。