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カルタ・ネシティ  作者: 燈海 空
パンを食べたいだけだった
12/41

ー12ー

パンを食べたいだけだった


 おれは彼女の腕を掴んだまま、店の外へと駆けた。

 外の道では純政府の人間ばかりが右往左往していた。

 住民はほぼ避難したようだ。


 街周電気柵がなぜ破られた、電槍バリスタが刺さらない、ライフルは意味がない、など——純政府が喚いている言葉の中にいいニュースは見当たらない。騒ぎ走りまわる彼らをよそに、おれはミカの両肩を掴んだ。子供に説教するように両目を見つめる。だが見つめているのはこちらだけで視線は一方通行だ。


「いいか、とにかく遠くへ逃げるんだ。あたりが静かになったら、おれがおまえを探す。それまでここへはもどるなよ?」


 絶望に沈んでいるミカは小さくうなずいた。無表情だが、まばたきの度に目頭が濡れて、頬を涙が伝っている。


「歩けるか?」

「……うん」

「とにかく逃げるんだ。いいな?」

「……うん」


 こちらに背を向けて、ミカは歩き出した。少々グラついている足取り。小指で突いても倒れるんじゃないかってくらいに弱々しいたたずまい。とても心配だが、まずやるべきことがある。


 忙しなく走りまわる純政府の連中を横目に、紙喰いのいる場所を目指す。車が四台通れそうな、広い大通りに来た。街灯が何本か折れて、ちぎれた電線がぶらぶらとゆれ、火花を落としている。


 ライフルの音がそこかしこで鳴っている。三台の戦車が扇状に陣をとっている。全車がおなじ方向に大砲をむけているので、敵の位置はすぐにわかった。


 鱗が敷き詰められた太い脚が八本。尻尾の先端がハンマーのように膨らんでいる。全長はおそらく十二メートルある。全体的に平べったい印象だ。全身を覆う鱗は銀色。体じゅうが金属なのかと思うほど煌びやかで、磨かれた鏡のように光を反射している。


 頭はうちわの形だ。滑らかで平坦な、一枚の金属板のような頭部には、蜘蛛のそれを連想させる四つの巨眼が並んでいる。やたらと長く細い口を開けば、糸鋸の刃を何重にも敷き詰めたような歯がびっしりと生え並んでいるのがわかる。


 いつか読んだ図鑑のそれとは大ちがいだ。あれがワニだと二〇〇年前の人間に見せても、まず信じないだろう。紙喰いを見慣れているおれでさえ、あんなのは初めてだ。


 純政府の戦車がもう一発撃った。紙喰いの頭部に当たったが、重厚な金属音とともに砲弾は弾かれてしまう。砲弾は跳弾の要領で近くにビルに当たり、爆発を起こした。当然、建物は崩れてしまう。


「退がれ!」


 一台の戦車から軍人が顔を出して叫んだ。片手を振りまわしている。部隊は後方へじりじりと引いていく。


 前方にユヅキのすがたも見える。抜刀をしているが、どうすることもできない様子だった。


「ユヅキ!」声を投げる。

「セト!」


 気づいたユヅキは、こちらへ走ってきた。


「だめだ、あんなの硬すぎてなにもできねぇぞ!」肩を上下させながら、ユヅキは言った。

「電極グレネードは?」

「三発、試したが一瞬動きが止まるだけで、効果はない……」


 ユヅキは腰のベルトからグレネードを手に取った。黄色い字で、made in ROABINのペイント。性能は保証されている。


「大砲も受けつけない躰だ。どうやって攻撃を加えればいい……」

「鎧みたいな鱗と内臓のあいだに絶縁体でも挟んでいるのか?」

「——しらねぇよ! あいつをどうにかしないと、街はただ壊されていく一方になるぜ……!」


 ユヅキは明らかに苛立っていた。いま話している最中にも、紙喰いは地を鳴らしながら移動している。やつは崩れた建物の中に長細い口を突っこんだ。なにかを漁っている。——むしゃむしゃとうまそうに咀嚼しているのか? ぶるる、と全身をわずかに震わせて、快楽に浸っている様子が見てとれる。


「ケッコンジッシュウネン オメデトウ イツマデモ カワラヌフタリデ イマショウ イマショウ イマショウ」


 太く、気味のわるい、洞窟の奥から鳴っているような独特の大声で紙喰いはなにかをしゃべりだした。みぞおちに声がひびく。紙喰いの全身がまっしろに変化し、躰じゅうに文字が浮かびあがった。いま食った紙の内容が、頭のてっぺんから尾の先端までびっしりとつづられ、流れていく。黒い虫の大群が、やつの全身を蹂躙しているようにさえ見える。


 やつはさらに瓦礫を漁って、口に入れて、咀嚼し——


「リョウシュウショ コウチャサンルー イロエンピツナナルー コウキュウドナベイチルキ……」


 今度はレシートを喰ったのか……?

 その内容もまた黒い文字の大群となり、まっしろに染まった全身を這いずりまわる。

 唖然としているおれに、ユヅキは声をかける。


「セト、おまえはじめてか? 紙喰いが、紙を喰ったとこ見るの」

「ああ……。遭遇するのは街の外だし、必ず倒していたし……。あいつらが紙を喰う様なんて見たことがない……」

「そうか。まぁ、あんな感じでよ……。とにかく気持ちわりぃんだ……」 


 銃声も鳴り止み、あたりは一度静まり返った。純政府の部隊員たちも、紙喰いがしゃべる光景に、ただただおどろいていた。


 束の間の静寂を弄ぶように、紙喰いは足を動かした。すでに全身は銀色にもどっている。


 地鳴りと振動が緊張感を煽る。やつがふたたび咆哮を発すると同時に、嵐のような銃声が空気を染める。弾はほとんど目標に当たってはいるが——効果は皆無だ。なんのために撃っているのか、本人たちもわかっていないだろう。そういう命令だから、と答えるにちがいない。


「このままだと、あのワニが建物をぶっ壊して紙を喰うさまを、ぼけっと眺めるだけになるぜ……」ユヅキが言った。

「なぁ……、さっき隊員が電槍バリスタがどうとか、言っていたけど……」

「あれならワニの躰に命中したが、刺さらなかったぜ。放電するまでもいかなかった」

「バリスタはどこにある?」


 おれが問うと、ユヅキはずっと奥を指した。


「一度は横から撃ったんだ。だが効果はなく、ワニもそれを無視して前進した。戦車はむこうにいるから、次撃てるとしたら、ワニの背後から撃つことになる。あの鱗じゃ、どこから撃ってもおなじだろう。がきん、とか鳴って弾かれるだけだ」


 次撃つとしたら背後から——

 頭の中にある構図が浮かんだ。

 だが、実行するには純政府の協力が欠かせない。


「ユヅキ、あいつの腹って、柔らかいと思うか?」

「どうかね……。前にトカゲのちいせぇ紙喰いを倒したことがあるが、背中よりは腹のほうが弱そうだったな。あいつもおなじか……?」


 ここにきて、新人のころに聞いたキヅキの言葉がよみがえる——もし刃を通さない紙喰いがいたら、弱点は、目、鼻、口と思え。腹を下にして這うタイプだったら、背中には刃が通らないことが多い。余計な手数を消費する前に、思考を迂回させろ。できることを考えろ。おれたちネシティは一撃一滅を目指す——


「あの巨大じゃ、目に電圧をやっても死にはしないよな?」おれは言った。

「目がつぶれるだけ、じゃねぇか? 四つもあるし」

「あいつの心臓って、胸の中央だよな」

「そりゃまぁ、動物としてのお約束を踏襲していればな。おいセト、なに考えてやがる。まさか腹の下に潜ろうってんじゃないよな? 潰されるだけだぜ……?」


 おれはいったん黙った。

 説明している時間がないと思った。


「頼むユヅキ、状況によって最適の行動を——!」

「おい、そりゃ兄貴の決まり文句だろ! お、おいって!」


 声を背中に受けながら、おれは走った。義足のつけ根にあるトリガーを手に持ち、きょう最初の跳躍をした。風を感じている最中に、部隊の視線がこっちに集まったのがわかった。気にしていられない。せめて撃たないでいてくれれば、それでいい。


 建物の屋上に降りて、そのまま駆け抜ける。ビルからビルへ飛び移る。さらに建物から建物、そしてバリスタ搭載の戦車の上に降りた。


 ハッチをノックする。


「おい! いるのか! 聞いてくれ!」


 戦車の中から物音がして、ハッチが開いた。中からぼやっとした、いかにも頼りない男が顔を出した。メガネが傾いている。大丈夫なのか? こいつ……。


「なんですか? ぼくらは用無しみたいなんですよ。だって、電槍が刺さらなかったんですもん。ガソリンも勿体無いし、とりあえず次の命令まで、エンジンを切って待機してるんですよ」


 純政府の人間はどいつも指示待ち人間なのか。


「頼む、電槍をもう一度撃ってくれ」

「え? あなただれです? 上司の命令もないのにできませんよ、そんなこと」


 ここで正直になっても仕方ない……。

 うまくこいつを動かすセリフを考えろ……。


「ぶ、部隊のやつからの命令だ。ある作戦を実行する。急いで大通りまで車を進めてくれ」


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